原発反対論のまやかし。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




原発の記事を書くと、必ず沸くのがいかにも工作員とわかる、頭ごなしの否定コメントです。

このブログで何度も書いていることなので、繰り返しになりますが、長い目でみたときに核廃棄物処理の方法さえまだつかめていない人類が、核の危険や、地震、津波等の自然災害さえあるという現状を考えれば、日本に限らず世界中で、将来的に原発廃止にもっていくべきであろうというのは、当然のことです。

このことは、自民党をはじめとした原発推進派と呼ばれる各党も同じですし、私も同感です。

しかし、だからといって「明日からすぐに原発ゼロ」 というのは、あまりにも非現実的です。


この問題について、Facebookで、友人のO氏から、貴重なご意見をいただきました。
以下に示します。

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《原発反対派の人たちへ》

1 すでにある原発を廃炉にしようと本気で考えているのか。

民主党内閣時代の頭ごなしの原発反対論によって、多くの原子力技術者が海外に流出しました。それはいまも続いています。
ところが原発は、廃炉するにも、優秀な原子力関連技術者の確保は不可欠です。
その技術者たちが原発を倍増させようとしている韓国などに、次々と引き抜かれている。
技術者がいない状態で、どのように廃炉にしようというのか、そのあたりの考えがまったく不明です。

2 産業保護のために必要な電力を、どのように確保するのか。

これはコストの問題です。
代替エネルギーが「可能性がある」というだけでは話になりません。
その代替エネルギーのコストをいかにダウンするか、また安定的な電力供給をいかに確保するかという問題が具体的に解決されなければ、日本の産業が崩壊します。

3 いかに核による安全保障を解決するのか

いま、支那の汚染空気が日本に飛来することが問題になっていますが、万一のときの原発の危険は、日本だけの問題ではありません。
日本がだめで、韓国なら原発を増発させてもよいという話の根拠は何なのでしょうか。

こういう問題に対し、反原発、脱原発、卒原発等の言葉の遊びはどうでもいいから、それらの原発反対論者は、明確で具体的なプランを国民に提示する義務があると思います。
太鼓ぽんぽこ叩いて「げ~んぱつは~んた~い」 と無責任に念仏となえているだけでは、何の解決にもなりません。

脱原発論者の6割は善良な日本人です。
ところが3割が確信犯的国家解体論者のテロリス ト、1割が特定アの工作員といわれています。
いいかえれば、6割の善良な日本人は、善良であるが故に、意図的な工作員にものの見事に騙されている人といえます。

本気で脱原発を願うなら、

第一に、日本の原発より桁外れに危険な支那と韓国の原発増設と、それに直結する日本人原子力技術者の中韓への流出と、その原因となっている日本の原子力産業衰退に、危機感を感じないのは、おかしいです。

第二に、脱原発なら一定期間確保しなければならない天然資源をきちんと確保するために必要なシーレーンを護るための軍事力増強の必要性を理解できなければ、おかしいです。

第三に、日本の天然資源は死守しなければならないので、その天然資源の宝庫である尖閣、竹島の領有権の問題は、絶対に譲歩しないとなるのが普通の考え方というものです。
にもかかわらず、原発反対派政権の時代、領海侵犯し、ッわが国の船舶に体当たりした偽装漁船の船長は、無罪放免されています。
おかしな話です。

仮に戦争になることを回避したのだとしても、であるなら戦争抑止のためのオスプレイ導入はもちろん、最終的には核武装さえも覚悟すべきと考えることは、原発を廃止するなら当然のこと、となります。

原発について、代替案もなく、ただ反対するだけならば、それはマガイモノの脱原発論です。
国家解体を目指すテロリストか、それに煽動されたアホでしかないということになります。
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以上が、友人からいただいたメッセージです。

原発が100%良いなどと言っている人など、誰もいません。
けれど、それをなくするならなくするで、なくするために必要な手当が必要です。
またなくするまでの間のエネルギー、国防、産業保護等、一切に対する総合的な保護政策が必要です。

脱原発も、卒原発もイメージ論としては、おおいに結構です。
けれど、それを本気で実現したいのなら、そのためにやらなければならいことを、しっかりと踏まえた対策が必要です。
それが大人のあたりまえの行動であると、私は思います。

逆にいえば、脱原発、卒原発、即時廃棄などと、イメージだけの意見や、「げ~んぱつは~んた~い」とう中味のないお祭り騒ぎは、実は原発問題ではなく、まったく別の底意がある、政治的に仕組まれたものにすぎないということでもあります。

ということは、それに乗せられている人たちは、支那で反日デモをやっている人たちと同様に、自分の意思を持たない、ただの「あやつり人形」にさせられているあわれな人たちでもある、ということです。