灯台建設に鉄骨8本手配
尖閣諸島・魚釣島の灯台建設に資材・資金を提供した
数カ月前だったか、渦中の人になっている石原慎太郎さんと某ホテル内のスポーツジムのサウナで隣り合わせた。
「知事、お久しぶりです。麻布自動車です」と挨拶したら、「おー、ビルの中にきれいな自動車がたくさん並んでいるよな。売れてる?」と、昔と変わらず営業していると思っているようだった。
石原さんとは、かつて三井不動産販売(現三井不動産リアルティ)の枝村利一社長(故人)らも交えて、赤坂で食事したことがある。石原さんが運輸大臣を辞めた直後だったと思う。
「大臣といっても、自分の意見なんか何も通らない。これじゃ区会議員のほうがマシだ。バカバカしい」と語っていた。当時から中央官僚に対して怒り心頭だった。
サウナだから長い時間は話せない。さらに話そうとすると、「じゃあ、またね」と去っていった。石原さんがこだわっている沖縄・尖閣諸島の話もできなかった。
実は、尖閣諸島・魚釣島の灯台建設に、私も少し関わっているのだ。
衆議院議長、自民党副総裁を歴任した大野伴睦氏の長男で、のちに労働大臣、運輸大臣になった自民党の大野明議員(故人)が、麻布自動車グループの本社がある麻布十番によく遊びにきていて、そのうち私と仲良くなった。35年以上前のことだ。
この大野さんに政治団体「日本青年社」の衛藤豊久会長を紹介したら、2人はすっかり意気投合した(ちなみに、私に衛藤会長を紹介してくれたのは廣済堂の櫻井義晃会長)。
ある日、大野さんが「ナベさん、日本青年社が尖閣諸島に灯台を建てると言っている。少し寄付してくれない?」と声をかけてきた。
そこで私は、「灯台の基礎になる鉄骨、鉄柱や船のチャーター代ぐらいは何とかなるけど」と答え、当時、わが「麻布建物」がマンション建設などを依頼していた中堅ゼネコンのM社に頼んで、鉄骨8本や船の手配をした。
鉄柱はウチのマンションの工事費の中からやり繰りして出した。1本300万円程度だったと思う。で、100トン以下の船に鉄柱や機材を積み、日本青年社のメンバーやM社の職人20人ぐらいを乗せ、那覇港から出発した。
その前後、私は大野さんに連れられて、自民党本部に斎藤邦吉幹事長(当時は大平正芳総理・総裁の時代)を訪ね、「尖閣諸島に灯台を建設するので、よろしく」と陳情した。これはどういうことかというと-。 (次回は「麻布十番地下鉄誘致秘話編」)
■渡辺喜太郎(わたなべ・きたろう) 麻布自動車元会長。1934年、東京・深川生まれ。22歳で自動車販売会社を設立。不動産業にも進出し、港区に165カ所の土地や建物、ハワイに6つの高級ホテルなど所有し、資産55億ドルで「世界6位」の大富豪に。しかし、バブル崩壊で資産を処分、債務整理を終えた。現在は講演活動などを行っている。著書に『人の絆が逆境を乗り越える』(ファーストプレス)。