後世に残した「祈り」、武士道。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【消えた偉人・物語】新渡戸稲造


草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 

生誕の地、盛岡市の中津川のほとりにある新渡戸稲造の銅像(盛岡観光コンベンション協会提供)


 新渡戸稲造(1862~1933年)は、名著『武士道』の「序」をベルギーの法学者ド・ラブレーを訪れた際の次のようなエピソードから始めている。

 「或る日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。『あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか』と、この尊敬すべき教授が質問した。『ありません』と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、『宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか』と繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない」

 このド・ラブレーの問いに答えるべく執筆したのが『武士道』であった。『武士道』の原題は「BUSHIDO The Soul of Japan」。英語で書かれた同書は、1899(明治32)年にアメリカで出版され、数年のうちにドイツ語、ロシア語に翻訳され世界的なベストセラーとなった。アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトがこれに感動し、友人、知人に贈ったことはよく知られている。

「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」と書き出された『武士道』は、義・礼・智・仁・勇といった武士の徳目を立体的に構造化した。なかでも、江戸時代の武士に重んじられたのが「名誉」である。

 「名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。それは、自己の身分に伴う義務と特権を重んじることを生まれながらにして知り、かつその教育を受けたる武士の特徴をなすものである」と新渡戸は述べる。「名誉と名声が得られるならば、生命そのものさえも廉価」と考える武士は、「生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てた」と続けた。

 この「名誉」と表裏をなすのが「恥(羞恥の感覚)」である。「笑われる」「名を汚す」ことが何より不名誉であることを武士は幼い頃から教え込まれた。

 「武士道」は倫理としては消えても、その光明の栄光は、「その象徴(シンボル)とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」と述べて新渡戸は『武士道』を結んだ。新渡戸が後世に託した「願い」であり、また「祈り」とも読める。

                       (武蔵野大学教授 貝塚茂樹)