夕刻の備忘録 様のブログより。
会社のものは私のもの? 日本人には理解できない中国人の「公」と「私」の区別
日本人の中国人に対する感想の中で、よく挙げられるのが「公私混同」。会社の備品を持ち帰ったり、社用車を私物化したりするという声をよく聞きます。確かに、それは事実です。今日はその理由をご紹介しましょう。
その昔、まだ中国の企業がほとんど国有企業だった頃、生活のすべてが会社丸抱えでした。企業の中に保育園はもちろん、小学校、中学校、高校や大学まであり、病院、食堂、商店、お風呂(個人家庭にはなく職場で入るのです)も。住宅は会社支給、定年退職しても給料はそれまでどおり。そして多くの食品が配給でしたから、食べ物も会社から配られるのです。お正月ともなれば、鶏(時には生きたまま)、卵、野菜、オモチ、しょうゆや油まで、お父さんお母さんが会社から持ち帰ってくるという時代があったのです。30年前まで、このような文字通り「ゆりかごから墓場まで」社会だったのです。
そうなってくると「公」と「私」を区別することは、まるで意味がない。いや、どちらかというと「私」はなかったのです。つまり「会社のもの」は「私のもの」、「私のもの」は「会社のもの」という感覚。
そんな時代の習慣が残っているので、中国人の中には「公」と「私」の区別がつかない人が多いのです。「私的財産」が認められていなかったので、「何でも会社からもらえる」「もらって当然」と思ってしまうのですね。
もちろん、現在は状況が一変していますが、長い間の習慣が抜けず、人々の意識が変わるまでには、もう少し時間がかかりそうです。社内のルールとして徹底すれば、徐々によくなるでしょう。
ところで、高校時代の友達が卒業後すぐに自衛隊に入隊したのですが、使うもの、着るものすべてが支給と聞きました。(パンツまでも…)日本でも場所によっては同じようなシステムがあるのですね。
(株式会社シー・コミュニケーションズ代表取締役 大羽りん/フジサンケイビジネスアイ)
amazonなどの著書紹介から、この人物そのものが「日中の架け橋」であり、現在の国籍はともかくとして、「純粋な日本人ではない」ことが分かる。
大阪の市長が「出自の件」で、マスコミに大声を張り上げているが、公人の思想背景を知るために、「国籍に関する出自」が参考にされるのは当然のことであろう。「何の影響も受けていない」「何の関係もない」というのなら、何度でもそう主張すればいいだけの話で、そういう醒めた応対は、この人物が「しばしば他者に要求しているもの」ではないのか。「関係がない」と主張する、その表現の下品さに、我々は「何らかの関係」を見出すだけである。
国民は公人に対して「過去三代に渡る国籍」を知る権利があろう。何故なら、なるほど四代より前は「直接に何の影響も受けていない」と主張することが出来るからである。「差別」という言葉で、「国籍に関する問題」をすり替えられては堪らない。それが嫌なら、政治家になどなろうとしないことだ。何にでも、誰にでも課そうとする義務ではない。権力者になろうとする者だけが背負う義務である。この部分を意図的にズラして、一般国民と同等に論じることは出来ない。権力を目指す者が「差別」を理由に、国籍を隠すことは許されない。某雑誌の非道と、この問題は別である。
この翻訳家の場合も同様である。「架け橋」である割には、リアリティを欠いた陳腐な文化比較に過ぎず、まるで公私混同を、我々日本人が認め、それに対応しなければならないような口振りである。「厄介な大国」「切り離せない隣国」などという表現を使う者は、そうした厄介な問題の解決に際して、決して相手国を説得しようとせず、全てを日本側の対応に求めるのである。
そもそも長年に渡って、「私有財産の無い社会」を経験しているのであれば、「私のものは会社のもの」の方がより強く残るはずで、その逆を擁護する議論は成り立たないのではないか。そもそも「何でも会社からもらって当然」というような、「明るい社会」ではなかったはずである。これでは、まるで「貧富の差などなかった」かのようではないか。
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そして、イタチの最後ッペよろしく、最後の最後に「公私混同システムの我が国における実例」として、自衛隊を挙げている。軍隊が隊員に衣食住を保障するのは、全世界共通の当然の話である。それをわざわざ「パンツまでも…」などと書いて、読み手に錯覚を与えるように工夫している。大陸文化の問題点を指摘しているように見せて、その実質は全く異なる。そうした歪みが、「日本でも場所によっては同じようなシステムがあるのですね」と結ぶことによって、日本批判、自衛隊批判になるように仕組んでいる。まさに「ステルス反日」そのものである。
自衛隊の名誉のために、我が国の「国防環境の悲惨さ」を指摘するために、ある実話を附記しておく。「誠に失礼とは思いますが、隊員の娯楽のためのCDやDVDなどは、少し持ち掛ければ、多くの国民が賛同して寄付してくれると思いますが……」と持ち掛けたところ、「それは大変有難いが、自衛隊では自由時間にテレビを見るのも、DVDを鑑賞するのも、その電気代は個人持ちの別請求であり、会議において配る資料のコピー代も自腹なので、折角頂戴しても見る機会は少ないと思う」と答えられた、という話である。これが「公私混同システム」と翻訳家が主張する我が国自衛隊の真の姿である。
こういうデタラメを、最後にサラッと書いて、書き逃げをする。この辺りに「出自の臭い」を嗅ぎ付けることは、致し方のないことであろう。「ステルス反日」工作に、最大の障碍になるからこそ、この種の「ぬるい工作員」は、それを採り上げられると大騒ぎして、あたかもこちらに「人道上の非」があるかのように言い募るである。何処かの市長と同様に。