驚異の記憶力、稗田阿礼。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【古事記のうんちく】(4)




草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 


稗田阿礼を顕彰する「かたりべの碑」を前に語る賣太神社宮司、藤本保文さん =奈良県大和郡山市


新しい国づくりを目指した天武天皇が、古事記の原型となる国の成り立ちや天皇の系譜を暗記させたのが、稗田阿礼(ひえだのあれ)だった。舎人(とねり)という下級役人ながら、飛び抜けた記憶力と才能が見込まれ、わずか28歳での大抜擢(ばってき)だった。

 ただし、阿礼の名は古事記の序文にみられるだけ。「男性か女性かも分からないほど謎が多いが、極めて優秀な若者だったことは間違いない」。阿礼の出身地とされる奈良県大和郡山市稗田町の賣太(めた)神社宮司、藤本保文さん(65)は話す。

 編纂(へんさん)作業は686年の天武天皇の死で中断したが、711年に天武の姪(めい)・元明天皇の指示で、阿礼が読み上げたものを太安万侶(おおのやすまろ)が聞き書きし、翌年完成した。

 作業が25年間も中断し、正しく覚えていたのかと不安になるが、阿礼について古事記は「目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳にふるれば心にしるす」(一度目や耳にしたことは忘れなかった)と驚異的な記憶力を記している。

 「阿礼がいなかったら、古事記は完成しなかったでしょう」と藤本さん。「古事記にたくさんの神様の名前が並ぶのは、古代の人たちが神様を大切にしていた証し。先人の深い考えや生き方を学ぶことができる貴重な書物を、阿礼は残してくれたんです」と話す。

 今も語り部や記憶力の神と信じられ、賣太神社には合格祈願などの参拝者が絶えない。大和郡山市では毎年2月、阿礼にちなんで「記憶力日本選手権大会」も開かれ、数字や短文の暗記力を競うため全国から200人以上が集まる。

                             (編集委員 小畑三秋)