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毎日にもこんな事書ける人がいるんだな。
サンデー時評:若宮前朝日新聞主筆に反論がある
2013年01月23日
◇岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)『朝日新聞』の論客だった若宮啓文前主筆は先週定年退社されたそうで、一月十二日付の同紙一面に最後の一文を書いていた。
〈「改憲」で刺激 避ける時〉
という見出しである。私はその内容に強い違和感を覚えた。若宮さんは長年の敬愛する友人だが、論争すべきことを避けて通るわけにはいかない。
安倍晋三首相が憲法九条改正による国防軍創設を打ち出したのが不安の直接のきっかけになっている。最初に断っておくが、私は〈自衛隊〉というあいまいな呼称を改め、憲法の規定によって正式に〈国防軍〉と認知するのが当然で、遅きに失しているという考えだ。理由はあとで述べる。
若宮さんもこの論文で国防軍にはっきり反対とは言っていない。ただ、『朝日新聞』は憲法施行六十年にあたって議論を重ねたすえ、〈九条は変えず、自衛隊は軍隊としない方がよい〉と結論づけ、二〇〇七年五月三日の社説で発表している。『朝日』がそういう社論を掲げるのはまったく自由なことだ。
しかし、若宮さんの主張は、国防軍の賛否というより、それによって(1)過去の歴史の正当化や領土問題での強気と改憲が重なれば、周辺国の警戒が高まるのは防げない(2)そうした刺激と反発の悪循環は止めなければならない、という趣旨である。キーワードは〈周辺国の警戒〉で、それを誘発するような改憲とか国防軍創設は賛成しかねるということだろう。
確かに〈周辺国の警戒〉が強まるのは好ましくなく、警戒が敵視に変わり、日本に脅威をもたらすこともあるかもしれない。中国の軍備増強路線、北朝鮮の核とミサイル開発がやはり〈周辺国の警戒〉を強めている時に、日本までそれに対抗しようとすれば軍拡ドミノの歯止めがきかなくなる、という見方もできる。
だが、周辺国の反応よりも大事なのはわが日本国の安全だ。周辺国に気を使っているうちに、日本が危機にさらされるのでは話にならない。気を使いながら、自国の防衛も怠りなく、というのは当然すぎることである。
そこで、自力防衛とは何かが問われる。九条について、若宮さんは〈過去に軍国主義で失敗した日本のメッセージ〉と書いているが、起草者の意図はそんなところかもしれない。しかし、憲法第二章の〈戦争の放棄〉について、特に〈放棄〉の二文字に、私は長年釈然としていなかった。
戦争を断固避けることにまったく異存はない、だが、戦争は軍国主義による侵略戦争だけではない。不当に侵略されることもあるし、不本意ながら戦闘に巻き込まれることもある。その時、立ち向かえば、自衛のための戦争になる。〈放棄〉というのは、それもやらずになすがまま、ということならガンジーの無抵抗主義だ。
続きはhttp://mainichi.jp/opinion/news/20130123org00m010005000c2.html
左翼は国防に関しては議論さえ放棄しろって言うもんな。だったら左翼は強盗に遭おうが家族を殺されようが黙ってじっと耐えろよ。