ポツダム宣言まで捻じ曲げる中国の歴史操作。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 


2012.10.15(月)古是 三春:プロフィール





1971年6月の沖縄返還協定調印直前、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)が尖閣諸島を沖縄の一部とみなし日本の『残存主権』が及ぶことを確認していた」──10月3日付で時事通信がこう報じた。

 尖閣諸島は筆者が本連載前回分 で取り上げた通り、太平洋戦争終結直後から沖縄と共に米軍政下に置かれ、1972年の沖縄施政権返還と共に日本に戻されたものだ。時事通信記事では「残存主権」について、「外国施政下にある地域に潜在的に有する主権を指す」と解説している。この場合、米軍政下にあった尖閣諸島や沖縄には、日本の「残存主権(潜在主権)」があったということだ。

ニクソンとキッシンジャーが確認「尖閣諸島に日本の残存主権」

 ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官は1971年6月7日午後、ホワイトハウスの大統領執務室でおよそ20分間、10日後に迫った沖縄返還協定署名に関連して、中華民国(台湾)が日本への返還に反対していた尖閣諸島の取り扱いを検討したという。これが音声資料としてカリフォルニア州のニクソン大統領図書館で保存されていたのだ。

 検討の中でキッシンジャー補佐官は、1945年に日本が台湾から撤退した際、尖閣諸島は「沖縄と共に残された。51年のサンフランシスコ講和条約で、沖縄の残存主権はわれわれによって認められた。その時にこれらの島々(尖閣諸島のこと)に関する大きな決断は成された」と主張した。

 併せて、中華民国との関係では、講和条約から71年に至るまで尖閣諸島に関する「特別な交渉は一切行われていない。既に(中華民国から)手放され、自動的に沖縄に含まれた。これが(今日までの)歴史だ」と述べ、ニクソン大統領はこの意見に賛同したという。

ポツダム宣言に基づく戦後処理の帰結

 ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官が尖閣諸島に日本の「残存主権」を確認する根拠の1つとなっているのは、連合国が1945年7月17日から8月2日にかけてベルリン郊外のポツダムで第2次世界大戦の戦後処理と日本への対応を話し合った際に出されたポツダム宣言だ。

 当初、米国、英国、中華民国の共同声明として出された同宣言(ソ連は対日参戦後に参加)は、その第7、第8、第12項で日本の主権と領土の制限についてこう規定している。

【第7項】 そのような新しい秩序(軍国主義の権力、勢力を永久に排除)が建設され、また日本国の戦争遂行能力が破壊されたことが証明されるまでは、連合国の指定する日本国の領土内の諸地点は、ここで指示する基本的目的の達成を担保するため、連合国が占領するものとする。


【第8項】 カイロ宣言(※)の条項は履行されるべきものとし、日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに、われわれの決定するいくつかの小島に限定される。

【第12項】 前記の諸目的が達成され、かつ日本国国民の自由に表明する意思にしたがい平和的傾向をもち、かつ責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍はただちに日本国より撤退するものとする。

(※)カイロ宣言 ── 1943年11月22日、ルーズベルト大統領、チャーチル首相、蒋介石総統の3者によるカイロでの会談に基づき、同年12月1日に出された連合国の対日対処基本方針。日本への軍事行動方針を規定すると共に、戦後の領土の扱いについて「(日本が)第1次世界大戦により占領した太平洋の全島奪還、日本が中国領土から奪った領土を中国へ返還(満州、台湾、澎湖諸島等)」「日本の強欲と暴力により獲得された全領土剥奪」「朝鮮の独立」を掲げた。基本的に連合国側は不当に日本が取得していたもの以外、賠償的意味合いでの領土簒奪はしないという「領土不拡大」の立場である。

ポツダム宣言にのっとって尖閣は連合国の占領下に

 日本がポツダム宣言を受け入れたことにより、戦争終結後に「カイロ」宣言で日本が他国から奪ったあるいは不当に取得したものと規定された日本の占領地や「領土」は原主権国等に返還されたり、米国の委任統治(太平洋における日本の委任統治島嶼)とされたりした。また、日本から「軍国主義の権力、勢力を永久に排除」し、「戦争遂行能力」を失わせるために必要と見なされた島嶼等は連合国軍(米軍)によって占領された。

 ポツダム宣言の各項目を遂行する上で、戦争開戦前に日本が保持していた領土と占領地(委任統治領等)は仕分けがされたということだ。

 すなわち、「日本以外の国が原主権を有するところ」「ポツダム宣言の目的達成のために連合国に占領されるところ」「日本の主権下に残されるところ」である。

 尖閣諸島については、このうち沖縄と共に連合国の占領下に置かれるところとなった。一部(久場島と大正島)は米軍の射爆撃場(当初は空軍用、1950年代半ばからは海軍用)にされたのだ。これは、尖閣諸島が沖縄同様に第2次世界大戦終結時、原主権が疑問なく日本にあるということが認識されていたためである。


