夕刻の備忘録 様のブログより。
選挙の季節が来た。我々「真の報道」を求める有権者にとっては、マスコミと直接対決するべき時が来たわけである。マスコミの偏向・捏造報道により、眩惑され誘導され洗脳される人達を、如何にして護り、如何にして「真実」に辿り着けるようにアドバイスするか。それがネットで各種の情報に接し、「断片的な事実の切り貼りにより真実が歪められていく過程」をつぶさに見てきた我々の役回りである。
マスコミの歪んだ報道に便乗して、自らの地位を得ようとする政治家の本質を見抜くことは、そんなに難しいことではない。以下にそのための簡潔な指針を示しておく。御活用頂ければ幸いである。
★ ★ ★ ★ ★
政治家に必要な話術とは何か。その基本は何か。それは「説得力」である。言葉の力によって、自らの信じる政策を訴え、有権者を説得し、仲間を説得し、多数を構成して、それを現実のものにしていく。これが「政治家に必須の話術」である。
仰々しいだけの弁論術ではない。敵をやり込める舌鋒ではない、「批判力」ではないのである。ヤクザ弁護士が主たる武器としているのが、これである。彼等は誰かを説得することはない。説得する力は元より持っていないのである。彼等は常に、目の前に居ない「第三者」を批判する。そして目前の人を安心させる。鬱屈した人達は、自分は批判されず、他人が批判されていることに快哉を叫ぶ。
首相の「最後の記者会見」を見れば、この違いは明らかである。「内閣総理大臣の会見」として記者を集めておきながら、その中身は「民主党代表としての選挙演説」そのものであった。これこそが完全な党利党略であり、また自己保身のための私利私欲であった。しかも、その内容は徹底した「自民党批判」であり、そこにはこれから何を為すべきか、そのためには何が必要か、という国民を「説得」する姿勢は皆無であった。先の党首討論を、「解散日時を明言した嘗て無いもの」と評価するマスコミは、同様にこの嘗て無い「異常な記者会見」をも論じるべきであろう。
自民党安倍総裁が、広く国民に現状を訴え、今後の方針を示し、「説得」により新しい政権を樹立しようと志しているのに対して、この「民主党代表」は、相も変わらぬ自民党批判しか出来ない。これがまともな政治家と、詐欺師の違いである。批判すべき第三者が存在しないと、彼等は生きていくことが出来ない寄生虫なのである。
「第三極」云々と放言している連中も同じことである。彼等は反自民であり反民主である、それ故に「第三」であるという。要するに、自らを規定するためには、自民党と民主党が必要なのだ。「無用だ、害だ!」と言いながら、自分達の位置を示すには、自民党が、官僚が必要なのだ。旧態依然とした自民党が、腐敗した官僚が居なければ、自分の存在そのものが脅かされるのである。常に敵を探し、その敵を血祭りにあげることによって、己の能力を証明しようとする。ヤクザそのもの、詐欺師そのものである。
街頭演説を聴かれる場合も、動画などでチェックされる場合も、この点に注目して見て頂ければ、参考になることがあるのではないだろうか。
政局だけの政治屋は、第三者を批判する。
政策中心の政治家は、有権者を説得する。
この違いに注目すれば、かなりの確度で、本物と偽物を見分けることが出来る。もちろん、「批判をネタに説得する」という技もある。しかし、多くの場合、その根にある劣等感や傲慢さが隠しがたく表面にまで出ているので、比較的容易に見分けがつく。実現したい政策があれば、自分の信じる国家の未来像があれば、他人の批判に時間を費やしている暇は無いはずである。
国会で「与党だ、野党だ」と過半数の奪い合いをやっている以上
選挙は人ではない、党で選ぶものである。
どうしてもこの大原則が納得できない人は、どうしても目の前の個人が気になる人は、有権者を高い志をもって「説得」しようと試みている「個人」が、より多くいる政党を選んで頂きたい。実現可能な具体的な政策をもって、難関を共に乗り越えようと国民を「説得」する、この方法を党是としている政党は、誠に残念ながら我が国には一つしか存在しないのである。このことに過半の有権者が気付くこと、それがこの三年半の月日を無駄にしないための唯一の方法である。
