夕刻の備忘録 様のブログより。
高らかに「政治主導」の旗を掲げ、政権を奪った民主党。しかし、彼等には「主導」する能力も、その意味を把握する知力さえなかった。三年前を思い出して頂きたい。彼等の「主導」とは、反っくり返って威張り散らすことだけであった。ツイッター三昧で予算委員会に遅刻した大臣が、照れ隠しに行った「報復人事」を見れば、その性根が分かろうというものである。
政治家になることは難しい。国を与り、国益を考え、自らの命さえ捨てて国家・国民のために奉仕する。それが政治家だとするなら、これほど難しく、故にこれほど得難き人達はないのである。しかし、一転して「選挙に勝つこと」をもって政治家だとするなら、これほど容易いことはない。大食いでもいい、剣玉でもいい、芸人や弁護士ならなおいい。マスコミに出て知名度を上げさえすれば、そして権力批判を自らの売物にさえしておけば、選挙に勝つことは実に容易である。「裏口」は幾らでもある。
しかし、官僚になることに近道はない。上級公務員試験に通らなければ、一定のラインに乗ることは許されていない。裏口入学がない世界では、「入試の成績」こそが、その人物評価の根幹を成す。そんな彼等が、「裏口政治家」を尊敬するだろうか。そんな彼等が、浮き草のような政治家が口にする「政治主導」という寝言を認めるだろうか。
バカほど威張る、無能ほど威張る政治家どもを相手に、「正規入学」を果たした連中が、平身低頭で従うはずもなかろう。まさに面従腹背である。何をしても、しなくても、官僚の責任にされるのである。尖閣の衝突事件から大臣の遅刻まで、全ては官僚の責任にされ、「主導したはずの政治家」は雲隠れを決め込んできた。それでも「笑顔で仕事にあたれ」と言われる程には、彼等は恵まれていない。
「そんなことは自民党時代から変わらない」と言いたい人も多いだろう。しかし、ものは程度の問題なのである。ここまで無責任で、ここまで横暴な政治家はかつて居なかった。居るはずもなかった。もし仮に居たとすれば、マスコミの袋叩きにあって、三日ともたず辞任させられていたであろう。今は、マスコミの徹底的な擁護がある、だからこそ成り立っている「利権構造」なのである。
★ ★ ★ ★ ★
その結果、如何なる事態に発展したか。無能が威張り、無能が指示を出し、無能が逃げ出す。しかし、それを無能どもは「政治主導だ」と未だに言い繕っている。ここまで来れば、官僚が「政治判断」をするより他に手はない。少なくとも、自分達の準備した解答を、民主党政府に「如何にも自分達が発見したかの如くに思わせ」、その結果発動された「指示」に従っているように見せる、即ち官僚による「政治主導」の演出である。
経団連は金で動く組織である。そして、直接的であるか間接的であるかを問わず、政治家は金を貰えば、その金主の意向に沿うしかなくなる。要するに、政治は金の流れに極めて鋭敏に反応するものである。
では官僚は金で動くのか。接待付けにすれば自由になるか。特定の幹部、一人二人の官僚を意のままに動かすところまでは出来るだろう。しかし、全員が上級試験を潜り抜けてきた組織の中では「不正は必ず発覚する」。どんなに上手い手口を使っても、それを見破る「別種の名人」が居るものである。
従って、官僚機構が奇妙な判断を下す時には、政治家とは別の注意が必要である。金の流れを追うだけでは掴まえきれない問題がある。それは「洗脳」である。
組織内の個々人の買収は難しいが、ある集団を洗脳することは、買収ほどには難しくない。正義感に溢れた者ほど、引っ掛かりやすい洗脳がある。特に、上司となる政治家が無能である場合、周囲の者を「洗脳」し、これに一丸となって対抗することは、正しく「正義」であるから、躊躇する者は居ないのである。
さらに恐ろしいことは、外部からの、とりわけ外国勢力からの「洗脳工作」である。例えば、我が国が一方的な譲歩をすることが「友好」である、と「洗脳」された官僚達は、如何に動くか。彼等は無能な政治家を脇に追いやって、自らの力で「政治判断」をするように変態する。
今、我が国には「政治判断」を行う三つの勢力がある。
一つ目は現与党民主党であり、二つ目は旧与党自民党である。
そして、第三の組織として官僚機構が登場した。
これは自民党政権時代には有り得なかった構図である。官僚は「政府の判断だ」と言い繕って自民党の要求を拒否し、政府には「自民党からの突き上げだ」と言って、自らの方針を飲ませようとしている。
