先日、ある方とお話しているときに、元旦の陛下のお勤めについての話になりました。
元旦、陛下はまだ夜明け前から起き出され、「四方拝」、「歳旦祭」のあと、内閣総理大臣や国会両院議長、最高裁判所長官、外国大使などからのお年賀を、まさに分刻みで深夜まで執り行なわれます。
そのすさまじいスケジュールは、宮内庁のHPからもご確認いただくことができます。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/gyoji-h23.html
で、彼は、その陛下のお忙しさに、我々国民が休んでいるときに、陛下は早朝からお勤めをされている。すごいねえ、というご感想だったわけです。
たしかにそれもそうです。
けれど大切なことは、もうすこし別なところにあります。
これが「四方拝」です。
続く歳旦祭(さいたんさい)は、やはり日の出前の午前5時30分から行われます。
ここでは、四方拝を済ませられた陛下が、皇統の繁栄、五穀豊穣、国民の加護を祈念されます。
そしてそのあと、祝賀及びお祝酒、元旦の御膳を召し上がられたあと、祝賀の儀として、各方面からのお年賀を次々とお受けになられるわけです。
このことを、もっとわかりやすく申上げると、天皇は、元旦、つまり年の初めの日の出(旦という字は、日の出を意味します)前に、まず、日本の最高神である天照御御神(アマテラスオオミカミ)、続けて四方の神様を、宮中にお招きされ(四方拝)、お招きした神々に、ご皇室と我々国民の弥栄(やさか)をご祈念されているわけです。
「ご皇室」と「我々国民」の弥栄です。
ここで忘れてはならないのは、我が国においては、天皇と国民は一体である、ということです。だから「公民」と呼びます。
「公民(こうみん)」は、いまでは「公」と書きますが、もともとは「皇民(こうみん)」です。
つまり、私達国民というのは、天皇の民である、ということです。
そして(ここが一番大切なことなのですが)、日本において、古来、奴隷というものがなかったのは、私達一般の国民が、天皇の民、皇民、公民と規定されていたからなのです。
施政者は、天皇が任命します。
その施政者が扱うのは、天皇の民です。
ということは、日本における施政者は、支配者ではない、ということです。
天皇から委託を受けて、天皇の民たちの安寧をはかる人という位置づけになるからです。
このことは、逆に考えたらすぐにご理解いただけます。
天皇という存在がなければ、権力者は文字通り支配者です。
民を殺そうが、民から奪おうが勝手です。
なぜなら支配しているからです。
支配される側にとって、そこに私権など発生しません。
すべての権利を支配者が握っているからです。
欧米における絶対王朝、あるいは支那の皇帝、いずれもそうです。皇帝は将軍や貴族を支配し、将軍や貴族は民を支配する。支配された民たちは、こんどは外国に出て行って、植民地の人々を支配する。
そこにあるのは、ことごとく支配と隷従の関係です。
ところが日本では、権力者を支配者とは誰も思っていません。
会社の上司でも、あくまで一定の権限を与えられている人であって、支配者ではありません。
江戸時代や戦国時代でも、大名も武士も、あくまで、お上から権限を委ねられた者であって、支配者ではありません。
だからこそ、武家で家督を相続しなかった者は、農家でお百姓を喜んでやっているし、農家や商家の出で、家老職などにまで出世した者もたくさんいます。
立場の違い、権限の違いなど、身分の差はあります。
けれどそれは世襲であれ、試験であれ、あくまでも「役割」の違いであって、人としてはお上も庶民も対等です。
よく、板前さんなどの職人さんが、この「俺は、これについてだけは、誰にも負けねえ!」と言いますが、その誰にもの中には、たとえ相手が将軍様であろうが、職人としての腕前にかけちゃあ、俺は負けはしねえという意識があります。
その根底にあるのは、人としては「対等」だという意識です。
日本人が、そのような「対等観」を持ち、また社会の中に奴隷という存在を持とうとしなかった、その原因こそ、天皇の民、公民(皇民)という意識です。
日本人である限り、誰もが対等な「人」である。
それは、天皇という存在と、私達公民(皇民)が、常にセットであるからに他なりません。
つまり、奴隷のいない社会、人として対等な日本社会というものは、天皇という存在があって、はじめて成り立っています。
ですから、天皇の存在を否定するということは、私達が公民(皇民)であるということも、否定することになるということになります。
公民(皇民)でないのなら、私達は、権力者によって支配され、隷属させられる「私民」となるからです。
1月1日の天皇の儀式というのは、その公民(皇民)とセットの存在である天皇が、元旦の、まだ夜が明ける前に、四方の神々をお招きし(四方拝)、その神々にご皇室と公民(公民)の弥栄をご祈念してくださっているわけです。
そしてその天皇は、わが国の最高神、天照大神の直系の血脈の上にあられる存在です。
つまり、天照大神にもっとも血縁関係上、お近い存在である天皇が、私達の弥栄を、まだ新年の世が明ける前に、ご祈念してくださっているわけです。
もっといえば、私達に、奴隷でなく、公民(皇民)という地位を与えてくださっている、その当の本人が、私達公民(皇民)の弥栄、幸せを、わざわざ神々をお招きした上で、ご祈念してくださっているわけです。