連合国の一員としてポツダム宣言に参画した中国

 ところで、ポツダム宣言とそれに先立つカイロ宣言は、その内容の検討と声明に際して中国(中華民国)が連合国の一員として米英と肩を並べている(※)

 そして、ポツダム宣言の各項が日本の敗戦に伴って執行に移された際、日本に奪われた領土について返還を受けた中華民国が尖閣諸島について「返還要求」を公式に行ったことはないのだ。

(※)中国(中華民国)が連合国の一員 ── 第2次世界大戦において、中国共産党の実力部隊である紅軍(後の中国人民解放軍)は1937年の第2次国共合作に基づき、国民党政府傘下の2つの軍(国民革命軍第八路軍=八路軍、国民革命軍新編第四軍=新四軍)に編成されていた。つまり中国共産党とその軍は国民政府の一翼としてその下にあったのであり、中国を代表しての中華民国政府の当時の行動には中国共産党も拘束されると見るべきである。

 もちろん、1951年のサンフランシスコ講和条約締結に際しても、尖閣諸島は沖縄と共に日本の「残存主権」が認められることから、引き続き米軍政下に置かれることが確認されている。これが、キッシンジャー氏が言うところの「大きな決断」である。

中国と韓国が引き合いに出す偽りの「歴史」

 報道によると中国の楊潔チ(ようけっち)外相と韓国の金星煥(キムソンファン)外相は、9月24日にニューヨークの国連本部で会談し、「国連の場で正しい歴史を広める必要性」で認識が一致したという(「読売」2012年9月25日)。もちろん、尖閣諸島、竹島の問題を意識してのことだ。

 そして、同27日、楊外相は国連総会の演説で次のように述べた。「第2次世界大戦後、『カイロ宣言』と『ポツダム宣言』などの国際文書に基づいて、釣魚島を含む島嶼は日本に占領されたその他の中国領土と共に中国に返還された。日本政府はいわゆる『島購入』などの一方的な行為によって中国の主権を著しく侵害した。これは世界の反ファシズム戦争勝利という成果を公然と否定するものであり、戦後の国際秩序および『国連憲章』の趣旨と原則に対する重大な挑戦だ」(「人民網」日本語版より)

 一方、金外相は同じ日、韓国記者団との会見で竹島問題から従軍慰安婦問題にも触れながら、「かつての日本の政治家は、ある程度、自分たちがしたことに申し訳ないとの気持ちがあったが、戦後世代はそのような気持ちがない。これは歴史をしっかりと教えていないからだ」と述べていた(時事通信 2012年9月28日)。野田佳彦首相が領土問題の平和解決を訴える演説を国連総会でしたことに対する、あてつけに思える。


筆者は、本連載にあたっては我が国が中国、韓国、ロシア等との領土問題に関するやり取りをしていてもそれをなるべく直接的には取り上げず、前提になる事実や歴史的背景、世界の他の地域での同種問題についての教訓を具体的に示すことに努めてきた。読者が現実の事象を考察する場合に有用な視点や材料を提供し、多くの方々が冷静に問題を見つめることに資することができればと考えるからである。

 しかし、上記の中韓両国外相が引き合いに出す「歴史」という言葉に直面した筆者は、その「不真面目」な響きに、怒りを通り越して悲しい想いに至ってしまう。

 戦後処理の核心をなす領土問題は、中国も参画して発せられたポツダム宣言にのっとって処理された。敗戦国である日本が、それをどうやって踏みにじったというのか。

 中国外相の言説は、何も日本寄りの立場でなくとも歴史を少し知った者には全く通用するものではない。尖閣諸島を沖縄と共に米軍政下に置き、その後、施政権が一緒に日本へ返還される経過の中にポツダム宣言の条項に反する内容はないし、そのような異論が過去述べられたこともない。

 前回、尖閣諸島に戦後、現在まで自国軍用の射爆撃場を設置している米国が尖閣の領有権問題について「中立」であり得ないことを指摘したが、連合国の代表者としてポツダム宣言を執行したのも米国であり、尖閣諸島の扱いについてはニクソン大統領らの認識を見るまでもなく、特別な責任があったと言えよう。

 そして、米国と共に連合国の一員として、ポツダム宣言の戦後処理スキームを承認したのが中国であり、その結果独立を回復したのが韓国であったという歴史的事実も忘れてはならない。

 中韓両国が切ろうとする偽りの「対日歴史カード」は、領土問題等、国際紛争の平和的解決の道筋を第2次世界大戦までの甚大な犠牲と歴史の教訓を踏まえて確立しようとする国際社会の取り組みを否定するものであり、新たな「領土拡張主義」を狙っていると言われても仕方ないものと言えよう。

 竹島の問題については、別の機会により詳細に検討したい。