夕刻の備忘録 様のブログより。
我が国の最大の病理がマスコミであることは疑いない事実である。このことは何度も何度も繰り返し書いてきた。しかし、マスコミ関係者が開き直って言うように、彼等が垂れ流す悪意と虚偽に充ちた「インチキ商品」を購入する「客」が居るからこそ、何時まで経ってもマスコミは滅びないのである。
マスコミの奴隷、これを「マスド」と名付けた。マスドこそ、マスコミ殲滅への最大の障碍である。何しろマスドは何処にでも居る。敵にも味方にも紛れ込んでいる。最も厄介な敵であり、最も不可解な味方である。
とりわけ面倒なのが、自民党員の中に多数隠れ住んでいるマスド、「党員マスド」である。彼等こそ自民党の躍進を阻む最大の障碍である。しかし、彼等は自らそのことに気付いていない。それ故に最も面倒な人達なのである。
先の総裁選の結果、そしてその後の反応を見れば、「党員マスド」の実態が分かろう。石破候補は、地方票の過半数を占めたとはいえ、国会議員票では石原、安倍の下に甘んじる第三位であった。一方、安倍候補は地方票で石破に継ぐ二位、国会議員票でも石原に継ぐ第二位であった。
二種類の異なる「有権者」から、一位と三位を得た石破候補と、共に二位を得た安倍候補が、決選投票に臨むのは当然の結果ではないか。地方票に特色を出した石破と、満遍なく票を集めた安倍が「雌雄を決する場に臨む」というのは、実によく出来た選挙システムではないか。この何処がオカシイのか。
しかし、これはマスコミの意に反した結果なのである。選挙前から石破有利を煽り、石原の退潮後は徹底的に石破陣営に肩入れした報道を繰り返していた。要するに安倍が嫌なのである、安倍では困るのである。そこで「関係者の言葉」と称して、「地方票で圧勝した候補が出た場合、二位は決選投票を辞退すべきだ」と自分達の希望を報じていた。候補者全員が、そして有権者たる自民党員全員が事前に了解済みの上で実施されている「党内選挙」に対して、マスコミはそのシステム全体を批判し、自らの思う方向へ誘導しようと必死に画策していたのである。
そして、そこに「党員マスド」が登場する。典型例は秋田県連幹部である。マスコミの口調そのままに、選挙結果を批判した。「地方の声を無視した」と吠えていた。選挙が茶番であるかの如く罵り、自分達は役職を退くとまで言い放った。
ここまでバカだと、「どうぞお辞め下さい!」としか言いようがない。もし、本当に「地方の声を無視していた」のなら、議員票で三位の石破は決選投票にも進めなかったはずである。議員票で劣る者が決選投票に進めたのは、地方票獲得に尽力した候補の努力であったろうし、また熱心に投票された有権者の気持ちでもあったろう。
この段階で、「充分に地方票は反映された」のである。しかも、地方票単独でも250票を越えれば全体の過半数となり、そのまま決定する仕組であったことを考えれば、一体このシステムの何処に問題があるのか、何をもって「無視だ!」と騒ぐのか、民主主義のルールに対する理解力を疑うと共に、知性そのものを疑う。
それをマスコミ口調そのままに「地方の声を無視した」と党中央を大声で罵ったのである。同じ口調で、さらに下品な台詞を書き連ね、離党にまで追い込まれた徳島の地方議員も居た。「党員マスド」は、何故に自民党批判を繰り返すマスコミと連動して、全く同じ口調で党を批判するのか。自民党を滅ぼすことを目的としている組織と、今や悪意を隠そうともしない評論家どもと共闘するのか。彼等はその意味を全く理解していないバカか、あるいは敵陣営のスパイかの何れかである。まさに「マスコミの奴隷・マスド」と呼ぶ他にないではないか。
★ ★ ★ ★ ★
マスコミが地方票を異常に持ち上げる底意は、「首相公選制」にあると見てよい。これは政界再編論とセットで語られることが多い、愚策中の愚策である。何故、愚策の筆頭であるか、それは大阪の現状を見れば、すぐ分かる話である。
