西岡 力ドットコム より。
拉致被害者死亡謀略に加担した外務省(1)
9月17日で、小泉首相が訪朝して金正日
に拉致を認めさせて10年となる。それまで北朝鮮
は、拉致は事実無根のでっち上げと強弁し続けていたが、金正日が拉致を認めた。しかし、そこですべての被害者を帰還させることをせず、新たな謀略をしかけてきた。すなわち、拉致したのはわずか13人だけで、そのうち8人は死亡したと通報してきた。横田めぐみさんをはじめとする多数の拉致被害者は死んだとされたか、拉致していないとされ、助けることが出来なかった。問題は日本の中で金正日
の死亡謀略に加担した輩がいたということだ。この経緯について私は様々なところで書いて来たがいまだ大方の日本人の共通認識にはなっていない。そのため、10年前に起きたことを再度、論じたい。以下は月刊正論10月号掲載の拙稿から関係部分を抜粋する。
最初の危機は2002年9月17日から数日だった。外務省
は当初、拉致問題を終息させて国交正常化を進めようとする許し難い背信行為を行っていた。彼らは小泉訪朝の当日、北朝鮮
と結託してめぐみさんたちを「死亡」として拉致問題を終わらせようとした。
2002年9月17日午前10時、小泉首相一行が平壌に着くと、北朝鮮
外務省
は田中均局長を呼んで口頭で「朝鮮民主主義人民共和国
赤十字会が日本赤十字社
宛に行う予定の通報内容」として「確認された生存者は、蓮池薫さん、奥土祐木子さん、池村保志さん、浜本富貴恵さんです。久米裕さんは、我が国に入って来たことがないものと判明しました。横田めぐみさんを始めとしたそれ以外の方達は、死亡したものと確認されました。横田めぐみさんの娘さんが生きているものと確認されました。それ以外に日本側から提起された名簿にはない一名の生存者が確認されました。」と伝達をした。また、北朝鮮
側は田中局長に死亡とされた8人の死亡年月日が記載されている文書を伝達した。
信じがたいことに田中局長は「死亡」とされた8人について死因の説明や遺骨の提供を求めず、生存とされた5人を即時帰国させることをも求めずその通報をただ受け入れた。彼の頭の中では、平壌宣言
を両首脳に署名させることが最優先だったとしか思えない。そうでなければ13人のうち半数以上の8人が死亡と一方的に伝えられて、死因の確認もせずに本会談に入るなど考えられない。
当日、朝から被害者家族は私たち支援者とともに国会議員会館で平壌からの連絡を待っていた。午後になり福田官房長官から連絡があって、平壌と暗号電話がつながる外務大臣公邸で被害者の消息を伝えるという。全員について消息を伝えるという条件がついたので、しぶしぶ家族は公邸に移動した。
そこで「いま慎重に確認作業をしている」と言われて1時間程度、待たされた末、横田さん夫妻が最初に別室に呼ばれ、植竹外務副大臣から「残念ですが娘さんは亡くなっておられます。確認のためにこれまでお待たせしました。子どもが1人います。死因も死亡日もわかりません」と通告された。その後、有本恵子さん家族、市川修一さん家族、増元るみ子さん家族が順番に呼ばれて同じ通告を受けた。みなが断定形で死亡といわれた。
拉致被害者死亡謀略に加担した外務省(2)
しかし、死亡の確認作業は行われていなかった。いや、平壌の田中局長には確認作業を行う意思がなかった。午前の会談が終了し2時間の休憩となった。平壌に同行した安倍晋三 官房副長官のところに、生存とされた蓮池夫妻、地村夫妻とめぐみさんの娘があるところで待機しているので確認に行きますと伝えられた。安倍副長官が、小泉首相が会うからここに来てもらえと指示すると、少し離れたところで難しいという。安倍副長官が、それでは自分が行くと伝えると、本人たちが望んでいないという理由で拒絶された。そのうちに午後の会談の時間が近づき、事務方の役人が向かうことになった。(以上は9月18日朝、安倍副長官から私が直接聞いた)。
田中局長が派遣したのは、梅本和義・駐英大使館公使だった。梅本氏は前任の北東アジア課長だったが、当時は車や部屋などの手配などを担当していて、被害者に会うための事前準備は一切していなかった。そのため、蓮池夫婦、地村夫婦が開口一番、「両親は元氣ですか」と尋ねたのに対して「分かりません」と答えている。実は地村保志さんのお母様はその年の5月に亡くなっていたのだが、そのことを梅本氏は知らずに面会に行った。その上、驚くべきことに梅本氏はビデオカメラ、カメラ、録音機など記録をするための機材を持っていかなかった。
蓮池薫さんは、これが蓮池薫である証拠だと梅本氏にズボンをまくって足の傷を見せた。薫さんは小学校時代に交通事故になっておりその際の傷だった。しかし、田中局長は事前に被害者の特徴の調査を全く行っていなかったため、梅本氏は「蓮池薫を名乗る人物に面会した」と報告したという(9月18日夜、蓮池さん家族に梅本氏が説明)。
死亡とされた8人の「確認作業」は、横田めぐみさんの娘であるいうヘギョンさんと梅本氏が面会こと以外は一切なされていない。そして、その面会でも、ヘギョンさんが持参しためぐみさんが失踪時に持っていたとされるバトミントンのラケットとカバーを、借り受けてくることはおろか写真を撮ってくることもしなかった。横田さんご両親は暗号電話のつながる外務省
施設にいたのだから、電話でラケットとカバーのメーカーや色などを伝えて確認することもできたはずなのに、それすらしなかった。
北朝鮮の一方的な通告とこのようなでたらめな面会だけを根拠に、家族らは政府から「亡くなりになっています」と断定形で通告された。マスコミも号外を出して「8人死亡」と断定形で報道した。家族らが悲しみの中、諦めてしまえば問題は終わっていたかもしれない。
翌18日朝、平壌から帰った安倍副長官が家族らが泊まっていたビジネスホテルに来て詳しく報告してくれた。そこで、死亡は確認されていないという重大な事実が初めて明らかになった。そこから家族会
・救う会
は、死亡は確認されていないとのキャンペーンを全力で展開し、政府もマスコミも19日頃から「死亡」「遺族」という言葉を使うことを止めた。危なかった。
(了)