原発ゼロ政策 即時撤回して「25%超」に
世界で孤立し責任果たせぬ
現実を直視せず、十分な検討も経ることなくまとめられた「空論」というほかない。
政府は日本の新エネルギー計画の指針となる「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した。「2030年代に原発稼働ゼロ」の実現を目指すことなどが柱だ。
野田佳彦首相は「困難でも課題を先送りすることはできない」と述べたが、これに従って政策の舵(かじ)を切れば、エネルギー不足の日本は亡国の淵(ふち)に向かって漂流する。速やかに撤回すべきだ。
≪日本を没落させる空論≫
エネルギーに事欠く国や文明は存続し得ない。歴史が証明してきた自明の法則だ。大飯原発の再稼働に当たり、野田首相は自ら「原子力発電を今止めてしまっては、また、止めたままでは、日本の社会は立ちゆかない」と宣言していた。あれは何だったのか。
民主党政権の原発政策は、近づく衆院選を意識するあまりの無責任な迎合だ。20年後の日本社会と国民を犠牲にして党利党略に走る姿勢は許されない。
民主党政権が描いたエネルギー・環境戦略には、国際的な視座が完全に欠落している。非核保有国でありながら、唯一使用済み核燃料の再処理を認められている日本の立場と責務を、野田首相をはじめ政権中枢部の政治家は誰一人、理解していなかったとみえる。
日米原子力協定を結んでいる米国へも原発政策の満足な説明をしていなかった。日本が原発の使用済み燃料の再処理を委託している英仏両国も唐突感のある原発ゼロ路線に戸惑いを隠さない。
千年に1度の大津波で、福島第1原子力発電所は炉心溶融事故に至ったが、日本の原発技術に対する世界の信頼は依然として高い。その日本が原子力発電から撤退すれば、新規導入を目指している途上国などのエネルギー計画は大きな狂いが生じる。
途上国が地球温暖化と資源問題に配慮しつつ経済発展を遂げようとすれば、原発は不可欠のエネルギー源である。
民主党政権は、将来のエネルギーシナリオを国民に問うたとき、最終的には「原発比率15%」でまとまると踏んでいた。しかし、意見聴取会で電力会社の社員の声を除外するなどした結果、世論はゼロに傾き、偏った。それに党内の反原発派が雷同し、収拾不能の現状に陥ったのだ。
このまま原発ゼロ路線を修正しなければ、貴重なエネルギーだけでなく、日本が構築してきた原発技術に対する世界の信用も失うことになる。
民主党政権の認識不足は、国内対応においても著しい。
核燃料サイクルは、長年にわたって日本のエネルギー政策の中核として位置づけられてきた。
≪核燃料対策は泥縄式だ≫
にもかかわらず、そのための主要施設である再処理工場や中間貯蔵施設が立地する青森県の六ケ所村、むつ市に対して十分な説明をしないまま、原発ゼロへの議論を机上で進めた。
地元の反発に「使用済み核燃料の再処理事業は継続する」との方針を示したが、そもそも原発ゼロなら再処理事業に将来性はない。長期的には大いなる矛盾だ。
再処理事業の確実な実施が困難になった場合には、かねての協定に基づき、再処理工場の貯蔵プールに置かれている大量の使用済み燃料は、発生元の各原発に返却されることになっている。
政府は「安全性が確認された原発は当面、重要電源として活用する」としているが、使用済み燃料が戻されると原発の再稼働そのものが成り立たない。
冷静に状況を判断すれば原発ゼロは不可能だ。野田首相は政治判断を下し、経済界などが主張するように、最低でも25%以上の選択をすべきである。国家百年の計に属する重大事項だ。
一時的には非難の声を浴びるとしても、国の舵を正しい方向に切るのが首相としての責務である。「国民の過半が望んだこと」として、責任を大衆に押しつける姿勢は無責任にすぎよう。
「失われた20年」に「エネルギー喪失の20年」を継ぎ足す愚行は何としても避けたい。将来世代のためにも、日本を没落させる道を進んではならない。原発のリスクは否定できないが、原発ゼロのリスクは限りなく大きい。国民も現状の危うさに目を覚ますべきときである。