◆田口さんをだまして連れ出したのは李京雨(宮本明)か
惠谷 915病院は、ご存知の方も多いと思いますが、この病院は工作員専用病院です。一般の病院ではありません。
西岡 多分、9月15日に造られたから915病院というんでしょう。
次に、では誰が八重子さんを拉致したのか。先ほど南浦か清津かという問題のところで、後で触れると言った問題について少し考えたいと思います。清津が前提だと我々が考えていた一つの理由は、これは警察情報ではないかと思ったんですが、週刊誌や新聞などで2002年以前に書かれていたのが、「ハリウッド(八重子さんが勤めていた飲食店)」に出入りしていたなじみの客と一緒に、新潟に旅行に行ったという情報があったんです。
そして、そのなじみの客というのは、李京雨(リ・ギョンウ)、日本名宮本明ではないかというようなこともあって、あるいはそのなじみの客が、「いい仕事がある。3日で終ると言った」という話があります。そうだとすると、新潟、そして清津なのかなと思ったんです。
そのなじみの客の問題ですね。李京雨というのはどういう男なのか。
惠谷 日本名宮本明というのも有能な工作員です。一番有名な工作は、大韓機事件の主犯、金賢姫の相方であった蜂谷(はちや)真一名義のパスポートを偽造した。本人が偽造したわけではありませんが、本物の蜂谷真一さんからパスポートを借りて偽物を作って工作員に渡す一連の工作をしたことがよく知られています。これ以外にも色々なところで事件が起きれば、登場する工作員です。
西岡 もう一つ拉致の関係で言うと、西新井事件、小住健蔵さんになりすましていたチェ・スンチョルという工作員がいるんですが、このチェ・スンチョルが蓮池さん夫妻を拉致したということで国際指名手配されています。そのチェ・スンチョルが借りていたアパートの保証人になっているのが李京雨=宮本明なんです。
つまり小住健蔵さんの拉致にも関係していたのではないかということですね。
惠谷 そうですね。
西岡 その李京雨が、田口さんがいなくなる直前、ハリウッドに出入りしていたことは確認されています。
惠谷 とにかく八重子さんをだまして連れ出そうとしたのは、私は宮本明に間違いないんじゃないかと思っています。もちろん別の説もあります。先ほどの話に戻りますが、新潟と宮崎の話です。
ハリウッドは5月28日の給料日のあと店に出なくなったと推測しています。飯塚さんに店から連絡が入ったのが6月12日です。その間に、3日くらいというと、6月7日、8日頃。その頃東京にはいない。しかし北の発表は、6月29日です。新潟を出た日か上陸した日かは分かりません。いずれにしろ月末です。
そうすると2週間以上、3週間近く、子どもをベビーホテルに置いたままだったということになります。それは母親として非常に心配だろうと思います。ですから、初めは宮本明が、「新潟に行こう」、「佐渡に行こう」と誘って、それが3日くらい。一旦戻ってきて、それから宮崎かと思ったんですが、そうすると長くなり抵抗もある。
西岡 なるほどね。
惠谷 それで6月10日から月末まで3週間くらいがどういう状況だったのか。
西岡 6月29日という北の説明が本当だったらということですね。
惠谷 はい。今の情報の中で考えれば、そういうことが言える。それで、2、3日で一往復して、見せ金をつかませて、それから言うことをきかせたということも考えられます。これは推測です。
◆朝鮮総連本部家宅捜索前日に「中止」に
西岡 先ほど、日本の警察は田口さん拉致について場所を特定していないと言いましたが、時間も、時期も特定していないんです。6月としか書いていません。何日と書いてないんです。他の認定被害者は何月何日と書いています。まだ分かっていないんです。つまり、警察は北朝鮮が言う6月29日を信用してないわけです。
そこで、何回か書いてきたことですが、かなり田口さん拉致については警察は相当捜査しているんですね。李恩恵を田口八重子さんだと突き止めたのも警察です。梶山(静六・国家公安委員長)答弁も、田口さん事件でやっているわけです。そういう中で、金丸真という自民党の政治家が、警察の捜査を妨害したという証言が警視庁関係者から出ています。
田口さんの拉致の犯人との関係でそのことを惠谷さんと一緒に検討したいんですが、一番最初に(この問題を)書いたのは、『月刊文芸春秋』1998年6月号です。加賀孝英さんと文芸春秋取材班の共同論文です。これは笹川陽平さんという人が北に渡って日本人妻のことをやっていたことがタイトルになっています。