在外邦人に生命の危機が迫っているにも関わらず、民主党政府は何もしようとしない。それは外交経験の無い哀しさであり、元より無能であることの必然であるが、「しようとしない」というよりも、「何も出来ない」のである。ならば、官僚が率先して諸手続を済ませ、「邦人救出のための手立ては準備完了しております」と上申するのが正常な状態なのであるが、彼等は「彼等の政治判断」により、「当該国に恥を掻かせないこと」を第一義としている。それが彼等が「洗脳」されている一つの証拠である。
我が国が、邦人救出作戦を実行すれば、全世界に隣国の横暴が決定的に知れ渡る。それは「友好の観点」から好ましくない。そして、先方もそれを嫌っている。相手の嫌がることをすることは、友好のためにならない、即ち国益に反する。こうして、官僚の政治判断は、「国益のために自国民を見殺しにする」という途方もない結論に辿り着くのである。
これを止めるには、政治判断の主体が三つもある現状を変えるしかない。現政権を倒し、正常な政府を樹立させ、官僚を再びコントロールさせるのである。
未だにツアーの勧誘をしている旅行代理店や、その宣伝に忙しいマスコミを潰すことは簡単である。誰も利用しなければいいのだ。しかし、諸悪の根源は、今なお渡航に対する重大な勧告を出さない外務省にある。これを潰す方法も、是正する方法も、直接的には存在しないのである。正しい政治家を選び、正しい政治を実現する。迂遠ではあっても、我々に与えられている方法はこれしかない。如何に選挙が大切かということである。
真の敵は国外に居る。今、目の前に居る。それを全く無視して、自民党が悪い、官僚が悪い、と国内に敵を見出しては、自分達の無能を気取られまいと画策している。官僚は官僚で、「二大政党」の隙間に自分達の新しい住処を見付け、両者を争わせることで自分達の目的を達成させようと試みている。
内政の混乱に乗じて権力を奪取しようと画策する者に、国家を委ねてはならない。敵を見出し、それにより自分達の地位を上げようと試みる者は、必ず独裁の道へと走りだす。歴史上の独裁者が、極めて雄弁であることがその傍証である。「敵を作ることを好む者」を、先ず敵だと認識することである。何が何でも「サードインパクト」だけは避けねばならない。日本を我々の代で終わらせてはならない。
政治家になることは難しい。国を与り、国益を考え、自らの命さえ捨てて国家・国民のために奉仕する。それが政治家だとするなら、これほど難しく、故にこれほど得難き人達はないのである。しかし、一転して「選挙に勝つこと」をもって政治家だとするなら、これほど容易いことはない。大食いでもいい、剣玉でもいい、芸人や弁護士ならなおいい。マスコミに出て知名度を上げさえすれば、そして権力批判を自らの売物にさえしておけば、選挙に勝つことは実に容易である。「裏口」は幾らでもある。
しかし、官僚になることに近道はない。上級公務員試験に通らなければ、一定のラインに乗ることは許されていない。裏口入学がない世界では、「入試の成績」こそが、その人物評価の根幹を成す。そんな彼等が、「裏口政治家」を尊敬するだろうか。そんな彼等が、浮き草のような政治家が口にする「政治主導」という寝言を認めるだろうか。
バカほど威張る、無能ほど威張る政治家どもを相手に、「正規入学」を果たした連中が、平身低頭で従うはずもなかろう。まさに面従腹背である。何をしても、しなくても、官僚の責任にされるのである。尖閣の衝突事件から大臣の遅刻まで、全ては官僚の責任にされ、「主導したはずの政治家」は雲隠れを決め込んできた。それでも「笑顔で仕事にあたれ」と言われる程には、彼等は恵まれていない。
「そんなことは自民党時代から変わらない」と言いたい人も多いだろう。しかし、ものは程度の問題なのである。ここまで無責任で、ここまで横暴な政治家はかつて居なかった。居るはずもなかった。もし仮に居たとすれば、マスコミの袋叩きにあって、三日ともたず辞任させられていたであろう。今は、マスコミの徹底的な擁護がある、だからこそ成り立っている「利権構造」なのである。