仮に現在、国政のトップを国民が直接選ぶシステムを採用していたなら、某市長は党など作らず、道州制などという手間なことは何一つ言わず、自分一人でさっさと立候補して、大衆の歓心を買うことだけに専念していただろう。その目的は権力奪取なのであり、地方行政のことなど、どうでもいいのだから。
これも何度も繰り返し書いてきたことであるが、国家は生き物である。国民が生き物であるなら、無形の国家という概念もまた生き物である。よって、特定の部位だけ切り取って、何かが変わるものでも、好くなるものでもない。全てが有機的に連動したものなのである。よって、外国で大統領制が成功しているからといって、それをそのまま我が国に持ち込んでも、ましてやその一部でしかない直接選挙制度を持ち込んでも、全体が矛盾をおこし、激しい混乱の末に、さらに国家が衰退するだけである。
きちんとした正規の選挙を行いながら、自党の党員に「無視された云々」と罵られては、流石に党本部も捨ててはおけなかったと見える。「石破の幹事長就任により、地方の声は反映されたとして秋田県連幹部は辞意を撤回した」そうであるが、そんなことで撤回する程度の辞意なら、はじめから言わぬことである。言った以上は辞めるべきである。
地方の下部組織のメンバーが「上から目線」で、党本部にもの申す。こういう問題行動をそのままにしておいては、組織が崩壊する。恐らくは党本部から何らかの警告を受けたに違いない、それ故に「幹事長なら云々」という負け惜しみを言ったに違いないのである。本当に馬鹿馬鹿しい話である。
マスコミ論調そのままに、党本部を批判するレベルの党員が最も始末に悪い。「党員マスド」撲滅の切っ掛けにも出来たものを、「辞めなかったこと」が残念でならない。マスコミを潰すことと同時に、それに従うマスドもまた、一つひとつ潰していかねばならぬ。新聞・テレビの利用者を減らすだけではない、その主張に盲目的に追随する者もまた、この国の正常化に障碍を齎すだけの負の存在なのである。
マスコミの奴隷、これを「マスド」と名付けた。マスドこそ、マスコミ殲滅への最大の障碍である。何しろマスドは何処にでも居る。敵にも味方にも紛れ込んでいる。最も厄介な敵であり、最も不可解な味方である。
とりわけ面倒なのが、自民党員の中に多数隠れ住んでいるマスド、「党員マスド」である。彼等こそ自民党の躍進を阻む最大の障碍である。しかし、彼等は自らそのことに気付いていない。それ故に最も面倒な人達なのである。
先の総裁選の結果、そしてその後の反応を見れば、「党員マスド」の実態が分かろう。石破候補は、地方票の過半数を占めたとはいえ、国会議員票では石原、安倍の下に甘んじる第三位であった。一方、安倍候補は地方票で石破に継ぐ二位、国会議員票でも石原に継ぐ第二位であった。
二種類の異なる「有権者」から、一位と三位を得た石破候補と、共に二位を得た安倍候補が、決選投票に臨むのは当然の結果ではないか。地方票に特色を出した石破と、満遍なく票を集めた安倍が「雌雄を決する場に臨む」というのは、実によく出来た選挙システムではないか。この何処がオカシイのか。
しかし、これはマスコミの意に反した結果なのである。選挙前から石破有利を煽り、石原の退潮後は徹底的に石破陣営に肩入れした報道を繰り返していた。要するに安倍が嫌なのである、安倍では困るのである。そこで「関係者の言葉」と称して、「地方票で圧勝した候補が出た場合、二位は決選投票を辞退すべきだ」と自分達の希望を報じていた。候補者全員が、そして有権者たる自民党員全員が事前に了解済みの上で実施されている「党内選挙」に対して、マスコミはそのシステム全体を批判し、自らの思う方向へ誘導しようと必死に画策していたのである。