その中で、こういう記述があります。「事件はこの金丸訪朝に関連して起こった。それは李恩恵の件である。韓国側からの情報提供を得、警察庁では警備局の審議官をトップに十数名からなる『李恩恵身元割出調査班』を設置。警視庁でも、通称「ウネ・チーム」を置き、各都道府県警にも同様の操作チームを置いて大々的にこの拉致問題に取組んだ。そんな中、捜査に光を投じたのは、『Xという男が以前、連れていた女性が李恩恵に似ている。金と呼ばれていた』という情報だった。そしてそこから捜査当局は李恩恵拉致に関わったと見られる国内の、X率いるY、Z3人のグループの存在を掴んだ。Xは北朝鮮貿易のドンとも言える男。朝鮮総連の幹部だった。YとZも実業家だった。今私の手元には、その時の計7枚の捜査関係資料がある。彼らがどんな男たちだったか、『秘』と文字のうたれた資料は告げている」。
この資料というのは実は出回っていまして、「むかご」リストという物です。惠谷さんも私もコピーを持っています。引用を続けます。
「まずX-毎年、金日成の誕生日の誕生祝賀会に出席し、北朝鮮にいった際は国賓待遇を受ける。北朝鮮に高額の献金をしており、勲章を数回受章。Y-捜査の端緒は、昭和62年12月7日、『大韓航空機爆破事件の関係者宮本明と係わっている不審外国人を知っている』との情報を入手したことによる。そこでYの名前が出た。Yは昭和61年6月13日、国籍を北朝鮮籍から韓国籍に変更。自宅には不審なアンテナがあり、情報によると大型無線機がある。深夜、ビーンという無線機発信音がしてマンション内の住民が騒いだことがある。会社の天井裏はカーペットを敷いて寝泊りできるようになっていて、会社の書棚に日本国旅券十数冊余りが入っているのを内装工事人が目撃。Yは怒って黒いナイロン袋で書棚を隠蔽した。そしてZ。沿岸徘徊人。沿岸徘徊人とは、北朝鮮の工作員が日本の海岸に潜入、あるいは脱出する時に海岸で補助する役目を持つ」。このX、Y、Zを李恩恵拉致に関係しているとして調べていたということです。
そして、「平成2年」、金丸訪朝の年です、1990年です。「5月初め、警視庁に警察庁、検察庁、警視庁外事など関係各所の幹部約150名が集められた。そこで、5月10日付のX及び朝鮮総連の家宅捜索令状と、5月14日付のYの逮捕令状が用意された」
Xというのが総連の大幹部です。Yが無線をやり、日本のパスポート10冊余を持っていた朝鮮人です。Xの家の家宅捜索令状だけでなく、朝鮮総連本部の、あとで聞くと朝鮮大学も家宅捜索令状に入っていたようです。そしてYの逮捕令状が用意された。
「朝鮮総連の家宅捜索の際には、機動隊の動員がかけられ、総勢450名の捜査体制になることが告げられた。ところが、家宅捜索に入る前日の9日、突然警視庁に捜査官らは呼び出された。ある警視庁幹部が思い口を開いて、こう言う」
「……その時、幹部が言ったことは、『いろいろあって詳しいことは言えないが、この件の捜査は本日を持って打ち切りとする』。そんな言葉だった。つい2、3日前、捜査方針の説明を受けて、『やるぞ』と言っていただけに、えっ!という顔を全員がしていた。この件については緘口令が敷かれた。別の警視庁関係者は
こう言う。『金丸訪朝でつぶされた。そう聞いている』」ということを書いているわけです。
これはまだ金丸さんが生きていた時に書いたものですが、名誉毀損等で訴えられていないわけです。
問(会場) 先生の書いた本に、拉致の実行犯はリ・チョルスと書いてありますが。これは何なんですか。
惠谷 私がもう一度調べている中でリ・チョルスは田口さんのケースだけ個人名を出しているんですね。他は「特殊工作員による」と。
◆「故金丸氏捜査に圧力」、朝鮮総連大物商工人を守るため
西岡 つまりこれは北朝鮮がそう言ったんです。犯人がリ・チョルスだ、と。その名前です。今惠谷さんが説明したのは、個別に北朝鮮が、この事件の犯人は誰だと言ったのはこれだけなんです。誰か分からないんです。多分、嘘じゃかいかと思われます。
そして今の話を続けますが、同じことについて『産経新聞』が、2001年12月16日に書いています。『文芸春秋』は98年です。「朝鮮総連元幹部の外国人登録法違反-故金丸氏捜査に圧力」という見出しの記事です。この時はもう金丸さんは死んでいました。
「平成2年5月に警視庁公安部が摘発した朝鮮総連の元幹部らによる外国人登録法違反事件の捜査過程で、日朝関係への影響を懸念した自民党の金丸信元副総裁が捜査を朝鮮総連などに拡大しないよう、捜査当局に圧力をかけていたことが明らかになった。警視庁による朝鮮総連中央本部や朝鮮大学校への家宅捜索は行われず、捜査当局内部からも捜査が不十分だと疑問の声が上がっていた。金丸氏は同年9月に訪朝した」という記事が出ています。同じ事件のことです。