マスコミの歪んだ報道に便乗して、自らの地位を得ようとする政治家の本質を見抜くことは、そんなに難しいことではない。以下にそのための簡潔な指針を示しておく。御活用頂ければ幸いである。
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政治家に必要な話術とは何か。その基本は何か。それは「説得力」である。言葉の力によって、自らの信じる政策を訴え、有権者を説得し、仲間を説得し、多数を構成して、それを現実のものにしていく。これが「政治家に必須の話術」である。
仰々しいだけの弁論術ではない。敵をやり込める舌鋒ではない、「批判力」ではないのである。ヤクザ弁護士が主たる武器としているのが、これである。彼等は誰かを説得することはない。説得する力は元より持っていないのである。彼等は常に、目の前に居ない「第三者」を批判する。そして目前の人を安心させる。鬱屈した人達は、自分は批判されず、他人が批判されていることに快哉を叫ぶ。
首相の「最後の記者会見」を見れば、この違いは明らかである。「内閣総理大臣の会見」として記者を集めておきながら、その中身は「民主党代表としての選挙演説」そのものであった。これこそが完全な党利党略であり、また自己保身のための私利私欲であった。しかも、その内容は徹底した「自民党批判」であり、そこにはこれから何を為すべきか、そのためには何が必要か、という国民を「説得」する姿勢は皆無であった。先の党首討論を、「解散日時を明言した嘗て無いもの」と評価するマスコミは、同様にこの嘗て無い「異常な記者会見」をも論じるべきであろう。
自民党安倍総裁が、広く国民に現状を訴え、今後の方針を示し、「説得」により新しい政権を樹立しようと志しているのに対して、この「民主党代表」は、相も変わらぬ自民党批判しか出来ない。これがまともな政治家と、詐欺師の違いである。批判すべき第三者が存在しないと、彼等は生きていくことが出来ない寄生虫なのである。
「第三極」云々と放言している連中も同じことである。彼等は反自民であり反民主である、それ故に「第三」であるという。要するに、自らを規定するためには、自民党と民主党が必要なのだ。「無用だ、害だ!」と言いながら、自分達の位置を示すには、自民党が、官僚が必要なのだ。旧態依然とした自民党が、腐敗した官僚が居なければ、自分の存在そのものが脅かされるのである。常に敵を探し、その敵を血祭りにあげることによって、己の能力を証明しようとする。ヤクザそのもの、詐欺師そのものである。
街頭演説を聴かれる場合も、動画などでチェックされる場合も、この点に注目して見て頂ければ、参考になることがあるのではないだろうか。
政局だけの政治屋は、第三者を批判する。
政策中心の政治家は、有権者を説得する。
この違いに注目すれば、かなりの確度で、本物と偽物を見分けることが出来る。もちろん、「批判をネタに説得する」という技もある。しかし、多くの場合、その根にある劣等感や傲慢さが隠しがたく表面にまで出ているので、比較的容易に見分けがつく。実現したい政策があれば、自分の信じる国家の未来像があれば、他人の批判に時間を費やしている暇は無いはずである。
国会で「与党だ、野党だ」と過半数の奪い合いをやっている以上
選挙は人ではない、党で選ぶものである。
どうしてもこの大原則が納得できない人は、どうしても目の前の個人が気になる人は、有権者を高い志をもって「説得」しようと試みている「個人」が、より多くいる政党を選んで頂きたい。実現可能な具体的な政策をもって、難関を共に乗り越えようと国民を「説得」する、この方法を党是としている政党は、誠に残念ながら我が国には一つしか存在しないのである。このことに過半の有権者が気付くこと、それがこの三年半の月日を無駄にしないための唯一の方法である。