★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2013.02.04) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ。 






西岡 ありがとうございました(拍手)。中味の検証に入る前にまず家族の立場からこの手紙を読んで、どんなことを感じられたかを話していただければと思います。飯塚さんからお願いします。

◆思い出すにつけ、いたたまれない

飯塚 この手紙の内容については既に約30年経ってしまっています。その頃の思いや状況を思うにつけ感じたのは、その後の彼女の健康を含めた生き様がどうなっているのか、これが一番心配です。

 こういう個々の状況を思い出すにつけ、やはり私たちはもういたたまれないというか、毎日毎日こういう思いがめぐります。この中にもありますように、健康についても若干心配な点がありますし、本当に今現在元気でいるのか、あるいはどこにいるのか、そういうところに思いが走ります。

 こういうことを私たちは何回となく思い出し、なんとか消息が分からないかということで情報を集めています。そういう中で、「田口八重子は生きている」という情報がかなりあります。また各方面からの情報なので、信憑性については高いかなと思っています。

 肝心なことは、こういう思い出をただかみしめるのではなくて、こんなに苦労している被害者を本当にどうやって早く助けるのかということに直接つなげたいわけです。

 今回みなさんご承知の通り自民党政権になって、対策本部も作った、総理の意気込みも分かった、そういうことで、是非とも今向こうで生きている人たちを早く助けてもうらいたいと思います。

 特に、その頃の状況を色々聞きますと、一刻も待てない。そこに集中して、今後の活動や政府の対応を是非してほしいと思っています。時間がないんです。私たちは昨年を「勝負の年」と位置づけましたが、その延長戦ということで、「今年こそ勝負の年」と考えて活動を継続していきたいと思います。

 それにしても毎年歳をとっていく家族のことも思えば、早く、早くという言葉が先に出ます。自分の子どもが被害者、子どもを助ける立場で家族会ができました。横田御夫妻がその時一番若いということで代表になって活動してきましたが、あまりにも歳が経つ中で、お亡くなりになられた方もいます。また、歳を重ねる
毎にストレスなどでどんどん身体が弱っていく。こういった実態がいつまで続くのか。

 私たちは親がとっくに亡くなりましたから兄弟が妹を助けるという場面になっています。他の家族もだんだんそうなっています。そういうことを考えれば、まさか倅の耕一郎が母親を助ける活動をするのかと。絶対そんなことはないというふうにしなければならないし、色んな問題が山積していますが、何としても今年、
拉致問題については強く言及し、政府にも要請し、スピードアップをはかってもらいたいと、今日よけいにそういう気持になりました。

以上です(拍手)。

◆これまでの嘘を金正恩に分からせる

本間 みなさん今晩は。ありがとうございます。今、地村富貴江さんからの手紙を聞かせていただいたんですが、八重子と接触した人が現実にいたんだなという思い。そしてその人は日本に帰ってこられたのに、八重子は帰ってこられなかった。その差は何だったんだろうかという思いにつながるんです。

 兄弟についての話の中で、お母さんが佐渡出身ということが出ていますが、私は佐渡で育ったんです。母親の実家のおばあちゃんに育てられ、高校を卒業するまで佐渡にいました。その話が、佐渡出身ということでつながってきます。

 過去は過去として、こういう情報を聞けることは嬉しいですが、先ほど兄が言ったように、これからどうやって助けていけるのか、これは本当に時間との勝負です。

 八重子が北朝鮮で色々なことに巻き込まれて、それが帰ってこられないことにつながっているわけです。要するに北朝鮮との絡みでは、大韓航空機爆破というのが、うちの八重子に一番重くのしかかっているんです。北は115名の韓国の出稼ぎの人たちがバーレーンから帰ってくる飛行機、858便を爆破したことに
よって、金賢姫という工作員につながるわけですが、その金賢姫がうちの八重子について証言してくれ、八重子が北朝鮮にいたことが分かりました。

 北朝鮮がなぜ八重子を返さなかったかは、この大韓航空機爆破ということです。これはまさにテロです。それを指示したのが金正日で、拉致も指令しています。それがばれるから嘘をつき通しているわけです。未だに、「大韓航空機爆破は韓国のでっちあげだ」と。

 韓国は当時(1987年)ソウルオリンピックを控えていて、成功させるために必死になっていましたが、同じ民族が北でみじめな生活、政権であることから、工作員活動で事件を起こしたわけです。

 めぐみちゃんもそうですが、八重子も金正日につながる秘密のパーティに招待され、金正日が拉致した日本人との会話をつぶさに見ているわけです。それが日本に帰ってこられるとみんな実態が分かってしまう。

 そして大韓航空機爆破事件でも、金賢姫が言っていることが正しいと、まさに北朝鮮はテロ国家として糾弾されるわけです。八重子とめぐみさんが帰ってこられるためには、北が嘘をついている大韓航空機爆破事件なんかやっていない、金賢姫なんか知らないと言ってきたことを改めて、認めなければならない。

 しかし私たちは、この事件は金正日に起こされたことを知っています。その背景に金賢姫がいて、八重子がいるということも知っています。日本は全部知っているわけです。

 国際的にも、家族会が国連にでかけていって、アメリカにもでかけて、赤裸々に訴えてきています。だからテロ国家指定を解除したことは、誤りなんです。未だに家族を帰していない。これは現在進行形のテロだと私たちは訴えています。金正日は死にましたが、まだ金正恩はそれらを認めていない。これを認めさせな
いとこの問題は解決できないんです。

