横田めぐみさん、あす48歳の誕生日。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









父、滋さん「小さなケーキ買い家族で過ごします」




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拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、48歳の誕生日を迎える。「また今年も一緒に過ごすことができないのか」。北朝鮮に拉致されてから35回目の誕生日は、北朝鮮が拉致を認めた日朝首脳会談から10年の節目にもあたる。帰国を待ち望む家族や友人らには進展しない事態に焦りを募らせる。

 「また1年過ぎた、また1年が過ぎたとイライラばかりが募る。誕生日がきても悲しくて辛いだけ」。めぐみさんの母、早紀江さん(76)は言う。

 13歳までは、両親と弟2人の家族全員で誕生日を祝ってきた。早紀江さんが焼く鶏もも肉が、お祝いメニューの定番。手作りのバターケーキに、アラザンという銀色の粒で飾り付けしたこともあった。

 一緒に過ごした最後の誕生日に両親が贈ったのは、毛皮の小さなポーチ。近所に住む上級生が使っていた物にあこがれためぐみさんのリクエストだった。早紀江さんが、近くの店でポーチを選んだ。

 「ママ、ちょっとだけセンスが違うよ」。そう笑いながらポーチをかけためぐみさんは、その1カ月あまり後に拉致された。

 事件から35年がたつが、北朝鮮はめぐみさんを「死亡した」と主張し続けており、依然帰国はかなわない。親友を奪われた同級生の真保(しんぼ)恵美子さん(47)にとっても、誕生日はめぐみさんの不在を再確認させられる日だ。

めぐみさんが小学6年で転校してきた新潟小学校(新潟市)で出会い、山田(旧姓・相賀)くに恵さん(47)を加えた仲良し3人組で互いの誕生日を祝った。35年前も誕生日に近い休日を選んで、めぐみさん宅を訪れ、とりとめのない会話に花を咲かせた。

 11月は相賀さん、1月は真保さんの誕生日。3人で祝う誕生会が「毎年つながっていくと、当たり前のように思っていた」(真保さん)

 48回目の誕生日を父、滋さん(79)は「小さなケーキを買って、家族で静かに過ごす」つもりだ。14歳以降の誕生日は、めぐみさんの写真の前にケーキを置くのが精いっぱい。無事帰ることを祈って準備する陰(かげ)膳(ぜん)も用意したことがない。その理由を早紀江さん「減らない食事を見ると余計に悲しくなる」と話す。

 「(拉致被害者)みんなが帰国して、それぞれの家族が誕生日を祝えるようになるといいですね」。両親の拉致事件解決を願う思いは一層強まっている。





 めぐみさんについて、北朝鮮は当初、1993(平成5)年3月に自殺したとしていたが、帰国した被害者の目撃証言と矛盾が生じると、94年4月に訂正した。証拠として提出した「死亡台帳」などの書類には改竄(かいざん)の跡があり、めぐみさんが「死亡した」とする根拠は一切存在しない。

 一方、「死亡した」とされる後の94年9月にめぐみさんが再婚し、96年に男児を出産、2001年に平壌市内の招待所で生活していたとする生存情報があり、日本政府も把握している。




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横田めぐみさん(後列左)ら仲良し3人組がそろった新潟小合唱部の集合写真。前列右から相賀くに恵さん、真保恵美子さん(真保さん提供、写真は一部加工しています)



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