独の非核運動に送り込まれた敵国工作員。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130217/plt1302170708000-n1.htm
かつてドイツは大きな決断を迫られた。1980年初頭、ソ連が欧州に向けて中距離核弾頭ミサイルSS20を実戦配備したことを受け、米国がドイツにパーシングII中距離弾道ミサイルを配備したのだ。猛烈な反対の声の中だった。
当時のシュミット首相は「そんなことをしたら、独ソ関係は最悪になる」などと内外からバッシングを受けた。だが、欧州正面に向けられた核は270基にも上っていた。それまで頼みにしてきた米国の核の傘がここまでくると、もう当てにはできないだろうという考えから、「やはり実際に自分たちの国に核を配備する、というか『米国に』配備させるのがいい」と判断した。
ところが、この時に市民による大規模な非核運動が巻き起こった。シュミット首相は退陣を余儀なくされたが、後任のコール首相はパーシングII配備を粛々と推し進めた。
風が変わったのは8年後だった。米ソにより中距離核戦力廃棄条約が締結されたのだ。ソ連が折れた形だ。
結果はすぐには分からない。しかし、自らの立場を辞してでも国益優先の信念を貫く姿勢は、やがて「真の指導者」として歴史が評価することになる事例といえるだろう。
ところで、この時に盛り上がったミサイル配備反対・非核の運動には、ソ連の工作員が多数送り込まれていたことは今や有名な話である。「反対運動」というのは、平和主義思想から生まれるだけの単純なものではないことが分かる。こうした意図的な「反対」と、当事者は国のためと信じて行う「反対」とが入り交って拡大していくのである。
さて、安倍首相は衆院予算委員会でいわゆる「敵基地攻撃」は憲法が認める自衛の範囲内に含まれるとの見解を改めて示した。しかし、再三指摘されているように、日本はその能力を有していない。「専守防衛」だからということで、空母や射程の長いミサイルなどは憲法違反だと自ら手足を縛っているのだ。
これまでも、ミサイルの射程延伸を検討しようとする動きはあったが、実現しなかったのは政権政党からも防衛省内でも常に慎重論が強まるからだ。つまり反対運動だけでなく、自重という不作為がパワーバランスの不均衡を招いたことは否めないのである。
しかし、「自分のせいだ」と感じている日本人はいないだろう。責任は政治が負わねばならないのが世の常だ。この際「敵基地」だけに議論を狭めず(いつも論点がピンポイントなのが気になる)真の国防論議が深まることを期待したい。 =おわり
■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。