困難乗り越え開発した自衛隊国産ヘリと官製談合事件。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130129/plt1301290708000-n1.htm
富士山近くを飛ぶ観測ヘリコプターOH1(陸上自衛隊提供)
明野(三重県)の空を飛び始めた自衛隊初の国産ヘリOH1。その試験飛行は予想以上に順調に運んだ。プライム企業である川崎重工、そして三菱重工や富士重工それぞれが、昨今は制度上できなくなってしまったが、事前準備をしっかりとしてきたことが功奏したと言えるだろう。
「本当に大丈夫なのか?」
「分からないからやるんだろう!」
試験飛行では、パイロットがヒヤっとする場面も起きる。アイツら、俺たちの命を何だと思ってるんだ! と憤慨した翌朝、何人かの技術者が丸刈りにして来ていたことがあった。
「東大出のエリートのくせに…」
真剣勝負は地上も上空も一緒だと感じた瞬間だった。いつの間にか口に出さなくても互いに何を考えているか分かるようになっていた。
うれしいニュースも舞い込んだ。同機のメインローターに使用された複合材による無関節(ヒンジレス)ローターハブが、ヘリ技術の顕著な功績に対して贈られる米国の「ハワード・ヒューズ」賞を受賞したのだ。米国以外の国では初の快挙だった。この開発を巡る両国の摩擦を考えれば感無量の出来事だった。
そして、月日は流れた-。OH1のプロジェクト開始から約20年、陸上自衛隊で同機の技術を生かした新たな国産ヘリ開発UHX構想がスタートしようとしていた。そんな折に事件は起きた。官製談合法違反で現役自衛官が略式起訴されたのだ。計画は白紙に戻った。
「もうすぐ定年なんですよ…」
かつてOH1の試験に従事したパイロットたち、当時新人だった彼らも教官として後輩を育て間もなく制服を脱ぐ。しかし、心残りがある。それは「物語」を残せないことだ。
「マニュアルにはない大切なことを伝えるのが、われわれの最後の務めだったのです」
なぜ、ここにこのスイッチがあるのか、どのような経緯でこの構造となったのか、細部はともに過ごす現役同士でないと伝えきれないという。
とにかく、戦後わが国の航空技術が完全に失われた中ではい上がり成し遂げた国産防衛ヘリ、その継承の道は閉ざされた。そして当時、チームワークで艱難(かんなん)辛苦を乗り越えた企業は競争入札制度によりライバルになった。
「純国産ヘリを作りたい」が、起訴された2人の動機だったというが、彼らにNOとしか言えないのが今の日本の価値観だ。
明野にほど近い伊勢神宮では今年、20年に一度の式年遷宮が行われる。防衛技術の式年遷宮とはいかなかったが、くじけず諦めず立ち上がってほしい。それが戦後の人々が残してくれた最も大切な「物語」だからだ。
■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。