「ソフトランディング」こそ政治家の手腕。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





夕刻の備忘録 様のブログより。




ホンダの創業者本田宗一郎は、人生の価値は「着陸」により決まる、という主旨の発言を繰り返していた。離陸なんてものは、若くて力があれば誰でも出来る。操縦桿を引けば、飛行機は上昇するように出来ている。ところが、着陸はそうはいかない。着陸の上手いパイロットが、本当の名パイロットだ。お客さんに安心して乗ってもらって、安全に静かに着陸してこそ、良い旅だったと実感してもらえる。人生も同じだ。私は着陸だけは間違いたくない、何とか上手くこなして、良い人生だったなと思いたい。何時もそう思って引き際を考えてきた。そう語られていた。

これは人生の指針であると同時に、国家全体に責任を負う政治家への重大な警告でもある。政治家個人の出処進退など小さな話だ。晩節を穢すか否か、は所詮は本人の問題であり、そこに議論を集約させても益は無い。

最大の問題は、国家的課題の「離陸」と「着陸」にある。内政も外交も、それぞれに複雑を極め、簡単に語れるものなど何一つ無い。確かに、この場合も離陸は着陸に比べれば楽であろう。官僚と共に企画を立ち上げ、それを法律にして施行に至るまで、多数の賛同を得られるように努力する。しかし、着陸はそうはいかない。多くの国民の生命財産が関わる問題において、全員が満足する結果など有り得ない。様々な問題を処理して、公平公正を貫いても、どうしても零れる部分が生じてくる。それを如何に軟着陸させるか、不平不満を均等に分配させ、「ソフトランディングさせる技術」こそ政治家の手腕である。

自民党は長くこれをやってきた。理想とは懸け離れた妥協を繰り返してきた。白黒を付けずに流してきた問題も多かった。しかし、これは出来る限り多くの国民に、「薄く広く不満を分配する」ためであった。理想のパイロット、理想の着陸ではないかも知れない。時には何度もバウンドする手荒いものであったかも知れない。それでも旅客は何とか旅を終えることが出来た、旅の自慢話に興じられるぐらいには、安心していられたのである。

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一方、民主党の政治は、着陸を前提にしない政治である。何処へ連れて行かれるかも分からない「片道切符のミサイル」のような政治である。派手にぶち上げ、多くの成果を口にし、急角度で上昇することを約束しながら、その落とし所は、着陸地点は何処なのか、それに関して公開したことすらない。平然と嘘を吐き、平然と人を裏切る。自らの無恥無能を隠すために、あらゆる策謀を惜しまない。

彼等は、元々着陸の技術を持たない人間である。我々は、着陸の出来ない人間をパイロットに選んでしまったのである。何の計画も持たない素人に操縦され、一度舞い上がった飛行機は、燃料切れで墜落するか、乱気流に巻き込まれて墜落するか、単なる操縦ミスで墜落するか、その何れかしかない。旅客の大半は大惨事により人生を終える。しかし、この素人をパイロットに選んだのは当の旅客なのだ。誰に文句を言うことが出来ようか。

そして彼等は、それをいいことに、またしても詭弁強弁を繰り返す。「墜落という言葉を使うな、それは事実に反する。ちゃんと陸に着いているんだから“着・陸”には間違いがない」と平気な顔で言うのである。何しろ「憲法には三権分立など何処にも書いていない」と嘯く「革命政党」である。墜落を「着・陸」と言い換えることぐらい、朝飯前である。

国民は、本当の「ダブルスタンダード」とは如何なるものかを知るべきである。「前提の違う政党」に、これまでと同じ「安定的な政治」を期待しても無駄である。例えば、「TPPの事前協議参加問題」を採り上げよう。TPPそのものに反対ではあっても、その事前協議に参加して様子を見るという判断は、自民党ならば有り得ることである。それは必ず落とし所を見据えたものであり、かつ彼等は「着陸する技術を持った政党」だからである。

しかし、これが民主党となれば、絶対に許すことは出来ない。彼等は着陸の技術もプランも持っていないが故に、必ず墜落する。従って、同じ問題に対しても、自民党ならOKで民主党ならNGということになる。こうした理窟のある話にも、表面的なことだけを採り上げて、ダブルスタンダードだと騒いできたのがマスコミである。そして民主党である。

未だに何かと言えば、自民党批判をしている。与党であることを忘れ、責任の所在も考えず、自分達と「野党自民党」を同じ土俵の上に上げて、得意顔でまくし立てている。自分達が批判されるなら、自民党はもっと批判されるべきだと真剣に思っている。それをしない有権者はダブルスタンダードであり、相手にする必要はないとまで考えている。

何しろ「政治の文化大革命が始まった」などと嘯く連中である。革命を標榜する政党に、着陸技術を求めること自体が無意味なのだ。よって、もうこれ以上国政に関わらせるわけにはいかないのである。

「着・陸」という名の墜落しか他に手がないのなら、それはそれで好都合である。我々は各自でパラシュートを用意して、脱出を試みるだけだ。乗客である我々国民の安全を確保した後は、誰一人逃げられないように連中を閉じ込め、真っ逆さまに墜落させればいい。それこそが「口だけの革命闘志」どもにもっとも相応しい最期であろう。