『産経』の記事では、拉致との関係は書いてなくて、外国人登録法違反とだけ書いてあるんですが、外国人登録法違反を入口にして調べるということはあるわけです。5月に朝鮮総連中央本部まで家宅捜索をしようとしていた。
ここでも名前は出てこないのですが、私は敢えて名前を出しています。2002年の参議院の外交委員会に参考人として呼ばれた時も名前を出したんですが、このXというのは安商宅という人です。朝鮮総連の副議長で東海商事という朝鮮総連が持っていた貿易会社の会長をやっていた人です。
土地ブローカーみたいなことをやっていて、帝国ホテルに部屋を持っていて、お金で土地ころがしみたいなことをやってバブルの時大変もうけていたんです。平壌に安商宅通りというのがあります。当時50億円とも30億円ともいわれる巨額の献金をしたことが喜ばれて、通りの名前が安商宅通りに変わった。しかし
その時の彼の税金はゼロだったと言われている人です。国賓待遇を受けるというのも多額の献金のことです。
朝鮮総連の大幹部が八重子さん拉致に関係していたのかどうか。そして、金丸という政治家が捜査を妨害したのか、という疑惑が浮上してくるわけです。そのことと、清津なのか南浦なのかという問題は関係があるということです。
ただ、これは90年の段階の捜査ですから、その後警察は富貴江さんたちからかなりのことを聞き取っているわけですね。我々はこの手紙だけですけど、警察は事件に関しては聞き取っているわけです。
外車のような車を乗り回していた人物だというのが一部漏れてきますが、もっと詳しいことを、八重子さんと富貴江さんの関係で、悔しいからしゃべっていた可能性があって、その中で、今はもう妨害する人はいないのに、逆に田口さん拉致事件は未だに犯人が特定されていないんです。国際指名手配できていないんです。それどころか、場所も、時期も特定できていない。
安商宅という人が本当に関係していたのか、金丸という人が捜査を妨害したとすれば、本当に国賊中の国賊だと思います。
我々は、金賢姫の証言があったので、八重子さん拉致は間違いないと思って、あまり日本で起きていたことについて、それを証明しなくても、北朝鮮にいたということが分かっているんだから、拉致で間違いないんだからと思っていたんですが。
惠谷 まさにその通りで、先ほどのリ・チョルスに関しても、北がわざわざ名前を発表して、「但し92年に死んだ」と。なお、これはお手元の資料の次の調査で、外務省が向こうの外務省とのやり取りで聴取したものをまとめたものだと思います。おそらくその時に、日本側からリ・チョルスが関係したんだろうと投げたら、「そうだけども死んだ」と答えたのでしょう。
西岡 偽の「遺骨」が出てきた時の2度目の、北朝鮮の再調査の時の聞き取りの結果です。
◆「拉致は総連の人間の関与なしにはできない」
惠谷 お手元の資料では、辛光洙は関係ないとなっています。これも日本側が、「辛光洙が関係しているだろう」と言ったことに対し、関係ないという回答をここに書いてある。私も今日の集会の時に調べたことで分かったことがあり、追求が甘かったと思います。リ・チョルスに関しては見逃していました。
西岡 先ほど言ったY、家に不信なアンテナと無線機があった男ですが、それに『産経新聞』が直接インタビューしています。2004年2月16日に出ています。
「『北のスパイ』。警察幹部がそう断言する男がいる。田口八重子さん拉致に関与した北朝鮮の李京雨工作員らを国内で支援していた補助工作員とみて、警視庁公安部が十数年前、内偵捜査を進めていた人物だ。その男が初めて取材に応じ、『拉致は総連の人間の関与なしにはできない』と、ようやく重い口を開いた。
「自民党の故金丸信氏は平成二年の訪朝前、総連中央本部を家宅捜索する方針を固めていた公安部の内偵事件を「圧力」でつぶしたとされる。その事件のコードネームは「零余子(むかご)」と呼ばれた。容疑は外国人登録の申請内容に虚偽があったとする外国人登録法違反などだが、公安部の狙いは別にあった」。
「公安部は昭和五十四年以降、工作員支援網の中心人物として総連系商社を経営していた大物商工人をマーク、その人脈解明を「やまぶき作業」と命名して続けていた」。
この大物商工人というのは安商宅です。
「男と李工作員に面識があるとの情報が寄せられた。自宅には不審なアンテナもあった。大物商工人とも親しく、李工作員と大物商工人を結ぶ人物として一躍クローズアップされた」。
李というのは李京雨のことですね。李京雨と安商宅を結ぶ男として、このYというのがクローズアップされた。「不審なアンテナ」というのがYです。「むかご」というのも同じことを言っています。
