首かしげる地震学者の話。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁





 原子力発電所の再稼働については、地震学者たちが中心となっている委員会が、その判断を左右している。科学的なデータと理論に基づいて、これからの地震を予知してくれるのなら、それは確かに妥当なやり方だろう。だが、果たして今の地震学にそのような予知が可能なのだろうか。また、科学者は中立的だと言い切れるのだろうか。

 私たちは、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震が、いまの地震学ではまったく予知されていなかったことを忘れるわけにはいかない。地震が起こって1カ月ほど過ぎたころ、地震学者たちは新聞などでおずおずと「宮城県沖で想定していた地震をはるかに超え、イメージさえできなかった」「三陸沖での基本的な想定の枠組みが根本から間違っていた」などと語りだした。

 私はこうした率直な告白を勇気あるものと受け止めたが、奇妙なのはその後である。「想定の枠組みが根本から間違っていた」と語り、さらには政府事故調査委員会のヒアリングで、それまでの自説を否定し「現時点では津波地震発生のメカニズムは不明」と述べた地震学者が、昨年の秋には「30年以内に20%の確率で起こる」と予測していたのにそれを「圧力」によってつぶされたと、ある新聞で言い出したのである。

自分の理論が間違っていたことを認めたのに、実は自分は予測しており、それを潰されたのだというわけだが、理論が間違っていたのに、どうして予測が当たっていたことになるのだろうか。政府事故調や新聞もこの地震学者に「圧力」をかけたとでもいうのだろうか。

 地震予知に対しては、同じ地震学者や確率論を専攻する数学者などから疑義が提示されてきた。たった4例の地震から「30年以内に88%の確率で起こる」と主張したり、最近では突然、首都圏で「4年以内に70%の確率で起こる」と発表して都民を震え上がらせるなど、理論的な基礎や軽率な言動において、首をかしげるような話が多いのである。

 日本の地震予知は、これまで的中したことなどないから、巨額の国家予算は無駄だという人は少なくない。とはいえ、ある程度まで地震予知というものが成立するなら、多少の先行投資は目をつぶってもよいだろう。しかし、東日本大震災の批判がもっぱら原発だけに向いて、地震学者たちの失態は不問に付されていることをいいことに、矛盾だらけの言動をものともしない学者や、スタンドプレーを行う学者をはびこらせるわけにはいかないのである。

イタリアでは地震予測が甘すぎたというので、地震学者7人に禁錮6年の刑が言い渡されて話題になったが、私はこれもばかげた判決だと思う。おそらくイタリアでこれから横行するのは過大予測であろう。甘いために非難されるのなら、思いっきり過大な予測をしておいたほうが安全で、そのほうが楽でもある。それはいまの日本を見れば分かる。

 先ほどの「4年以内に70%」という数値も学閥が異なると「5年以内に28%」になってしまうという。いまの原発再稼働を左右する各種委員会は、こうした地震学者たちの判断にあまりに重きを置いているように思える。地震学を無視しろというのではない。委員会の構成を再検討すべきなのだ。

                             (ひがしたに さとし)