そして、そこに「党員マスド」が登場する。典型例は秋田県連幹部である。マスコミの口調そのままに、選挙結果を批判した。「地方の声を無視した」と吠えていた。選挙が茶番であるかの如く罵り、自分達は役職を退くとまで言い放った。
ここまでバカだと、「どうぞお辞め下さい!」としか言いようがない。もし、本当に「地方の声を無視していた」のなら、議員票で三位の石破は決選投票にも進めなかったはずである。議員票で劣る者が決選投票に進めたのは、地方票獲得に尽力した候補の努力であったろうし、また熱心に投票された有権者の気持ちでもあったろう。
この段階で、「充分に地方票は反映された」のである。しかも、地方票単独でも250票を越えれば全体の過半数となり、そのまま決定する仕組であったことを考えれば、一体このシステムの何処に問題があるのか、何をもって「無視だ!」と騒ぐのか、民主主義のルールに対する理解力を疑うと共に、知性そのものを疑う。
それをマスコミ口調そのままに「地方の声を無視した」と党中央を大声で罵ったのである。同じ口調で、さらに下品な台詞を書き連ね、離党にまで追い込まれた徳島の地方議員も居た。「党員マスド」は、何故に自民党批判を繰り返すマスコミと連動して、全く同じ口調で党を批判するのか。自民党を滅ぼすことを目的としている組織と、今や悪意を隠そうともしない評論家どもと共闘するのか。彼等はその意味を全く理解していないバカか、あるいは敵陣営のスパイかの何れかである。まさに「マスコミの奴隷・マスド」と呼ぶ他にないではないか。
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マスコミが地方票を異常に持ち上げる底意は、「首相公選制」にあると見てよい。これは政界再編論とセットで語られることが多い、愚策中の愚策である。何故、愚策の筆頭であるか、それは大阪の現状を見れば、すぐ分かる話である。
仮に現在、国政のトップを国民が直接選ぶシステムを採用していたなら、某市長は党など作らず、道州制などという手間なことは何一つ言わず、自分一人でさっさと立候補して、大衆の歓心を買うことだけに専念していただろう。その目的は権力奪取なのであり、地方行政のことなど、どうでもいいのだから。
これも何度も繰り返し書いてきたことであるが、国家は生き物である。国民が生き物であるなら、無形の国家という概念もまた生き物である。よって、特定の部位だけ切り取って、何かが変わるものでも、好くなるものでもない。全てが有機的に連動したものなのである。よって、外国で大統領制が成功しているからといって、それをそのまま我が国に持ち込んでも、ましてやその一部でしかない直接選挙制度を持ち込んでも、全体が矛盾をおこし、激しい混乱の末に、さらに国家が衰退するだけである。
きちんとした正規の選挙を行いながら、自党の党員に「無視された云々」と罵られては、流石に党本部も捨ててはおけなかったと見える。「石破の幹事長就任により、地方の声は反映されたとして秋田県連幹部は辞意を撤回した」そうであるが、そんなことで撤回する程度の辞意なら、はじめから言わぬことである。言った以上は辞めるべきである。
地方の下部組織のメンバーが「上から目線」で、党本部にもの申す。こういう問題行動をそのままにしておいては、組織が崩壊する。恐らくは党本部から何らかの警告を受けたに違いない、それ故に「幹事長なら云々」という負け惜しみを言ったに違いないのである。本当に馬鹿馬鹿しい話である。
マスコミ論調そのままに、党本部を批判するレベルの党員が最も始末に悪い。「党員マスド」撲滅の切っ掛けにも出来たものを、「辞めなかったこと」が残念でならない。マスコミを潰すことと同時に、それに従うマスドもまた、一つひとつ潰していかねばならぬ。新聞・テレビの利用者を減らすだけではない、その主張に盲目的に追随する者もまた、この国の正常化に障碍を齎すだけの負の存在なのである。