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その結果、如何なる事態に発展したか。無能が威張り、無能が指示を出し、無能が逃げ出す。しかし、それを無能どもは「政治主導だ」と未だに言い繕っている。ここまで来れば、官僚が「政治判断」をするより他に手はない。少なくとも、自分達の準備した解答を、民主党政府に「如何にも自分達が発見したかの如くに思わせ」、その結果発動された「指示」に従っているように見せる、即ち官僚による「政治主導」の演出である。
経団連は金で動く組織である。そして、直接的であるか間接的であるかを問わず、政治家は金を貰えば、その金主の意向に沿うしかなくなる。要するに、政治は金の流れに極めて鋭敏に反応するものである。
では官僚は金で動くのか。接待付けにすれば自由になるか。特定の幹部、一人二人の官僚を意のままに動かすところまでは出来るだろう。しかし、全員が上級試験を潜り抜けてきた組織の中では「不正は必ず発覚する」。どんなに上手い手口を使っても、それを見破る「別種の名人」が居るものである。
従って、官僚機構が奇妙な判断を下す時には、政治家とは別の注意が必要である。金の流れを追うだけでは掴まえきれない問題がある。それは「洗脳」である。
組織内の個々人の買収は難しいが、ある集団を洗脳することは、買収ほどには難しくない。正義感に溢れた者ほど、引っ掛かりやすい洗脳がある。特に、上司となる政治家が無能である場合、周囲の者を「洗脳」し、これに一丸となって対抗することは、正しく「正義」であるから、躊躇する者は居ないのである。
さらに恐ろしいことは、外部からの、とりわけ外国勢力からの「洗脳工作」である。例えば、我が国が一方的な譲歩をすることが「友好」である、と「洗脳」された官僚達は、如何に動くか。彼等は無能な政治家を脇に追いやって、自らの力で「政治判断」をするように変態する。
今、我が国には「政治判断」を行う三つの勢力がある。
一つ目は現与党民主党であり、二つ目は旧与党自民党である。
そして、第三の組織として官僚機構が登場した。
これは自民党政権時代には有り得なかった構図である。官僚は「政府の判断だ」と言い繕って自民党の要求を拒否し、政府には「自民党からの突き上げだ」と言って、自らの方針を飲ませようとしている。
在外邦人に生命の危機が迫っているにも関わらず、民主党政府は何もしようとしない。それは外交経験の無い哀しさであり、元より無能であることの必然であるが、「しようとしない」というよりも、「何も出来ない」のである。ならば、官僚が率先して諸手続を済ませ、「邦人救出のための手立ては準備完了しております」と上申するのが正常な状態なのであるが、彼等は「彼等の政治判断」により、「当該国に恥を掻かせないこと」を第一義としている。それが彼等が「洗脳」されている一つの証拠である。
我が国が、邦人救出作戦を実行すれば、全世界に隣国の横暴が決定的に知れ渡る。それは「友好の観点」から好ましくない。そして、先方もそれを嫌っている。相手の嫌がることをすることは、友好のためにならない、即ち国益に反する。こうして、官僚の政治判断は、「国益のために自国民を見殺しにする」という途方もない結論に辿り着くのである。
これを止めるには、政治判断の主体が三つもある現状を変えるしかない。現政権を倒し、正常な政府を樹立させ、官僚を再びコントロールさせるのである。
未だにツアーの勧誘をしている旅行代理店や、その宣伝に忙しいマスコミを潰すことは簡単である。誰も利用しなければいいのだ。しかし、諸悪の根源は、今なお渡航に対する重大な勧告を出さない外務省にある。これを潰す方法も、是正する方法も、直接的には存在しないのである。正しい政治家を選び、正しい政治を実現する。迂遠ではあっても、我々に与えられている方法はこれしかない。如何に選挙が大切かということである。
真の敵は国外に居る。今、目の前に居る。それを全く無視して、自民党が悪い、官僚が悪い、と国内に敵を見出しては、自分達の無能を気取られまいと画策している。官僚は官僚で、「二大政党」の隙間に自分達の新しい住処を見付け、両者を争わせることで自分達の目的を達成させようと試みている。
内政の混乱に乗じて権力を奪取しようと画策する者に、国家を委ねてはならない。敵を見出し、それにより自分達の地位を上げようと試みる者は、必ず独裁の道へと走りだす。歴史上の独裁者が、極めて雄弁であることがその傍証である。「敵を作ることを好む者」を、先ず敵だと認識することである。何が何でも「サードインパクト」だけは避けねばならない。日本を我々の代で終わらせてはならない。