【土・日曜日に書く】
「平穏な」という常套句 「波風立てず」外交のあげく。
「平穏かつ安定的な維持・管理をはかるため…」
この夏、沖縄の尖閣諸島をめぐり、国民は野田佳彦首相ら政府側から何度、この常套(じょうとう)句を聞かされたかわからない。
疎開船遭難事件の慰霊祭を計画する「日本の領土を守るため行動する議員連盟」や、尖閣購入をはかっていた東京都の島への上陸申請を許可しなかったとき、判で押したように同じ理由をあげた。
都の購入に先んじて国有化を決めたのも「尖閣を平穏かつ安定的に維持・管理する観点から」(7月7日、野田首相)だった。
わかりやすく言えば「日本人が尖閣に上陸したら中国が怒ってきて面倒なことになるから、許可しない」ということである。「中国が嫌っている石原慎太郎知事の東京都が購入し、漁船の避難港でも造ったら、日中関係がこじれるじゃないか」とも言いたいのだ。
この「平穏かつ安定的な維持・管理」というのは、自民党政権時代の平成14年、国が島の所有者から賃借を始めたときの理由だった。それを歴代政権が「踏襲」してきたのである。
文言の中身もさることながら、何年も前に決めた基本方針を一字一句変えずに引き継いでくる。まさに日本外交が「得意技」としてきた「事なかれ」主義、「波風立てず」主義の象徴といえる。
その場しのぎの「談話」
歴史認識に関する「宮沢」「河野」「村山」という3つの政府談話もそうした「波風立てず」外交の反映でしかない。
昭和57年8月26日、宮沢喜一官房長官が発表した「宮沢談話」は教科書検定について「今後の検定は近隣諸国に配慮する」としたものだった。
2カ月前、その年の教科書検定結果が発表された。このうち高校の社会科教科書で「日本軍が華北に侵略」とあったのが検定で「進出」に書き換えられたと、マスコミがいっせいに報じた。
完全な誤報だった。当時の文部省記者クラブが各社分担して検定結果を調べた過程で、あるテレビ局記者が勘違いしたのを全員が鵜呑(うの)みにしたのだ。教科書は最初から「進出」としていた。
文部省も書き換えを否定したのだが、誤報が独り歩きし、中国、韓国が抗議してくる。当時の鈴木善幸内閣は右往左往のあげく、宮沢談話を発表した。つまり事実はどうかより、日中、日韓関係の悪化を恐れたのである。
平成5年8月4日、河野洋平官房長官による「慰安婦」をめぐる「河野談話」もよく似ている。
その2年ほど前から「戦争中に日本軍が韓国人の女性を強制連行し慰安婦とした」という説が一部の新聞などに登場する。歴史的根拠など全くなかったが、これまた独り歩きし、日韓間の政治問題化してくる。
日本政府は二百数十点の公式文書を調べた結果「強制連行を裏付けるものは見つからない」とする報告書をつくった。ところが「河野談話」はそれを無視し「強制」を認める。後に元慰安婦16人への聞き取りだけに基づいていたことがわかる。明らかに日韓外交に配慮したものだった。
村山富市首相による平成7年8月15日の「村山談話」は、先の大戦の要因を「植民地支配と侵略」と決めつけた。50回目の終戦記念日にあたり、それまでの首相演説や国会決議が「侵略(的)行為」としてきたことに対し中国や韓国が反発することに先手を打ち、波風を立てまいとする意図が込められていた。
足元を見透かす中・韓
しかも、これほど悪名高い談話にもかかわらず、以降の政権はこれを見直すどころか「踏襲」することに汲々(きゅうきゅう)としてきた。見直すことで近隣国との軋轢(あつれき)が増すことを恐れているのだ。
そんな談話を発表するたびに、日本人は自らの歴史への誇りを失う。それだけではなく、日本が波風を立てまいとすればするほど、逆に中国や韓国から波風を立てられてきた。
閣僚や政治家がこうした談話に反した歴史認識を述べると、たちまちこれに抗議して、日本政府を揺さぶってくる。
8月に島根県の竹島に不法上陸した韓国の李明博大統領は、慰安婦問題できちんと対応しない日本への抗議の意味だとした。「河野談話」で強制連行を認めた以上、賠償しろということである。
中国が尖閣諸島など日本領土に食指を動かしているのも、これまでの「談話」の経緯から、強く出れば日本は必ず退くと、足元を見透かしているからだ。
相手に合わせた「談話」によってその場を繕うのではなく、堂々と自国の主張を貫くという外交に転じなければ、日本の未来は相当に危うい。
(論説委員・皿木喜久)