アセンションと天の岩戸。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




アセンションというのがこの12月に起こって次元が上昇するのだそうです。
残念ながら私には、そういう話はよくわかりませんが、次元上昇というお話なら、実は日本神話の中にちゃんと書いてある。

今日は、そんなお話をしてみようと思います。


日本神話の解釈をめぐっては、様々な説があって、そのどれもが素晴らしいと思います。
ここでの解釈は、先般の第一回日本史検定講座における教室講座で、藤岡先生があらためて丁寧な講義をしてくださったお話を、私なりに編集し、綴ってみたものです。

先生の講義が、あまりにも素晴らしく感動的で、ですから以下の文は、その講義を聴いて、私自身が「なるほど、もしかするとこういうことなのかもしれない」と感じたことです。
あくまでも所感文としてお読みいただければ幸いです。

どういうお話だったかと言うと、スサノオの暴行にショックを受けたアマテラスが天の岩戸の中に引きこもり、ありとあらゆる厄災が起こる。困った神様達が相談して、アメノウズメがダンスを踊り、なにごとかと岩戸から顔をのぞかせたアマテラスを、天手力雄神(アメノタチカラオノカミ)がアマテラスの腕を握って、岩戸から引っ張り出したというアノお話です。

アマテラスの岩戸伝説には、その前に伏線があります。
どうしてアマテラスが「ひきこもり」をしたかということです。

はじめ、実弟のスサノオが、天上界にやってきます。
彼は、本当は海の神様です。
けれど、お母ちゃんが恋しいと泣いてばかりいて、神様としての仕事を全然しない。
で、父親のイザナキから海を追い出されてしまうわけです。

行き場を失ったスサノオは、天上にいる姉のアマテラスに会いに行く。
ところがスサノオは、いまで言ったら高校生くらいのやんちゃざかりの年頃で、しかもアントニオ猪木のような大男の暴れん坊です。
それが父親に追い出されたストレスを、おもいきり感情にあらわして天上界いるアマテラスのもとまでやってくる。
その姿は、地面をドスンドスンと踏みならし、まるでけんか腰の殴り込みのようです。

驚いたアマテラスは、これはきっとスサノオが天上界を乗っ取りにきたに違いないと誤解します。
で、手に弓を持ち、完全武装してスサノオを出迎える。

スサノオはびっくりします。
で、ウケヒという、一種の丁半博打のような方法で、自分に異心がないことの証明をしようとする。
結果はもちろん、スサノオに異心がないと出る。

ところが、詳細は省きますが、アマテラスは、これをまるで後出しジャンケンのような理由にならない理屈をつけて、スサノオの証明を却下してしまうわけです。
怒ったスサノオは、天上界で暴れ回る。

でも、アマテラスは、そんなスサノオを罰することができません。
なにせ、スサノオが暴れている原因のひとつは自分にもあるのです。
だからアマテラスは、むしろ暴れて天上界の人々(神々)を困らせているスサノオを擁護します。

ところが・・・アマテラスに「叱られない」と思ったスサノオは、ますます増長してやりたい放題。
しまいに、はずみで、機織りの娘を殺してしまうのです。

ただ暴れているだけなら、擁護のしようもあります。
けれど、自分が原因で死者まで出たとなると、これは大問題です。
そこで、アマテラスは、岩戸に隠れてしまう。

この「岩戸に隠れる」という行動は、単に「ひきこもり」をした、ということとは、実は少し違います。
どういうことかというと、「隠れる=篭(こも)る」という行為は、そこで心静かに自らを反省する、という意味をもつからです。
日本には、禅がはいってくるはるか以前から、そういう「内省をする」という方法が確立されていたのです。

ちなみに学校で悪いことをすると「自宅謹慎処分」になります。
自宅謹慎というのは、学校に行かず、自分の家でテレビゲームをして遊んでていい、ということなどではありません。自分で自分を心静かに反省する。
自分自身を内省し、見つめなおす。
日本神話に依拠する教育方法のひとつなのです。

要するに日本神話と自宅謹慎処分とは表裏一体となっているわけで、一方で神話を教えず、自宅謹慎という制度だけが適用されても、何の意味もない。
これも現代教育の歪みのひとつです。

