防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛
北朝鮮はやはり撃った。実質は軍事用の長距離ミサイルを「人工衛星」と美化して、しかも、お得意の、隣人たちすべての裏をかくやり方で。遺憾だが、これが国際政治の現実だ。時あたかも終盤戦にあるわが国の衆院選では、それに見合うリアリズムで国防・安保の問題が論じられているか。
衆院選での獲得議席につき報道界の調査による予想が民主党激減という線で一致すると、野田佳彦首相が案の定、焦りから安保論戦に出た。攻撃目標は自民党が掲げる「改憲で自衛隊を国防軍として位置づける」。改憲では言葉を濁し、国防軍案には反対、「ICBM(大陸間弾道ミサイル)でも撃つ組織にするつもりか」と罵倒。
≪野田首相の“変節”惜しむ≫
3年半前、民主党は上昇気流の中にいた。有望株の一人だった野田氏の処女著作『民主の敵』はそのころ出版され、憲法と防衛に関しては今日の自民党とも十分折り合える考えが読めた。今日、自党が下降気流に揉まれる中、当時の主張を苦しみから放棄したのなら、好漢・野田氏のため惜しむ。
私自身は自民党の憲法草案発表以前から、「改憲して国防軍を」と主張していた。だから、首相就任後ほどなく野田氏が、自民党の石破茂氏による「国防の基本方針」関連国会質問に答えて、一発回答でその見直し議論を避けない旨を述べたとき、それを評価した。議論は当然、憲法、国防に及ぶはずだった。が、今は空しい。
岸内閣の閣議決定になる「国防の基本方針」と野田氏は昭和32年5月20日生まれの55歳。岸氏が締結した現行の日米安保条約の3年前だ。それは、わが国の防衛政策に関して格式上は最重要文書である。今日まで一字一句の変更もない。日米旧安保条約下の文書なのに、野田内閣も含め、よくも呑気(のんき)に改訂をサボってきたものだ。
≪自衛隊を軍とせぬ矛盾随所に≫
わが国の防衛・安全保障の議論では、本質の直視が乏しい半面、用語への情緒的反応が大き過ぎる。「自衛隊」ならOK、「国防軍」ではイヤ、がその好例だ。
無論、用語は精選を要する。ただ、国内で偏愛される用語への固執は国際舞台で不可解行動を生みやすい。国連PKO(平和維持活動)で他国軍と肩を並べる「自衛隊」が、僚軍による警護は受けるが、僚軍への「駆けつけ警護はしない」のがその一例。「自衛」だから日本領土、領海を飛び越すミサイルは撃破しないのも同類だ。
国内法で自衛隊を軍隊と位置づけないので、自衛官は内外で不本意な使い分けに追われる。国内では軍人を名乗れず、海外では軍人を名乗らなければ理解されない。好例は日本だけの「防衛駐在官(ディフェンスアタッシェ)」。相手側が首を傾げると、つまりは国際基準の「駐在武官(ミリタリーアタッシェ)」のことですと言い訳する。
ことを本質に沿って呼ばないため、国内でも妙な事例が目立つ。自衛隊なる呼称も変だ。実体的にそれは紛れもなく国家防衛(ナショナルディフェンス)のための武力組織である。が、自衛とは必ずしも武力的概念ではない。厳冬に備えての自衛は非武力的行為だ。また、「隊」なる用語が本来的に「武」と結びつく概念ではないのも、漢和辞典に明瞭である。楽隊、キャラバン隊を見よ。
だから自衛隊を英語でSelf Defense Forceと説明するのは変だ。Forceとは力、武力のことなのだから。ただし、この場合、おかしいのは英語ではなく、日本語の方だ。もとが自衛軍ならまだ救われただろうに。とにかく、国家の武力集団を作ろうというのに、過去には本質隠しがかくも過ぎていた。
≪言い訳不要の世界標準組織に≫
世界諸国の軍隊は、歴史的背景や国家形態のゆえに必ずしも国防軍と名(ナショナル・ディフェンス・フォース)乗っているわけではない。が、国防任務を免れている軍はない。国際環境の好転で相対的にその比重が減った場合でも、国防は一丁目一番地なのだ。国際社会が依然として分権的システムである以上、それは国家の武力装置の定めである。わが国もまたそのことを承服して、自国の軍事組織を国際社会で最も理解されやすい国防軍と改称すべきである。
改憲のうえで自衛隊を国防軍と改称することを復古だとか、戦前の軍国主義復活の序曲だと呼ぶ声が内外にある。冗談だろう。歴史上、日本の軍隊が国防軍を名乗ったことはない。戦前の軍は「大日本帝国陸海軍」であり、新聞、ラジオはそれを「皇軍」と呼んだ。つまり、「天皇の軍隊」だった。
誕生すべき国防軍は復古物ではない。また内でも外でも言い訳、つまりは政府の晦渋(かいじゅう)な憲法解釈なしでは理解困難だった自衛隊でもないだろう。私は生涯の26年間を自衛隊の一隅で過ごした人間として、自衛隊自体が風雪に耐え、国民に愛される存在となったことを心底から喜ぶ。だが--。
戦後やがて70年。わが国は軍制上の特殊国家をやめ、北朝鮮のような不埒(ふらち)者国家の脅威にも適切に対処可能な「普通の国」になるべきだ。それにはわが国の軍事組織を、言い訳を必要とした自衛隊から、国際的標準である国防軍へと脱皮させることが必要である。
(させ まさもり)