こんなにありがたい話はありません。
だから、私達は、新年になり、夜が明けると、そうした天皇や、日本の神様たちに、感謝を捧げに神社に初詣(はつもうで)に行くのです。
ここで気をつけなければならないのが、初詣は、あくまで「初詣」であり、「初参拝」ではない、ということです。
参拝と異なり、詣るという言葉には、感謝を込めるという意味があります。
合格祈願や、病気快癒、あるいは結婚祈願などは、参拝であって、詣ではありません。
元旦早朝に、陛下が皆の弥栄と、皆が食べて行けれるようにとの五穀豊穣を、八百万の神々にご祈念してくださっている。
神々にもっとも近い人が、元旦日の出前に、あろうことか私達の弥栄を神々にご祈念してくださっているのです。
それに対して、知らん顔をするというのなら、それは人間のすることではないです。
陛下がそのようにしてくださっていることに対して、私達が、ありがとうございますと、感謝をしに行く。
それが初詣です。
明治維新は、武家によって起こされました。
世界の革命では、革命を起こした者が、その後の政治の中心、権力の中心者となっています。
ところが日本では、明治維新を起こした武家は、進んで武家の身分を返上して四民平等にしただけでなく、廃藩置県まで実施して、大名という制度まで解体してしまいました。
おかげで、薩長土肥のそれぞれのお殿様で、維新後内閣総理大臣になった人は、いままでのところ、誰もいません。
これは、世界の革命史では、考えられないことです。
なぜそのようなことが日本では、一滴の血も流さずに行われ得たのか。
その答えも、天皇と公民(皇民)という中にあります。
天皇のもと、すべての民は、天皇の民であり、政治権力者は、その天皇から民への治世権を委ねられた者、というのが、私たちの国、日本のカタチだからです。
だからこそ、私達は、常に「対等」であることを求めます。
黒船がやってきて、私達日本人は、欧米列強のあまりの強さに、びっくりしました。
だから国をあげて努力して、彼らと「対等」になろうとし、それを実現しました。
このときに行われたのが、富国強兵です。
けれど、そうやって国造りをしたけれど、大東亜戦争ではその富国も強兵も、米国の圧倒的経済力の前に倒されました。
戦後の日本は、高度成長をしていますけれど、それも、米国経済に、対等になれる日本になろうと、国を挙げて努力した結果といえます。
そこにあるのは、あくまで「対等になろう」という意識です。
目的が対等ですから、追い抜き、追い越せ、とは異なります。
ですから日本は、明治の富国強兵でも、戦後の高度成長でも、対等になるまでの努力はするけれど、相手の上に立とうとか、相手を支配しようとかいう意図は、不思議なほど、まったく持っていません。
いま、支那の脅威がさかんにささやかれています。
国防を強化すべきだという意見も濃厚です。
けれど、極右と呼ばれる人々でも、日本は軍事力を強化して、中共政府を滅ぼし、中共を支配して支那人の富を収奪すべし、などと考える人は、おそらく誰もいません。
中共の軍拡、領土侵犯脅威に対して、これを防ぐに必要な体制を整えよ、という意見しか、まったく見受けられません。
それもやはり、日本人が支配ではなく、たとえどんな相手国であっても、常に対等な立場でいようとしている、そのための言論であり、主張であり、自衛隊の国軍化論です。
日本は、大東亜戦争を戦いました。その大東亜戦争を侵略戦争だという人もいますが、不思議なことに、日本は、植民地支配されている国や、無政府状態となっているエリアには兵を進めていますが、交戦国の国土には、一発の弾も撃っていません。
たとえば、オーストラリアは、日本が兵を進めたインドネシアから、目と鼻の先ですが、では日本がシドニー空爆を行ったかといえば、まったく行っていません。
真珠湾に攻撃を加えたではないかという人もいるかもしれませんが、大東亜戦争当時のハワイは、米国領ではありません。
ハワイが米国領になったのは、昭和34(1959)年のことです。
要するに、大東亜戦争はあくまで自衛のための戦争だったのであり、なぜ戦ったのかといえば、日本は、欧米列強と対等な国であり続けるためであったわけです。
目的が「対等」ですから、日本が占領したエリアには、占領地の住民たちが欧米列強と互角に肩を並べることができるように、教育や教練を施し、さらに行政機構の整備までをもはかっています。
それがあったからこそ、彼らは、戦後、次々と独立を果たすことができました。
要するに、国としても、またひとりの個人としても、日本人の根底にあるのは、常に「対等」意識である、ということです。
たとえ、勉強で負けても、かけっこだったら俺が一番だい!という対等意識が、日本では、日本人の骨肉となっています。
そしてその「対等」意識を日本人が共通意識として持つことができるというのは、すなわち、日本人が天皇の民、公民(皇民)であるからです。
天皇と、公民(皇民)は、常に、一対(いっつい)です。
そのことを思えば、正月に、なぜ、私達が初詣に行くのかも、陛下が夜明け前から、皇室と皇民の弥栄をご祈念されている、ならば、それに対するお礼と感謝のために、神社に詣でて、感謝をしてこようという、日本人の初詣の行動も、ごく自然な行動であるということがわかります。
四方拝のお話から、ずいぶんといろいろなお話に発展してしまいましたが、意中をお汲み取りいただければ、幸いです。