スーチーが韓国で日本批判。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





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スーチーが韓国で日本批判・仁川市長「ドイツと違い日本は従軍慰安婦問題などを認めない。関心を持ってほしい」→アウン・サン・スー・チー「過ちは誰でもあるが、過ちを認めることをためらうことこそが本当の過ちだ」




金大中元大統領の記念図書館でスピーチし、終了後に記念品を手にするアウン・サン・スー・チー氏=1日、ソウル(AP)
金大中元大統領の記念図書館でスピーチし、終了後に記念品を手にするアウン・サン・スー・チー氏=1日、ソウル(AP)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130201/asi13020114410002-n1.htm
歴史問題で日本を批判 韓国でスー・チー氏
2013.2.1 14:31、産経新聞[歴史認識]

 聯合ニュースによると、韓国訪問中のミャンマーの最大野党国民民主連盟(NLD)党首、アウン・サン・スー・チー氏は1日、太平洋戦争をめぐる日本の歴史問題に絡み「過ちは誰でもあるが、過ちを認めることをためらうことこそが本当の過ちだ」と述べ、日本の姿勢を批判した。

 ソウルで面会した宋永吉・仁川市長が「ドイツと違い日本は従軍慰安婦問題などを認めない。関心を持ってほしい」と述べたのに応じた。

 スー・チー氏はまた、ミャンマー独立の英雄、父アウン・サン将軍が生前「日本人の個人を憎んではいけない。誰でも長所と短所があるから短所を理由に憎むのはだめだ」と話していたとも述べた。アウン・サン将軍は第2次大戦中に旧日本軍の軍事訓練を受けたが、後に独立のため日本軍と戦った。(共同)



発信源が聯合ニュースだから、もしかすると多少粉飾されている可能性もあるが、韓国を訪問中のアウン・サン・スー・チーが従軍慰安婦問題を認めない日本の姿勢を批判したという。

仁川市長「ドイツと違い日本は従軍慰安婦問題などを認めない。関心を持ってほしい」と述べたことに対して、アウン・サン・スー・チーは「過ちは誰でもあるが、過ちを認めることをためらうことこそが本当の過ちだ」と述べた程度なので、大騒ぎする程の日本批判ではない。

それでも、他国の歴史について事実関係すら分かっていない奴が安易に韓国の日本批判に同調することは無責任極まりなく、黙っているべきだ。

アメリカでも慰安婦に関する日本批判が起こっているが、本当にふざけた話だ。

「従軍慰安婦」なんて居なかったし、居たのは戦時中に軍隊相手に荒稼ぎした売春婦だ。


ラモスに関するの先日の記事 で、次のコメントを頂戴したが、そのとおりだ。

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これをコピペしたらどうでしょう

“the term ‘comfort women’ refers simply to prostitutes in wartime. But Koreans have been promoting a false version of history that Japan abducted hundreds of thousands of Korean women ….This is for practical and logical reasons, a fictitious version of history.”

「『従軍慰安婦』という言葉が指しているのは、単なる戦時中の売春婦のことにすぎません。しかし、韓国人は、日本は何10万人もの韓国人女性を強制的に拉致したと、間違った歴史的事実を捏造してきました。このような事実は、現実的にも論理的にもありえない、偽の歴史的事実です。」


さっき、ニューヨークタイムズの記事を貼ったものですが(訳は適当ですが)、
海外の掲示板で、"comfort woman"について話しているのを見つけたら、
この英文を貼り付けるといいでしょう。

とにかく、"comfort woman"とは、現在でも世界中にいる
"Korean prostitute"(韓国人売春婦)にすぎないと言うことを
どんどん広めましょう。

2013/01/30(水) 21:14:03 | URL | 本当にチョンのやり方は汚い #- [ 編集 ]
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●関連記事
櫻井よしこ「慰安婦は売春婦…将校より稼いだ」
すぎやまこういちら有識者でつくる「歴史事実委員会」が米ニュージャージー州の地元紙に広告
東亜日報などの韓国紙が報道
良くやった!日本政府も仕事しろ!
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4855.html






さて、この度、韓国を訪問し、韓国人の日本批判に安易に同調したアウン・サン・スー・チーだが、実は自分の国の中でもそれ程凄い人気があるわけでもない。

日本のマスコミも悲劇のヒロインのような扱いをしているが、アウン・サン・スー・チーにもいろいろと非がある。

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▼ビルマ(ミャンマー)の歴史▼

19世紀末、イギリス・ビルマ戦争後、英国がビルマを植民地に。ビルマ王族をインドの果てに島流しにして、ビルマ国民の求心力を奪

1937年、支那事変が始まると、英国はビルマ経由の「援蒋ルート」を通じて悪逆・暴虐の限りを尽くす支那軍に武器などを大量援助

1940年、ビルマを脱出したアウンサンら「30人志士」は、ビルマの「援蒋ルート」攻略のため、日本軍による軍事訓練を受ける


1941年、日本軍が英国の植民地だったビルマに進攻
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大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビルマ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リーダーはオンサン――軍事政権に反対して現在軟禁されているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。

そこで日本では鈴木敬司大佐を長とする「南機関」というのを作って、海南島という所で徹底した軍事訓練を施した。そして日本軍がビルマに進攻した時には、彼らはビルマ独立義勇軍というのを結成して一緒にビルマに入った。ビルマ人達は歓呼を以て日本軍とビルマ独立義勇軍を迎えたわけだ。

『大東亜戦争はまだ終わらない』あるビルマ従軍医の陣中記
桑木崇秀著
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1942年 3月、日本で軍事訓練を受けたアウン・サン率いるビルマ独立義勇軍と日本軍はラングーンを占領し、英軍を駆逐