さて、アマテラスが岩戸に篭って謹慎してしまうことで、天上界にも、地上にも、ありとあらゆる厄災が起こります。
魑魅魍魎が跋扈し、正義が不正義とされ、人々は困窮のまっただ中に置かれてしまう。

いるときは「あたりまえ」と思っていたことが、いなくなってその偉大さに気付くということは、実際よくあることです。
これはまるで、戦後日本のようなものです。

かつての日本は、東亜の平和と自主独立、そして世界から植民地の廃絶と人種の平等をもたらし、さらに小麦の生産量を従来の3倍にあげて世界の人口を3倍にするという大偉業を成し遂げました。*1

*1 日本が開発した小麦の新種で、世界の小麦生産高が3倍になり、おかげで世界の人口も3倍になりました。
人口が増えるということは、「食える」ということだからです。

けれど、そうはいっても戦争でたくさんの命が失われたのは事実です。
それはもちろん意味があってのことだったけれど、その悲しみの深さのために、日本は戦後ずっと謹慎したままとなっています。
おかげで日本には、左翼や在日という魑魅魍魎が跋扈し、庶民から富と思考力を奪い、大震災まで起こっています。
まさに、闇夜に閉ざされたままになっている。

そんなわけで話をもとに戻しますが、高天原では、なんとかしてアマテラスに岩戸から出てきてもらって光をとりもどそうと、神々が相談します。
そして神々の中でも知恵者として知られるオモイカネが作戦参謀になり、アマテラス復活大作戦が展開される。

そこで行われたことは、まず、神々が集まって、大宴会を開く。
そこでアメノウズメが、ダンスを踊る。
興が乗って来ると、ウズメのダンスはますます激しくなり、両の乳房を揺らし、着物の前がはだけて、下半身までチラチラと見えて来る。
神々は大喜びして、ドッとはやしたてます(これは、なるべくしてなることです)。

すると自分がいなくなって外界は真っ暗闇に閉ざされているはずなのに、外が何やら騒がしい。
歓声はするし、おおはしゃぎしています。
アマテラスは気になって、「どうしたのですか?なにかあったのですか?」と岩戸の奥から声をかけます。

すると、岩戸の外で待機していた神が、
「アマテラス様より、ずっと立派な神様がお越しになったのです。それでみなの者が、あのように騒いでおります」と答えるわけです。

天上界随一の自分より優れた神!!
気になったアマテラスは、そっと岩戸を開け、外をうかがう。
するとそのとき、待ち受けた別な神が、アマテラスの前に大きな鏡をパッと差し出します!

実は、このお話の中の最大のポイントがここにあります。
鏡に映ったのは誰でしょう?

それはアマテラス自身の姿です。
けれどアマテラスは、そこに映った自分の姿を見て、「あら、ほんとうにすごい神様がやってきたのね」と、びっくりするわけです。

これ、どういうことかというと、謹慎して自省したアマテラスは、そこで精神世界で大成長を遂げた、ということなのです。
スサノオを迎えたころのアマテラスも、もちろん天上界の統治者です。
けれど、岩戸での謹慎後のアマテラスは、それ以前のアマテラスとは比較にならないくらい、偉大な神にご成長されていたのです。

その成長した自分の姿を、アマテラスは鏡で見た。
その姿は、それがまさか自分とは思えないほど、成長した立派な神様のお姿であられたわけです。

そこをすかさず手力男神が、岩戸をこじ開け、アマテラスを外に引き出す。
そしてこの事件をきっかけとして、アマテラスは、まさに天上界におけるほんものの偉大な神となるわけです。

つまり、これが何を意味しているかというと、アマテラスは自己謹慎することで、まさに神としてのステージを二段も三段も駆け上り、より次元の高い神様に成長した、ということです。

私は、こういうことが「アセンション」、つまり「次元上昇」ということなのではないかと思う。
ですからそれは、三次元の物体が四次元世界に移動するとかそういうことではなくて、精神世界の次元が成長する。
一段、高いステージに格上げになる。
そういうことを言うのだろうと思うのです。

