対等
さて、正月三日となりました。
新春を寿ぎ、今日は「日本は対等を尊ぶ社会である」ということを書いてみたいと思います。
いまから1400年の昔、日本が推古(すいこ)15(607)年の第二回遣隋使(けんずいし)で、隋の皇帝煬帝(ようだい)に宛てた国書の中に、
「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。 つつがなきや」
と書いたことは、有名です。
このことも有名な話で、なぜならそれは隋の歴史書に、そのように書かれているからです。
自国にとって不満なことをわざわざ書いているのですから、このことがあったのは、まちがいなく事実であったことでしょう。
ではなぜ煬帝(ようだい)は怒ったのでしょうか。
これについて、日は東から昇って西に沈むから、日本が上で支那が下であるという意味だから怒った、などと解説している学者がいましたが、馬鹿な話です。
なんでもかんでも上下関係の階級闘争で捉えようとするから、目が曇り、解釈を間違えるのです。
そもそも東も西も単なる方位です。
東西に上下はありません。
では「天子(てんし)」という言葉に怒ったのでしょうか。
書は、「東の天子」「西の天子」と述べています。
東と西が対等なら、東西ともどちらも「天子」です。
これまた対等です。
要するに、日本の国書は、国と国として、互いに対等と述べています。
これに対して煬帝は、怒ったのです。
つまり「対等」であるという日本の主張に怒った。
ここに支那と日本のマインドの違いが明確に現れています。
支那は古来、何から何まで上下関係にしなければ、納得もできなければ、安心もできないという国です。
国柄もそうなら、人と人との関係においてもそうです。
全てにわたって上下関係が構築されていないと気がすまない。
上下関係というのは、支配するものとされる者の関係を意味します。
もっというなら、「支配する者」と「隷従する者」の関係です。
「隷従」ですから、上に立つ者は、下の者に対して、ありとあらゆる我儘、傲慢が許される。
そしてひとたび下になれば、人ではなく、モノとして扱われ、全てを奪われても文句を言えない。
それが彼らにとっての、上下関係です。
したがって、国家においても家庭においても友人関係においても企業においても、全ては上下関係が基礎になります。
だから上になったものは、贅の限りを尽くすし、下の者は抑圧される。
そして抑圧は、社会のストレスになり、それがときに暴発する。
その暴発が快感となり、伝播し、ついには政権そのものを打ち倒してしまう。
支那や朝鮮の歴史は、まさにその繰り返しでした。
それが中華文明というものだし、中華文明の影響下にあった朝鮮の文明です。
これに対して日本は、というより日本人は、どんな相手に対しても「対等」であることを尊ぶ国柄です。
なぜそうなるかといえば、日本人は、古来一貫して陛下のもとにある「公民」だからです。
もちろん身分や立場の違いはあります。
けれどそれは主として「役割の違い」です。
男と女、年長者と若者、武士と職人、町民と農民、頭のいい子、勉強のできる子と、勉強はイマイチだけど運動や体力に優れた子、それぞれに違いはある。
その違いを互いに尊重しあい、互いに出し合って、協力しあい、支えあって社会を築く。
このことは、国家社会も、企業社会も、あるいは家庭内においても同じです。
どういうことかというと、日本社会はオーケストラにたとえることができます。
オーケストラに使われる楽器は、たとえばコントラバスとバイオリンでは、同じ弦楽器でも音が違うし、バイオリンとトランペットでは、演奏の仕方も出て来る音もまったく異なります。
同じ打楽器でも、シンバルと大太鼓では、出せる音がまるで違う。
その楽器同士が、互いに、俺は高い音を出せるけれど、お前は低い音しか出せない、だからオレの方が偉い、などとやるのは馬鹿な話です。
互いにその楽器の特徴を出し合って、みんなで力を合わせて、素晴らしい音楽を演奏する。
ひとりではできない、壮大な音楽を奏でる。
ですから指揮者が偉いわけでもありません。
指揮者も演奏家も、相等しく対等な関係です。
ただ、役割が違う。
役割の違いを、互いにきちんとわきまえ、それを互いに大切にする。
そうすることで、みんなが力をあわせ、より良い交響楽を演奏する。
そして演奏する交響楽団が、素晴らしい名演奏ができるよう、聴衆客も、演奏する楽団と一緒になって静かにこれを聴き支え、終われば万来の拍手で、これを讃え、支える。
楽器同士、演奏家と指揮者、楽団と聴衆、そしてその演奏が行われる会場の運営者、掃除のおばちゃんに至るまで、みんなが互いにできる、最大限の努力を惜しまず、これを支えあう。
それが日本式です。
東日本大震災のあと、日本人が整然とコンビニの前に並んでいる姿を見て、世界の人々が驚愕しました。
それは日本人が「礼儀正しい」からではありません。
日本が「対等」を尊ぶ社会だからです。