 西岡先生も、この『金賢姫からの手紙』(草思社刊)という本で、「金正日の嘘をあばくしかない」と解説しています。だから大韓航空機爆破事件を認めさせなければならない。これは韓国にとっても大きな問題です。韓国には北のシンパが相当いまして、「大韓航空機爆破事件は北がやったものではない」とマスコミ
を動員して訴えてきました。

 とにかく何をやらなければならないかというと、未だに嘘をつき続けていることについて、「もう白状しろ」、「このままでは日朝交渉も再開できないし、北朝鮮の政治体制、経済体制で安定したものは得られないんだよ」ということを早く金正恩に分からせることだと思います。

 私も考えて行動していきたいと思います。宜しくお願いいたします。ありがとうございました(拍手)。

西岡 鈴木さんもご感想を。

鈴木 (八重子は)女性、母として兄弟、親、子どもがいるわけですね。それに対して、どうしたら会えるのか、そうしたら帰れるのか、どれだけ我慢すればいいのか、本当に先が見えない生活をしているわけです。それを思うと本当に情けなくて。何にもできないし、私たちの力が届かない。毎日悲しい思いでいます。

 皆さんのご協力やご支援があってここまでこられましたので、もう少しみなさんに応援していただいて、一刻も早く助けてあげたいと思います。宜しくお願い致します。ありがとうございました(拍手)。

◆北朝鮮より説明があった個別情報

西岡 これから分析に入りたいと思いますが、北朝鮮が今何を言っているかということを確認したいと思います。配布資料の「北朝鮮が日本に説明した内容」(2002年9月)を見てください。

【北朝鮮より説明があった個別情報】

田口八重子さん

(注)なお、李恩恵事件につき、北朝鮮側は、調査の結果、李恩恵なる日本人女性はいない旨発言。

(1)朝鮮名:コ・ヘオク 女

(2)1955年8月10日生 当時23~24歳

(3)本籍:埼玉県川口市××

(4)出生地:埼玉県

(5)住所:東京都豊島区××

(6)日本在住時の職業:飲食店勤務

(7)入国経緯:工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた。辛光洙は関係がない。

(8)入国後:1978年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語の習得、現実研究および現実体験をした。1984年10月19日、原敕晁さんと結婚。1986年まで家庭生活。

(9)死亡経緯:夫の死亡(1986年7月19日)後、精神的衝撃を受けていたが、数日して安定して帰宅する途中、1986年7月30日、ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡。この事故で、同人及び運転手を含む3名が乗用車で死亡、トラックの2人は重傷を負った。

(10)遺骸:ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡に墓があったが、1995年7月の豪雨でサンウォルリ(上月里)の貯水池ダムの堤防が壊れ、墓が流された。

(11)遺品:なし

(12)原敕晁さんと結婚するも、子供なし。原さんもリンサン(麟山)郡で病気で死亡。

(13)事故での死亡者と生存者に関する書類が存在するが、今後、法的仕組みが出来た時点で証言と文書を提供することができる。

◆北朝鮮の説明は悪意に満ちた説明

西岡 (注)のところで、「なお、李恩恵事件につき、北朝鮮側は、調査の結果、李恩恵なる日本人女性はいない旨発言した」と書いてありますが、それが今本間さんが言われた、大韓機事件とは関係ないと言っているという意味です。

(1)から(6)はその通りですが、有本恵子さんの場合は生年月日を間違えていたことがあります。

(7)の「入国経緯:工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた。辛光洙は関係がない」は、富貴江さんの手紙でも分かるように、向こうにいた時も、「子どもがいるから帰してくれ」と言っているわけです。

 ずっと子どものことを思っていた人が、「3日程度なら観光がてら北朝鮮に行きたい」と言うだろうか、ということです。これをそのまま耕一郎さんが読んだら、「自分たちをベビーホテルに預けて、観光旅行に行ったお母さん」というふうに読めるわけです。

 私は何回も言っていますが、偽の遺骨を送ってきためぐみさんについてのやり方もひどいですが、この説明自体も母子の絆を意図的にふみにじるような、悪意に満ちた説明だと、強く怒りを覚えます。帰りたいと言っていた今の手紙の言葉を聞くにつけ、この説明のひどさが余名分かるんじゃないかと思います。

(9)死亡の経緯で、夫が1986年7月19日に病気で死んだことになっています。そして、「精神的衝撃を受けていたが、数日して安定して帰宅する途中、1986年7月30日、黄海北道麟山郡のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡。この事故で、同人及び運転手を含む3名が乗用車で死亡、トラックの2人は重傷を負った」とあります。

 実は北朝鮮から、この交通事故の調査記録が出てきたんですよね。北朝鮮の警察が作ったという記録の書類です。それがひどいもので、色々塗りつぶしてあったんですが、被害者の名前も塗りつぶしてあるんです。被害の状況の写真なども入っていません。ただ交通事故が起きました、ということが分かるだけの記録で、被害者が「コ・ヘオク」とは書いてないんです。

 だからその時にあった事故の書類かどうかも分からないもので、死亡だと言っているわけです。

 これについては、私たちが作ったちらしもありますし、日本政府が作った白いパンフにも写真入りで出ています。対策本部のホームページで見ることができます。名前もない交通事故書類で「死亡」したと言っているということです。

 そしてお墓も作ったが、95年に豪雨で流された。遺留品はない、子どももいない、何も残っていない、と。ですから飯塚繁雄さんのところには何も提供されていない。めぐみさんのところには写真等ありましたが。


(つづく)




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