物理学的には、三次元が四次元になると、時空間を自在に飛び越えることができるようになるのだそうです。
ひらたくいえばドラエモンの「どこでもドア」で、人はあっちでもこっちでも、自由自在に行き来できる。
それなら世の男性諸氏にとっては、いつでも女風呂を見に行けるので大喜びかもしれないけれど、そういう低次元の願いは決して叶わない。
現実的問題として、三次元の世に住む我々が、いまこの瞬間にどこかに瞬間移動するのは、物理学的にも無理な話です。

けれど、それを物理ではなく、精神ステージと考えれば、その精神世界のステージが上昇することで、いままで見えないものが見えてきたり、わからないものがわかるようになったり、いままで違った何かが起こったり、ということはある。

要するに、次元が上昇するというのは、心のステージが向上することなのではないか、そして心のステージが一段、二段と向上するすることで、人は成長するのだし、世の中も変わるのだ、そういうことではないかと思うのです。

三年前の衆院選のとき、選挙前の政治討論番組は、軒並み視聴率が20%を越えました。
ところが今回の選挙では、よくてやっと10%です。
駅の売店で売られる夕刊紙は、相変わらず小沢爆弾発言など、センセーショナルな大見出しが踊っていますが、その新聞を買って熱心に電車内で読むサラリーマンの姿は、ほとんど見かけません。

そういえばある政党は、最近まで反原発をうたっていたのですが、支持者からのアンケートをとったら、なんと8割が原発維持すべきと答えたのだそうで、慌てて原発反対を党の政策から外したそうです。
電力がなくては困る。あたりまえの結果です。
要するにその政党は、党首以下執行部の全員が、身近なメディアに踊らされていたわけです。
すでに日本人は、真実に気付きつつある。
要するに、日本人のステージが上がったのです。

メディアが、これだけ総力をあげて、自民党を引きずり降ろし、原発の稼働を止めさせ、平和憲法維持、日本の右傾化を警戒などとはやしたています。
そして政策が大事とかいいながら、従来通りのイメージ選挙にもっていこうとしている。

けれど3年前の衆院選以降、その選挙前「政策」というものが、いったいどういうシロモノなのか、すでに日本人は気付いています。
北のミサイルが飛んで、いくら平和憲法をもっていても、相手国が攻めて来たら、平和憲法なんて何の意味もない。
そういう現実に、多くの人々が気付いている。

原発反対、原発即停止、活断層云々と、あたかも人々の命を守る平和の党のようにいくら装っても、実は、原発停止は発電機が停まっているだけで、原発の炉心は相変わらず動いている。
そもそも福島原発の事故は、活断層地震ではなくて、津波による二次災害です。
そうした議論のすり替えにも、もはや日本人は気付いている。

「気付く」ということは、ステージが上がる、ということです。
そして気付いたら、最早、後戻りすることはない。
日本人の民度は、本来、高いのです。

もうすこし大きな目でみると、さらにおもしろいことがわかります。

さきほどスサノオが高天原で暴れたとき、機織り(はたおり)の娘さんを殺してしまったと書きました。
スサノオが、皮を剥いて血まみれになった馬を、織物を造っている機織殿の天井から放り込んだからです。

織物殿というのは、並んだ縦糸の間に横糸を通して、糸から布を仕立てるところです。
縦糸の間に、先の尖った棒状の器具を通して布を織る。
このとき、血まみれの馬が暴れて、機織りの娘は、陰部にその棒状の器具が刺さって死んだと神話には書かれています。

けれどこれ、どこかで聞いた話と思いませんか?
昭和3(1928)年の斉南事件です。
詳しい話は、過去記事にありますので、そちらをご参照下さい。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-597.html

この事件のとき、日本人女性が支那の暴漢達に襲われ、恥部に棒を刺されて殺されています。
そして、この事件以降、日本は、まさにアマテラスがお隠れになられたような試練が続くことになりました。

通州事件が起こり、支那事変に突入し、大東亜戦争になり、原爆が落され、地震が起き、原発が被災しました。
多くの人命が失われ、日本社会は、正邪が逆転し、教育勅語などの我が国の伝統文化に立脚した多くのものまで失われた。

