【再び、拉致を追う】
第4部 日米関係の中の拉致事件(5)米国編
北朝鮮の日本人拉致事件への対応では北への経済制裁が一貫して大きな要素となった。金正日総書記が拉致を認めたのも経済援助への欲求が動機だとすれば、経済面で苦痛が増すと、日本人のさらなる解放にも応じるという計算には理があった。
その経済制裁でも米国の措置が一つの模範例となった。米国政府は2005年9月にマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア(BDA)」の北朝鮮関連口座を凍結した。北朝鮮が違法行為で得た秘密資金を押さえたのだ。違法行為とはドル札やたばこの大量偽造、覚醒剤の日本への巨額の密輸出、兵器の密輸出や人身売買、拉致などである。
米国のブッシュ政権は03年秋に「北朝鮮作業班」をひそかに組織し、北の違法活動の摘発を始めていた。BDAの口座凍結はその一端で、これにより金総書記自身への外貨の流れを止めたという。各種の制裁でもこの凍結措置が北指導部に最も手痛い打撃を与えたとされる。だから金総書記は必死でその解除を求め、核兵器開発で譲歩の構えをみせた。
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北朝鮮作業班の中核として働いたデービッド・アッシャー元国務次官補顧問が語る。
「私たちが標的とした北の労働党作戦部、偵察総局、35号室など金総書記直轄の諜報工作機関こそが対外的犯罪の主体で、そのなかには日本人拉致に関与した人間や組織も含まれていた。その種の工作員を世界規模で一網打尽にすることが目標だった。成功すれば必ず日本人拉致の解決も進められたはずだ。だがブッシュ大統領はコンドリーザ・ライス国務長官らの意見を受け入れ、この北朝鮮の犯罪摘発自体を中断してしまったのだ」
ブッシュ政権は2期目の終わりに近い08年10月、北朝鮮を「テロ支援国家」の指定リストから外してしまった。日本人拉致の解決なしには解除はしないという明言をほごにしていた。この軟化路線に沿って米政府はBDAの口座凍結も解除した。
米国は軟化で北の核開発で大きな譲歩を勝ち取れると判断したのだった。ライス長官の意を受けたクリストファー・ヒル国務次官補が軟化の先頭に立った。アッシャー氏はこの軟化路線に抗議して政府の役職を辞任した。日本側からも強い抗議の声が起きた。日本人拉致解決への日米共闘の歩調の乱れだった。「拉致か、核か」の優先順位での両国の立場の食い違いでもあった。
しかし実際は、北朝鮮が放棄したのは核兵器用プルトニウム抽出だけで、秘密裏に濃縮ウランからの核づくりを進めていたのだ。
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オバマ政権時代となっても日米の協力は続いている。同政権は北の「テロ支援国家」の再指定こそしなかったが、日本人拉致の解決に前向きの姿勢を示した。
「家族会」「救う会」の代表はほぼ毎年、訪米し、アピールを続けてきた。訪米団には超党派国会議員の「拉致議連」の代表も加わり、11年7月には上院民主党長老のダニエル・イノウエ議員(故人)に初めて会って全面協力の約束を取りつけた。
11年5月にはワシントンで米民間機関「北朝鮮人権委員会」が北の拉致が日本人だけでなく朝鮮戦争時の韓国人連行など計14カ国18万人にのぼるという調査結果を公表した。その場に参加した「家族会」の増元照明事務局長は日本の窮状を改めて訴えた。
下院外交委員会では昨年4月、共和、民主両党の主要議員が「米国は同盟相手の日本が最も懸念する拉致の解決を核やミサイルの課題と切り離さない」と宣言した。
こうした軌跡を重ねてきた米国の協力は多角的な効果を着実に発揮してきた。日本人拉致事件はなお解決せず、その主体はあくまで日本側である。しかし拉致事件における米国との共闘は日米関係の一角にユニークな一章を刻んできたことも事実である。
(ワシントン 古森義久)=第4部おわり