それにインタビューしているわけですが、「自分は拉致に関係ない」と言っています。たた、「安商宅は知っている」と「交際を認めた」が、「安商宅が拉致に関与しているかは知らない」。だが、「拉致は総連の人間の関与なしにはできない」と彼は言ったという記事です。
こういう捜査資料が外に出るというのは、一般的に言うと、何らかの理由で本当に捜査が進められなくて、マスコミを使って相手の動きを見るとか、あるいは妨害されたので悔しいと思って捜査資料を誰かが外に出したということだと思います。
「むかご」資料が外に出たのは、当然そういう理由だと思いますが、まだ田口さん事件についても明らかになっていないことが多くて、もしかしたら朝鮮総連の当時の大幹部が関係していて、自民党の大物政治家がその大幹部を守った疑惑がまだあるというのが現段階での私の結論です。どうでしょうか。
惠谷 そうですね。当初から分かっていたことが今日まできてしまったという忸怩たる思いがあります。
◆田口さんの複数の生存情報
西岡 田口さん本人の消息について、少しだけ言えることがあります。市川さん・増元さん事件について、あるところから救う会が入手していた4枚のFAX。これは自由北韓(北朝鮮)放送に送られてきたFAXで、同じものを救う会も別途入手したんですが、そこに市川さんに関する情報が出ていた。それと私が別のとこ
ろから入手した情報が一致するので、その情報は一定程度信憑性があるのではないか。
それで市川さんは、生きていることが証明できるという話をここでしましたが、そのFAXに田口さんについても出ているんです。これは救う会のニュースなどで報告していることですが、79年から80年の10月まで、平壌市の三石(サムソク)区域の3級招待所で生活していた。80年から82年まで龍城(リョンソン)区域の金剛山招待所で生活していた。これは地域名と招待所名が違うので検証しなければならないのですが。
そして82年から86年まで龍城区域の東北里招待所などで、現役工作員に日本語や生活文化の講師として活躍した。これ(金賢姫に教えたの)は81年から83年ですからだいたい合っていますね。86年7月から91年10月まで、烽火政治軍事大学で講師として活動した。これは安明進が言っていることです。
イ・ウンシルという名前だったと言っているのですが、これはまだどこにも出ていませんのでまだ分かりません。「イ・ウンシルは周辺の身分露出とアルコール中毒、頻繁な脱出の試みなどで96年頃から、平壌市順安(スンアン)区域文化部所属招待所で外出禁止、隔離されて生活している」というのがFAXに出てい
た情報です。
私が別の情報源から入手したのは、「田口さんは自由行動が多くて、統制が難しかった」と。それはここでも出ていますね。金賢姫と一緒に自由行動したというのも出ていました。
ということで、似ていますが、断定まではできません。このFAXが正しいとすれば96年までは生きていたわけで、86年に死んだというのはおかしいということになります。
またもう一つ、田口さんの結婚の話があります。蓮池さんは、「招待所のおばさんから、田口さんが敵工局の人と結婚するといって嬉しそうだった」という話を聞いている。当時は敵工区だと思っていましたが、人民軍偵察局敵工局でした。
もう一つ。富貴江さんは、義挙者と結婚したと聞いています。義挙者とは義挙越北といって韓国から入った人です。運転手が田口さんから聞いた、と。私が得ている情報でも敵工局にいた、韓国から拉致された人と、86年に結婚した、と。死亡と言われた後です。そして、「1年で離婚した」という情報があります。
北朝鮮の言っていることは、最初から最後まで信用できない。そして田口さん事件は、もしかしたら朝鮮総連の幹部も関係しているかもしれないので、田口さんを返せない理由のもうひとつのかぎは日本国内の、朝鮮総連と拉致の関わりが解明されてしまうかもしれないからということかもしれないと思っています。
以上、まだまだ闇はありますが、具体的なことを一つひとつ積み上げていく作業をしながら、全員取り戻すまで頑張っていきたいと思います。ありがとうございました(拍手)。
以上
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■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
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