西村眞悟の時事通信 より。
平成二十五年、皇紀二六七三年、一月一日、
明けましておめでとうございます。
謹んで、
御皇室の彌榮と日本国の安泰を
祈り申し上げます。
そして、諸兄姉のご健勝とご多幸を祈りもうしあげます。
また、本年も、この拙い時事通信に対し、ご批判と叱咤激励をお願い申し上げます。
私は何年間も、週に二回、仲間とともに早朝の駅に立ってビラを配り時々のお訴えをさせていただいてきましたが、
例年元旦には、その仲間とともに、各神社を訪れて参拝者に新年の挨拶をさせていただくことにしておりました。
そして、本年の元旦も、朝、事務所近くの野々宮神社で仲間と合流し午後三時までに五カ所の神社を訪れました。
本年が例年と違うところは、例年は、主に神社に参拝する人々に新年の挨拶をしていましたが、今年は我々自身が参拝することに重きをおいたことです。
そこで、本日午後に参拝した三社のご祭神について触れたいと思います。
堺市南東部の桜井神社のご祭神は、仲哀天皇と応神天皇そして神功皇后です。
私は、国宝の桜井神社拝殿の右にある石に刻まれたご祭神の名を眺めてから本日最後の参拝となる堺市西部にある日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭る鳳大社に向かいました。
またこの桜井神社と鳳神社の中間点にあるのが素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祭った多治速比売神社(たじはやひめ)です。
素戔嗚尊は、天皇家の祖である天照大神の弟で、
日本武尊は第十四代仲哀天皇の父、
第十五代応神天皇は仲哀天皇の子で私の家の近所に御陵がある第十六代仁徳天皇の父。
ということは、本日元旦に多治速比売神社、桜井神社そして鳳神社に参拝していた実に多くの人々は、等しく家内の安全と幸福と開運を願っていたのだが、全て天皇家の祖に対してそれを願っていたことになります。
従って、本日私たちが接した初詣の人々は、老いも若きも全て天皇家を自分たちの本家として、その本家の祖先、皇祖皇宗に人生の幸せを祈っていたことになる。
これが初詣に顕れた天皇を戴く日本の国の姿だと思います。
実に、ありがたい国です、日本は。
さらに、元旦に申しておきたいことは、憲法第七条により天皇が招集される国会において、天皇のご臨席のもとに行われる国会の開会式のことです。
旧臘二十八日午前十一時から、
天皇陛下が参議院本会議場の玉座にお座りになり国会の開会式が行われました。
所要時間十五分弱、まさに簡素にして威厳あるものです。
参議院本会議場に参集した内閣総理大臣以下閣僚と衆参の全議員は、天皇陛下が入場されてから退出されるまで起立したままです。
そして天皇陛下、ご入場のとき、ご挨拶を賜るとき、退出されるとき、全て前傾姿勢で低頭します。つまり、我が国の内閣と国会(行政と立法)は、天皇の「権威」の基に等しく謹んでいるわけです。
これが、「総体としての我が国統治の姿」なのです。
即ち、我が国の統治機構は、
万世一系の権威の基に機能しているのです。
さて、この度の総選挙において当選した議員は、天皇が招集された国会に参集し、二十八日にこの開会式に臨んだのですが、この開会式が、初当選議員に、国政が如何なる権威を戴いて動いているのかを目に見える形で示す最初の機会となったのです。
そこで、初当選議員が一番多いのが日本維新の会と自民党であろうと思われるので、この点についてご報告しておきますが、
それは、彼等初当選議員は、全員、二十八日にこの開会式に臨んだということです。従って、これで、彼等は大丈夫です。
もうお分かりだと思いますが、天皇陛下が、直に接する者に与える感化力は実に計り知れません。
天皇陛下が参議院本会議場に入場されてから涙が溢れてきたという新人議員がいます。
終戦直後の昭和天皇の全国行幸の時も、
今上陛下が昨年の東日本被災地にお見舞いに行かれた際も、
天皇に接する人々は等しく涙がでるほど感激して戦災地、被災地に明るい秩序が甦ってきたといわれています。
そして、旧臘二十八日の国会の開会式においても、
天皇陛下は、参集した衆参議員、とりわけ日本維新の会と自民党の新人議員に、深い感動を国会議員の地位についての自覚とともに与えられたのです。
従って、彼等新人議員に関しては、地方分権ばかり主張し官僚攻撃ばかりで国家観がないという批判があったことは確かですが、昨年師走二十八日に天皇陛下の開会式を体験した以上、もう大丈夫だと申し上げておきます。
彼等はそれだけの資質をもっています。三年数ヶ月前の「生活第一」の風に乗った新人たちとは根本的に違います。
彼等は、国会の開会式を「体験」し、
「天皇の国の国会議員」として新年を迎えたのです。