支那や朝鮮のように、上下関係が軸になる社会なら、力の強いもの、権力のある者が平気で「横はいり」する。
「横はいり」されたら、順番を待っていたら、食い物にありつけない。
だから並んでなんていられないのです。
力づくででも、先に奪おうとする。
そうしなければ、生き残れないからです。
日本はそうではなく、みんなが対等に支えあうことをもって、みんなで食をつくり、みんなで分け合うことを軸にしてきた社会です。
ですから、列に並ぶ時は、力の強い者だろうが、権力者であろうが、対等です。
国民みんなが互いに「対等」という意識を共有しているから、安心してちゃんと順番に並んでいられる。
それが日本です。
ですから国と国との関係も「対等」です。
推古天皇は、隋の煬帝に対して「対等」宣言をしましたが、同様に先の大戦前の日本は、朝鮮半島に対しても、台湾に対しても、あるいはマレーやフィリピン、シンガポール、インドネシア、パラオなどの南方諸島の島々、そして支那大陸、満州等において、それらの国と対等な関係を築こうとしました。
そしてそれらの国が、まだ近代化に遅れ、人々の教養や国家インフラが整っていなければ、それらをむしろ日本の国費をもって積極的に整えようとする。
なぜなら、そうすることで、互いに「対等」な関係を築くことができるようになり、共に栄える、つまり共栄が可能になるからです。
そしてそうした日本の行為は、結果としてそれら諸国を、西欧諸国によって植民地支配され、隷従させらていた状態から脱皮させ、見事、民族の独立を果たす近代国家に蘇生させるという偉業を成し遂げています。
人と人の関係や、国と国との関係を「対等」という概念でみることができない支那人、朝鮮人は、その日本との関係を、だから「上下関係」で推し量ろうとする。
だから、世界一般の目で見れば、およそ考えられないような優遇を日本から受けていながら、それを「植民地にされた」と規定し、「恨」をもって日本と対抗しようとする。
馬鹿な話です。世界はとっくにそういう支那、朝鮮を見限っている。
江戸時代、武士には「斬り捨て御免」が許されました。
百姓町民は、無礼があれば、武士は斬って捨てました。
それは身分制であり、差別であり、上下関係ではないかという人がいます。
大きな間違いです。
江戸武士には、もちろん「斬り捨て御免」が許されましたが、その代わり、武士は大小二本の刀を差すことが義務づけられました。
なぜ「斬り捨て御免」の代わりに「大小」なのか。
大刀(長い方の刀)は、もちろん無礼打ちに相手を斬り殺すためです。
小刀(短い方の刀)は、そのあと、自ら腹を斬るためのものです。
たとえどんな無礼があったにせよ、人を殺めた以上、その責任をとって自刃(じにん)する。
その覚悟のもとに、無礼打ちが許されたのです。
だから武士は大小二本の刀を腰に差した。
つまり、武士と町民、武士と農民は、互いに人として「対等」であるということです。
そういう日本人にとって、身分は秩序のためのものです。
上下関係ではない。
ためしに会社の経営者の社長さんに「あなたは偉い人ですか?」と聞いてみたらわかります。
日本人の社長さんなら、100人いたら100人とも、
「とんでもない。偉くなんかないです。『エライ』だけです」と答えることでしょう。
「エライ」というのは「しんどい」という意味です。
責任が重くてしんどい。
なぜならそれは、人として対等な部下に対して、あるいは取引先に対して、重大な責任を負っているからです。
そういうマインドを、日本は、日本人は、1400年以上も昔から、綿々と築きあげてきたのです。
その日本を自虐史観で頭ごなしに否定するということは、人と人とが「対等」であることも、国と国との間に「対等」な関係を築くことさえも否定する、ということです。
私には、自虐史観が人々に幸せをもたらす歴史認識とは到底思えません。
同様に、歴史を学ぶということは、誇りを取り戻すとかそういうことでもないと思います。
曇りない目で謙虚に過去の歴史を学ぶことで、私達は、現代をより良く生き、未来を築いていくことができる、そこが大事なのだと思っています。
それは「誇る」ということではなく、真実を知り、未来に活かすということです。
歴史は、威張るためのものでもなければ、他の人や他の国に対して優位に立とうというようなものでは、決してない。
なぜなら日本は、あくまで「対等」であることをたいせつにするという文化を、千年以上もの長きにわたってたいせつに育んできた国だからです。
夫婦も対等、親子も対等、上司と部下も対等。
ただし、身分の違い、役割の違いは、明確にある。
そしてその違いを互いに明確に認識することで、きちんとした秩序を形成する。
そして秩序は、多少の不自由さを人々に求めるけれど、それがあるがゆえに、みんなが安心し、互いを尊重して暮らすことができる。
そういう日本をあらためて見直すことが、わたしたちが現代を生き、未来を築く礎となる。
日本を取り戻すとは、そういうことであると私は思います。