そして真実は、なにか薄いベールのようなもので覆われて、人々にはっきりとその姿が見えず、政界や企業の中には、左翼や在日という魑魅魍魎が幅を利かせるようになっていきました。

まさに、アマテラスがお隠れになられている、そんな状態です。
つまり、昭和の初め頃から、アマテラスは岩戸にお隠れになったままでいる。
地上の厄災は、その後、戦中、戦後と、ずっと続いています。
これって1300年前に書かれた神話そのものの再来みたいにもみえます。

けれど、八百万の神々は立ち上がりました。
みんなで知恵をしぼり、力を合わせて、再び天の岩戸を開いたのです。

そして出て来られたアマテラスは、それ以前とは比較にならないくらい立派な天照大神となられました。

で、思うのです。
もしかすると今回の衆院選というのは、もしかすると神話の再来なのかもしれません。

「天の岩戸が開く」
いま、私達は、その時代を開く、まさにその瞬間に、日本人として、当事者の一員として立会おうとしているのかもしれません。

果たして、現代におけるアメノウズメは、どなたなのでしょう。
オモイカネは誰なのでしょう。
天手力男神は、どなたでしょう。

いろいろな人がいろいろな役割をし、そして天の岩戸が開かれる。

開かれると言うことは、この世に、再び光が戻る、ということです。
光が戻るということは、暗闇に閉ざされて、いままではっきりと見えなかった真実が、白日の下に晒され、誰の目にも明らかになる、ということです。

中共の横暴、韓国のデタラメ、在日や左翼の嘘、そういうものが、次々と明るみに出る。
これまでメディアではまったく取り上げませんでしたが、中共のウイグル地区で行った50回にも及ぶ原爆の地上実験、ウイグルやチベットでの虐殺、韓国のベトナムでの暴虐行為、支那事変当時の中共の蛮行、あるいは韓国が朝鮮戦争やベトナム戦争で行った蛮行の数々、戦後日本に起こった様々な凶悪犯罪の犯人の本名等々。
それらがこれから次々と白日のもとに晒される。

そうなったら、世界はどうなるのでしょう。
日本はどうなるのでしょう。
世界は、日本は、民衆が、どういう行動に出るのでしょう。

岩戸から出てきたアマテラスは、蛮行を働いていたスサノオを、高天原から追放しました。
そして地上に降り立ったスサノオは、八岐大蛇を退治しました。
これは、日本に巣食った凶悪犯や、左傾化し、日本人を貶めた文化人と称する凶悪犯たち、あるいは不法に駅前の一等地の土地を占拠している在日犯たちが退治される、ということなのかもしれません。

スサノオは、八岐大蛇のシッポから出てきた剣を、アマテラスに献上しました。
これが草薙の剣で、日本の三種の神器のうちのひとつです。

これは、在日や左翼が不法に占拠し、独占した利権の数々、そうしたものが剥奪され、再び、日本人のもとに還るという暗示なのかもしれません。
そして神話では、草薙の剣の献上によって、地上と天上界が再び結びつき、神の子の国、日本は、新たな発展を遂げるのです。

アセンションというのは、たぶん、魂のステージがあがることを言うのだろうと思います。
そして魂のステージがあがるということを昔の人は、「ひとつ利口になる」といいました。
そして「ひとつ利口になる」ことによって、新たな時代が始まる。

アマテラスやスサノオが産まれたのは、イザナキが黄泉の国と決別し、この世とあの世の境をきちんと立てたときでした。
そしてそういう境を築く、つまり条理を築くことによって、スサノオは次のステージへとあがったから、アマテラスやツクヨミ、スサノオが産まれています。

ステージが上がるということは、新しい時代が始まるということでもあるわけです。

アセンションは、12月12日から21日までの間に起こることなのだそうです。
そしてその間に、世間では何があるかといえば、衆院選です。

この衆院選で、私たちの国、日本は、新たなステージに立つことになる。
いま、私達が、ほんとうに大切な候補者を政界に送り出すことは、私達の国に、天照大神の光を呼び戻すということなのかもしれません。
そして私達の選挙活動は、もしかするとアメノウズメのダンス、なのかもしれません。

さあ、明日は投票日です。
天の岩戸を開くのは、私達選挙民です。
顔晴りましょう!!