【40×40】笹幸恵
「ツチハネがないのよ」
何のことか一瞬わからなかったが、よく聞いてみるとそれは「土跳ね」だった。ガーデニングに使う、白くて、背の低い木の柵。放置していればその根元は自然と土砂で汚れていく。サボテンさえも育てられないズボラな私は、土跳ねがどんなものか意識したことさえなかったが、その女性はきっと自分の庭を大切にしているのだろう。
「土跳ねがないというのはね、つまり、それだけ手入れが行き届いているってことなのよ」
私たちはマーシャル諸島にあるクエゼリン環礁を訪れていた。日本から約4600キロメートル離れたサンゴ礁の島々。かつて日本軍将兵が玉砕した地である。かの地で親兄弟を亡くした人々が「マーシャル方面遺族会」を結成して今も慰霊巡拝を続けており、つい10日ほど前、私は彼らとともにクエゼリン島を訪問したのだ。
クエゼリン島はいま、米軍基地になっている。居住しているのは軍人の家族など米国人のみで、島内にはレストランや学校、スーパーなどがあり、生活必需品はほとんど何でも手に入る。かつて日米両軍が死闘を繰り広げたことなどみじんも感じさせないほど人工的で、近代化された島だ。
その島の一角に、真っ赤な鳥居があった。中央に「JAPANESE CEMETERY 日本人墓地」と記されている。鳥居の奥にはマーシャル方面遺族会が建立した慰霊碑。銘板が盗まれることもなく、風化して揮毫(きごう)が判読不可ということもない。また周囲にはゴミ一つ落ちていない。とても良く管理されているという印象を持った。この慰霊碑を中心にして、周囲10メートル四方ほどに白い柵が埋め込まれている。遺族である女性は、この柵を指して「ツチハネがない」と言ったのだ。
いま、海外はおろか、国内にある戦没者慰霊碑でさえ、人々の記憶から忘れ去られようとしている。手入れが行き届いているかどうかは、関心の度合いに比例する。かつての敵国の管理下にあったほうが、慰霊碑も立派に維持管理されるとは、一体何という皮肉だろうか。
(ジャーナリスト)