安倍総理の靖国参拝について。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




合掌土偶(国宝)


草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 




 昨日、赤とんぼの戦いの記事を再掲させていただきましたが、こうして命を捨てて、私達の命を守って下さった方々が祀られているのが、靖国神社です。

終戦まで、私達の国は、そうして戦いで散華された皆様について、靖国神社で祀り、未来永劫顕彰すると約束していたのです。
私達の国が、ということは、それは私達が約束したことでもあるのです。

さて、昨今、その靖国への安倍総理参拝について、さまざまな意見が取り沙汰されているようです。
これは選挙前の国民との約束事でもあります。
約束は守るべきであり、決して曖昧にしたり、参拝そのものを見送ったりしてはならないことです。

この件につきまして、陰陽道陰陽會HPに、たいへん素晴らしい内容にご意見が掲載されましたので、これを転載します。
私も、まったく同感に思います。


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【安倍総理による靖国参拝について】
http://onmyoukai.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-e1d4.html

天皇陛下の靖国神社へのご親拝は、昭和50年11月21日を最後に途絶えています。
また首相の参拝は、昭和60年8月15日から小泉首相が平成13年8月13日に参拝するまで途絶え、その後も近隣諸国からの内政干渉により、首相参拝が困難な状況が続いています。

しかし現在に於いても、例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われています。

陛下が勅使を差し向けると言う事は、ご親拝と同等の大御心と同じであると拝察するものであります。

首相の靖国参拝が困難になったことのきっかけは、中曽根元首相による近隣諸国を慮る誤った配慮によるものです。

ウィキペディアによると、次のように記されています。
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中曽根は1985年(昭和60年)8月15日以後は参拝をしていないが、これは訴訟を理由とするものではなく、翌1986年(昭和61年)の終戦記念日前日の8月14日の官房長官談話によれば、公式参拝が日本による戦争の惨禍を蒙った近隣諸国民の日本に対する不信を招くためとしている。
中曽根は後に、自身の靖国参拝により中国共産党内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという示唆があり、「胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。」、「それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。」と述べている
・・・・・・

第一次安倍内閣に於いて、安倍総理は靖国神社への参拝を曖昧にしたまま、ついに総理就任中参拝することなく、退陣に追い込まれてしまった事は痛恨の極みでありました。

この度、満を持して第二次安倍内閣が誕生し、早期の内に靖国参拝を期待する保守の声は止みません。

総理就任後直ちに参拝するべきとの考えがあることは理解できますが、安倍首相に近い方面から漏れ聞いたところによりますと、
「安倍首相が突発的に参拝をして英雄になるのは簡単であるが真の目的は、常に誰が首相になっても参拝できる状況を築き上げる、そして、最終的には天皇陛下にご親拝戴ける様に道筋を付けたい」との趣旨であるとの事であります。

つまり首相の靖国参拝は突発的に参拝する事は誰でも出来、またそうすることで英雄の如き扱いを受けるのでありますが、それでは真の解決には繋がりません。

今後、続くであろう後の総理そして天皇陛下におかせられましても、何の憂いも無くご親拝頂けることが最も肝要なことであり、その為に安倍総理なりに時期を見計らっているのであるとのことであります。

安倍内閣が組閣されて間もないにも拘らず、靖国参拝を持ち出して直ちに参拝しないことを以て安倍首相が腰砕けになったかのような論調を論ずるのは、敵の策に乗ずるものであります。

また逆を言えば、保守の振りをした工作員が、この旨を以て安倍批判を展開しているに過ぎないのであります。

真の保守であるならば、今後未来永劫靖国神社へ畏くも天皇陛下にご親拝戴くこと、また首相並びに全閣僚が正式参拝する道筋をつける事に協力し、実現していくことが最も重要であろうと考える次第です。

靖国神社へ参拝したかどうかが政治問題になる様な時代に終止符を打たなければなりません。
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いま、日本に必要なことは、日本を取り戻すために、目覚めた保守が団結し結束する、ということです。
そしてその核となるのが、安倍総理です。

すこし考えればわかることですが、わが国に巣食う、反日、売国、在日、左翼勢力にとって、とにもかくにも、いまどうしても阻止したいのが、日本の保守層(実は圧倒的多数の日本人は、根本的に保守)が、安倍総理のもとに大同団結していくことだと、私は思います。

なかでも在日の反日運動家たちは、その運動方針を、かつてのような「暴言をもって保守を馬鹿にし、保守論壇等の抹殺を図る」という形から、いまは「保守になりすまし、《疑問を呈して不信をあおる》ことで保守層の分断を図る」という運動方針に変えてきています。

多くの保守系の方々は、真面目な方々であり、日々を生活のために真面目に生きている人たちですから、不信や不審な点の指摘をみると、その内容について、深く考察することもなく、易々と分断工作に乗せられてしまう傾向もあるといいます。

反日左翼や反日在日運動家や、組織的工作員たちにとって、まさにここがわが国保守層への分断工作の付け目になっているわけです。

要するに、真面目な人たちだから、同じまじめな保守になりすまし、まじめそうに疑問を呈することで、保守内の一本化、まとまりを阻止するわけです。

彼らの常套手段は、ほんの少しでも自分の発言に好意的な人を見付けたら、すかさずその好意的な人の尻馬に乗ることです。

自分が主役となって疑問を呈したら、責任もってその疑問について、自分の言葉で主張を繰り広げ、議論をするという態度ではなく、呈した疑問に誰か賛同してくれたら、すかさずその賛同してくれた人の後ろ側にまわることで、自らの身の安全を図りながら、煽りをエスカレートさせる、という点です。
こういうところに、日本人にはない卑怯さが出てきます。

そして、話が落ち着き、沈静化しそうになる都度、何度でも出てきて、執拗に火を再燃させようとする。

そして自分の発言に好意的な人に対しては、味方としてとことん大事にしているような態度を装う。

これを、執拗に執拗に、何度も何度も、何日も何ヶ月も繰り返し行い続けるというのが、彼らの手口です。
まさに、「つきまとい」「ストーカー」のような手口ですが、そこまでの執拗さというのは、普通の日本人には、とてもできるものではありません。

逆にいえば、普通の日本人にはとてもできないようなしつようなつきまといをするということは、その人が、在日か、在日に翻弄されている危険がある、ということです。

実は、在日のこうした手口は、彼らの古典的な工作手法です。

2001年といいますから、かなり以前に書かれたものなのですが、黒木さんという方が、「メーリング・リストを潰す方法」という小論を書かれています。
ご参考に、ご一読されることをお薦めします。
以下↓で読むことができます。
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