1943年、日本の後押しでビルマが建国

1945年、アウン・サンらは大東亜戦争で敗色濃厚となった日本を裏切り、日本軍に対して蜂起。再び英国の統治下となった


1948年、戦後、アジア諸国が独立に動く中、再び英国から独立

1962年、独立義勇軍の一員だったネ・ウィン将軍が軍事クーデターで政権についたが、社会主義計画経済が行き詰まり、国民の不満が高まる

1964年、アウン・サンの一人娘アウン・サン・スー・チーがオックスフォード大学に留学

1972年、アウン・サンの娘スー・チーが、事もあろうに、英国人と結婚

1970年代、支那の共産ゲリラが侵入し、社会不安をあおりながら南下、ヤンゴンのすぐ北のペグーにまで侵出


1988年、学生や公務員を主体とする大規模な反政府デモが発生。ネ・ウィンは引退したが、軍がクーデターを起こし全権を掌握。デモに端を発した騒乱で多数の死傷者
8月、アウン・サン・スー・チーは母親の見舞いのために帰国し、民主化運動に参加
9月、スー・チーは国民民主連盟(NLD)を結成し、総書記に就任
スー・チーが20年以上も経ってビルマに戻ってきたとき、英国人の妻になって嫌みな英国人になりきっていたのでビルマ人達は戸惑ったといわれる。
「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一元ミャンマー大使)。

1989年、国名をビルマからミャンマー、首都名をラングーンからヤンゴンに変更
軍事政権は総選挙の実施を約束したものの、民主化勢力の国民民主連盟(NLD)を率いたアウン・サン・スー・チー書記長を拘束して自宅軟禁

1990年、NLDが圧勝した総選挙結果を軍事政権は無視

欧米がミャンマーに経済制裁を科し日本も欧米と行動を共にすると、日本から巨額のODA援助を受けていた支那がビルマに経済援助を開始し支那がミャンマーの軍事政権を支配

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上述した「『大東亜戦争はまだ終わらない』あるビルマ従軍医の陣中記」の著者である桑木崇秀先生は、軍医としてインパール作戦にも参戦した。

平成19年(2007年)12月に「維新政党・新風」が開催した講演会で講師をして頂いた。

当時93歳で現役の漢方医だった。

防衛が疎かな国・軍医としてインパール作戦にも参戦した桑木崇秀氏(医学博士:93歳)の基調講演・日本は東京裁判史観からの脱却が必要・『維新政党・新風』東京本部
軍医としてインパール作戦にも参戦した桑木崇秀氏(医学博士:当時93歳)の基調講演(平成19年12月)(関連記事

その桑木崇秀先生の基調講演の要旨は次のとおり。
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昭和16年(1941年)12月の開戦後軍医となった。

その後、終戦まで軍医として参戦したインパール作戦その他での体験談いろいろ。

ビルマでは軍医として慰安婦を検診した。
客になったこともあった。
大金を貯めて喜んで帰って行った慰安婦たちが沢山居た。


それなのに、今日では真実が語られず虚構が広まっている。
河野談話のこと、今年あった米国の慰安婦決議、つい最近もカナダで同様の動きがあることなど。


南京大虐殺に関しても、百人斬り裁判のことや、今月13日が南京陥落70周年で新たな抗日記念館が披露されたこと、それに対してチャンネル桜の水島聡氏らが映画『南京の真実』を制作していること。

こんな日本になってしまったのは、やはりGHQの占領政策とそれに追随した勢力のためだ。

アメリカは、日本が再び強い国にならないことを目指して占領政策を行なった。

GHQの占領政策では言論統制が非常に厳しかった。

国際法に違反して事後法で裁いた東京裁判においても言論統制は厳しかったし、GHQが制作したNHKのラジオ番組『真相はかうだ』などでは滅茶苦茶の嘘を垂れ流した。

アメリカは、このようにして強い日本の出現を封じ込めようとした。

憲法だって占領軍が占領地の憲法を作ることは国際法で禁止されていたが、GHQの厳しい言論統制によって殆ど文句は言えぬまま国を守ることのできない日本国憲法を作られてしまった。

GHQ(マッカーサー)は、日本の強さの要因の一つに天皇の存在があったと考えていたので本当は天皇もなくそうと考えていたが、それは昭和天皇と会談してみて断念した。

ただし、天皇と国民・軍隊との結び付きは弱めることは実行に移し、幾つかの皇族から皇籍を剥奪したり、憲法で天皇の地位を弱めたりした。

日本がマトモな国になるには東京裁判史観からの脱却が必要だ。

安倍首相がそのようなことを言いかけたが、結局はやめて村山談話も踏襲してしまった。

核兵器に関しても、今の日本は「非核3原則」の廃止を真剣に検討する気配もない。


平成19年(2007年)12月
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桑木崇秀先生は、98歳となった今もお元気で、時折「維新政党・新風」の集会にご出席頂き、応援して頂いている。


■動画
国際的な人権団体、スー・チー氏を批判
http://www.youtube.com/watch?v=lqHEIXULwJg


■ニコニコ動画
高山正之 『異見自在』 <蔵出し篇> ビルマ ~アウンサンとウ・ソー(前編)
http://www.nicovideo.jp/watch/1301624742
高山正之 『異見自在』 <蔵出し篇> ビルマ ~アウンサンとウ・ソー(後編)~
http://www.nicovideo.jp/watch/1301548755




「事実を知らない他国の政治家は安易に韓国に同調するな!」