「戦没者」なのに戦死にあらず? | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





整理が必要な自衛隊員の死を巡る不都合。


草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 


2012.10.18(木)桜林 美佐:プロフィール


草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 



















 今年も東京・市ヶ谷の防衛省で自衛隊殉職隊員追悼式が執り行われた。10月13日、その日は土曜日にもかかわらず、早朝から10台ほどはあっただろうか、大型バスが敷地内に入る。観光バスではない。ここに乗っているのは皆、殉職した自衛隊員の遺族である。

 防衛省内の慰霊碑がある一角、メモリアルゾーンと呼ばれるエリアには、これまでの自衛隊殉職者だけではなく陸軍全航空部隊戦没者慰霊碑や、終戦時に責任を取って自決した阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相、杉山元第一総軍司令官、大本営作戦参謀だった晴気誠(はるけ・まこと)少佐の碑などもある。

 晴気誠少佐はサイパン陥落の責任を取る形で、この地、市ヶ谷台で割腹自殺した。享年33だった。この若さで作戦の失敗を一身に背負い死出の旅路とは、いかなる心境であったか、現代の感覚では想像を絶することである。

 こうした先人たちに見守られるように、殉職自衛隊員の慰霊碑はある。今年も全国から多くの遺族が集まり、70遺族123名が参列。新たに殉職と認定されたのは、陸自3柱、海自3柱、空自2柱、そして事務官1柱の計9柱で、これまでの自衛隊殉職者は1831柱に及ぶ。

機雷除去中の事故死を口止めされた海上保安官

 今年は、東日本大震災で登庁する途上で津波により殉職した空自隊員や、災害派遣活動中に亡くなった方も2名含まれているが、殉職者の大半は訓練中などの事故が原因だ。

 しかし、海外での活動が本来任務化され、そのニーズも高まっている昨今、活動範囲の広がりとともに、これからは今まで経験したことのない殉職というケースもあり得る。それを考えれば、いろいろと整理しなければならないことも多い。

 思いは、今から60年以上前の秋に遡る。1950(昭和25)年の10月に朝鮮戦争が勃発し、当時、海上保安官だった中谷坂太郎さんは朝鮮へ特別掃海隊として赴いた。米国からの要請に基づき、近海に敷設された機雷を除去するためだ。しかし、乗っていた掃海艇が触雷して殉職。当時21歳の誕生日を迎えたばかりだった。


しかし、事故から1週間経った10月末、「瀬戸内海で死んだことにしてほしい」と、米軍の大佐が坂太郎さんの両親の元を訪れたという。米国の要望で掃海艇が朝鮮へ赴いたことを国民は知らない。憲法9条とのからみがあり、国際問題を避けるためのことだと説明された。

 坂太郎さんの父は、それが国家のためであるなら、その事実を公表しないことが国の助けになるならばと、黙って申し出を受け入れた。「十分な補償はさせてもらう」と、米軍から支払われた弔慰金は約400万円に上ったという。現在であれば3億円ほどに相当する。

 この場に立ち会った当時の海上保安本部幹部の手記によれば、父は無言のまま軽くうなずいてこの金を受け取り、「後姿に計り知れない寂しさを感じた」とある。

 当時、海上保安庁で機雷の掃海に従事していたのは皆、海軍出身者だった。戦後の作業とはいえ、彼らは「御国のため」という感覚だったのだ。それゆえ、いわば「口止め料」を受け取る親の心境とはいかなるものだったのか察するに余りある。

「戦没者」でありながら靖国神社への合祀が認められない

 それから約30年が過ぎた1979(昭和54)年、坂太郎さんは「戦没者叙勲」を受けることになる。実はこれは、事故当時に海保長官だった大久保武雄氏(1903~96年)の「せめて」という思いによるものだった。

 これを受けて坂太郎さんの兄、藤市さんは「戦没者」への叙勲なのだから、このことで弟の「戦死」が認められたと認識することは当然であるとして「靖国神社への合祀」を申し出たのだ。

 しかし、この願いは叶えられていない。これには遺族や神社の意向だけではどうにもできない事情がある。


そもそも靖国で祀るのは「大東亜戦争に関わり戦没した人まで」と決まっているためだ。厚生労働省から該当者の「戦没者身分等調査票」が送られるか、医師の診断書で「公務死」と認定された場合のみ合祀することが可能となる。

 これについては「靖国神社は宗教法人なのだから、独自に決められるのでは?」という指摘もある。しかし、靖国神社が宗教法人となっているのは、終戦後「神道指令」により、一宗教法人として登録するか解散かを迫られ、緊急避難的な措置であった。

 主権回復後となっても、法律上の性格を容易に変更することはできず現在に至っているのだ。つまり、現在の「宗教法人」は靖国神社の本来あるべき姿ではない。やはり、いずれは国家護持か、国民の神社としての存続を目指しているのである。

 そのため、いつでも「国の神社」に戻れるよう国の方針と歩調を合わせている。それに、神社がお祀りしたい人を祀るということにすれば、今度は「合祀取り消し」や「分祀」に対しても様々な声が出て混乱することも想像に難くない。

「戦死」はあり得ない自衛隊員の殉職

 そして大きな問題は、国が「戦死」と認めることが必要といっても、戦争を放棄している日本にとって「戦死」はあり得ないということだ。

 中谷坂太郎さんが所属した海保は「非軍事組織」であるから、特別に「戦没者叙勲」が授与されたといっても、「戦死」ではない。そして、それは自衛隊にも同様のことが言えるのである。

 この問題は、まず自衛隊の位置付けを明確にする必要があり、また、今の自衛官が靖国への合祀を望むとは限らないという声も聞かれる。様々な考え方があるだろう。

 しかし、これは個人の意志とは全く次元の異なる問題と捉え、国として国のために殉じた人をどう慰霊・顕彰し、それを将来にわたり継続させるのかを整理する必要がありそうだ。

 現在の掃海部隊もペルシャ湾での国際共同訓練に参加するなど、シーレーンの安全のため即応体制を取っているとも言える。予測できない国際情勢の中、自衛隊への期待は膨らむばかりだ。

 国のために尽くす人々に対し最期まで責任を持つことは、独立国として最低限の作法である。