中山成彬オフィシャルブログ・立て直そう日本~この国を守る覚悟を~ より。
いよいよ明日(4日)公示となりました。政権交代して3年4ヶ月、日々国益を損ねてきた民主党政権をやっと退陣させることができます。マニフェストというにせ証文で、有権者を騙し、子供一人月2万6千円支給するという政党ぐるみの選挙違反で奪った民主党政権でした。今回の選挙で鉄槌を下さなければなりません。
私はいろいろありましたが、日本維新の会から出馬することになりました。民主党は日本を滅ぼすという見通しのもとに、民主党政権誕生阻止のため、それこそ政治生命を懸けて訴えた私でした。しかし予想したこととはいえ、浪人生活は大変苦しいものでした。献金先も次々に離脱し、いつまで政治活動ができるかと心配しながら過した3年4ヶ月でした。その中で、私を支え励ましてくれた支援者に心から感謝いたします。
民主党政権でガタガタにされた日本を再生したい、お世話になってきた皆様方にまだ恩返しができていないという思いで生きてきました。地元宮崎をすべて戸別訪問しようという途方もない計画の下に毎日を過してきました。宮崎の旧市内はほとんど廻りました。郡部が人口の密集した町部だけに終ってしまったのはちょっと心残りです。
ピンポーンと呼び鈴を鳴らし、どういう方が出てくるのかちょっと緊張する瞬間です。時には嫌なことを言われ、心が揺らぐこともありました。しかしドアを開けて「あらっ」という顔で「中山さん」と呼びかけられ、「頑張って下さい」、「宮崎には貴方しかいない」という激励の声にまた元気をとり戻して次の家に向かう毎日でした。
今、宮崎は本当に景気が悪く落ち込んでいます。企業の方からはいつまで仕事を続けられるのだろうか、お店の人も売上がめっきり減った、飲食業の方もお客さんが来てくれないという悲鳴にもにた声が聞かれます。おばあさんから「年金が減ったのに医療や介護の保険料は上がる、これから先どうなるんだろうかという不安の声や、子供や孫達の就職先がないという声も多くありました。
民主党政権の公共事業は悪だという政策で宮崎の仕事がめっきり減っています。口蹄疫の処理で分ったように、民主党政権になって宮崎の政治力は地に落ちています。私がやっていた国との太いパイプ役となって国の予算を宮崎に持ってくる人がいないのです。東北大震災や福島原発の事故の復旧復興等、これからの10年間は人も物も金も東北へ向かうでしょう。その中で、「宮崎だけには」と頑張れるのは私だけです。
私には東九州自動車道を日南から串間、鹿児島へと延ばし、えびの、小林、都城、宮崎と結ぶ南九州環状道路(ベルトウェイ)を完成させるという目標があります。新幹線もフリーゲージトレインを活用して日豊線を走らせたいのです。
去年3月11日の東北大震災はショックでした。仙台空港が津波にのまれる様子を見て、直ぐ思ったのが宮崎平野でした。津波が押し寄せたら平地に住む人達はどこに逃げればいいのか。私は佐土原から住吉、吉村、赤江、青島の平地帯に10階建てぐらいの高層マンションを建てたらどうかと思います。私の提唱する財源確保で公共事業の一環として防災用のマンションを建てるのです。ベランダを広くし、いざという時は近隣の人を吸収する。補助金によって、安く建て、都会で定年を迎え、毎日退屈しているシルバー層を宮崎に来てもらい、温暖な気候の中でゴルフや釣りや家庭菜園、綾町の工芸などで人生をエンジョイしてもらうのです。病気になった時の為に病院や介護施設も用意する。私が昔から宮崎のシルバータウン構想として温めていたものが、防災という関連から甦ってきました。
さまざまな構想が頭に浮かびますが、私は中央との太いパイプ役となって地元の首長さん達の要請に応え、宮崎の皆様の暮らしが少しでも良くなるように頑張ります。
私の政治家としての第一ステージは教育改革と日教組問題の提示で終わりました。いよいよ第二ステージが始まります。日本再生と故郷宮崎の発展のために一身を捧げます。皆様方のご理解とご支援を宜しくお願い申し上げます。
尚、選挙区外でこのブログを読んでくださっている皆様、どうぞ宮崎県内のお知り合い、友人に中山成彬を頼むという援護射撃をよろしくお願い致します。選挙中はブログの更新ができません。開票後、皆様に有り難うございましたというブログが書けるようにこれから12日間、全力で走り抜きます。