安保連携に支障をきたす南朝鮮の暴走。
2012.09.04(火森 清勇:プロフィール
日本ごときが何だ!」と李明博大統領が竹島上陸で咆哮した。その数日後には、かねて訪韓を招請していた天皇陛下に謝罪要求を突き付けた。
何という卑劣!
これに先立つ日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)は調印1時間前にキャンセル。並行して締結協議を進めていた物品役務相互提供協定(ACSA)も中断し、中国とACSAの締結を推進していることが確認された。
「開けて悔しき玉手箱!」であるが、日米韓の安保連携に影響すること甚だしい。
連帯も恩義も感じない韓国
ロンドン・オリンピックのサッカー3位での表彰〔AFPBB News 〕
ロンドン・オリンピックのサッカー3位決定戦で勝利した韓国の選手1人が、「独島(竹島の韓国呼称)は韓国領土」と書いたプラカードを高々と掲げて観客にアピールした。
試合終了後とはいえ、会場の観客だけでなく世界の人々が注視する中で取られた行動は、オリンピック精神に反することに変わりはない。違反者にはメダル授与が保留されたが、他の選手たちは平然と表彰台に立ち、メダルを受け取った。
「チームメイトのお陰」と口々に語っていた日本選手だったらどう対応しただろうか。個人でメダルを勝ち取った選手も、強化合宿などにおける状況を「日本というチーム」が一丸となって練習した成果と捉えていた。
そこで、全員がIOCの裁定が下るまではメダル授与を控えたり、表彰台に上がらなかったのではないだろうかなどと仮想した。
ベルリン・オリンピック(1936年開催)の棒高跳びで、日本人選手2人が2、3位の順位決定戦にもつれ込む。5時間に及ぶ激闘をやった後の、夜9時を過ぎての日本人同士の順位決定戦。
4メートル25センチを1本目でクリアしていた西田修平は、日没であったことやこれまでの国内試合(3位になった大江季雄は日本記録保持者)などを考えてか、競技を打ち切って2位を分け合うことを審判に要請する。
提案は受け入れられなかったが、大江を2位の表彰台に上げ自分は3位の表彰台に立った。帰国後、銀と銅の2つのメダルは真ん中で切断され、銀銅半々のメダルとして繋ぎ合わされる。「友情のメダル」として、かつては教科書にも載った日本人の美談である。
1997年の通貨危機の時、韓国はIMFの管理下に置かれた。日本は米国に次ぐIMFへの出資国であり、韓国の窮状を救うべく尽力した。その後の韓国はウォン安で輸出競争力を維持してきた。
しかし、ユーロ危機で外貨不足に陥り、日本で何とか調達した。そこで、通貨危機などの緊急時に外貨を交換し合う通貨交換(スワップ)協定の枠拡大を韓国が日本に依頼しながら、国民には日本から申し込んできたと嘘の説明をしている。
2011年10月、日韓通貨スワップ協定の限度額を700億ドルに拡大。このあと踵を返したように李明博は慰安婦問題で対日強硬姿勢に出た〔AFPBB News 〕
天皇謝罪要求など一連の事象を受け、安住淳財務相は協定枠の拡大について、「日本国民の納得を得られるものではない」と、見合わせることを明らかにした。
遠くは近代化を受け入れようとしなかった李氏朝鮮の崩壊から、日清・日露戦争の経緯、その後の韓国併合や従軍慰安婦など、すべてが「日帝36年の所業」として日本糾弾でことを済ませてきた。
今日の多くの韓国人は歪曲された歴史しか知らない。日本は生半可な妥協をすることなく、歴史の真実を韓国に厳然として示す必要がある。
地縁・血縁大統領の宿命
李明博大統領は、2008年の就任前には「(日本に過去を巡る)謝罪や反省は求めない」と語り、就任2か月後の訪日では「過去にこだわって未来が損なわれてはならない」と、新しい日韓関係を築く姿勢を見せた。
しかし、任期終了を半年後に控えたいま、日本政府の要請を聞き入れず竹島に上陸し、自ら招請しておきながら、訪韓条件に天皇陛下の謝罪を要求した。
未来志向どころか、これまで築いてきた日韓関係さえ破棄し、就任時よりもはるかに両国関係を悪化させた。首相の親書さえ突き返すという前代未聞の暴挙にでて、お互いの会話も成り立たない状況にしてしまった。
日露は北方領土の帰属を巡って係争している。諸外国はこのことを知っているし、また、ロシアの法律に基づく外国企業の参加は、ロシアの主権を認めることになるとして日本は反対してきた。
こうした事情を承知して、諸外国はロシアの北方領土への外国企業誘致に乗らなかったが、韓国だけは択捉島の岸壁工事に、日本の反対を押し切って建設企業を参加させた。
在韓日本大使館前の従軍慰安婦像の設置に続くもので、大統領の竹島上陸などにつながる韓国の横暴の引き金になったのではないだろうか。
国際社会の賛同を勝ちえない偏狭な愛国行動が一時的な支持率回復にはつながっても、最終的に悲惨な運命をたどることは歴史が示している。真の民主主義というよりも、両班に由来する地縁・血縁が基本的には韓国社会を動かしているからであろう。
他の地縁・血縁の支持で権力を持った次期大統領は自己の権力固めのためにも、前任者の疑惑調査などに乗り出すのを宿命のように繰り返してきた。
こうして歴代大統領は任を終える前後に、亡命(李承晩)、暗殺(朴正熙)、逮捕(全斗煥〈死刑判決も〉、盧泰愚)、親族・側近逮捕(金泳三、金大中、盧武鉉、李明博)などの運命に晒されており、ほとんどが悲惨な末路をたどっている。
汚職を苦に自殺した韓国の元大統領盧武鉉の葬儀〔AFPBB News 〕
中でも前大統領の盧武鉉は徹底していた。名称もずばりの「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法(通称「親日法」)を施行した。
日本がすべて悪であり、そういう日本に協力して築き上げた財産は国家が没収しても構わないという事後法である。
「日本憎し」が高じて、「親日=反民族」という論理である。反日を煽るだけ煽った大統領であったが、不正融資の供与を受けた疑惑で事情聴取されている時、遺書を残して果てた。
現大統領李明博も、親族の不正蓄財から支持率が低下し苦慮している。竹島に上陸するという暴挙や、天皇謝罪を求めるという愚挙で幼児性を世界に露呈し、心ある韓国人の怒りさえ買っている。日韓の距離は一段と広がり、両国に計り知れない損失をもたらした。
反日親中を伺わせるACSAの推進などは、喫緊に必要となっている日米韓による対中朝戦略の構築を覚束ないものにしようとしている。
これが歴史の真実だ
日本に在って『韓国併合への道』や『韓国 倫理崩壊』などで冷徹に日韓関係を検証してきた呉善花(オ・ソンファ)は韓国入国ができないし、豪州で勉強して初めて日韓歴史の真実を知ったという金完燮(キム・ワンソプ)の『親日派のための弁明』(韓国で韓国語発刊)は「青少年有害図書」に指定され事実上の発売禁止になり、当人は「外患煽動」などで告訴・逮捕され、釈放後の訪日は出国禁止で叶わなかった。
今日の韓国の硬直ぶりを示して余りあるが、国交正常化までは日本人は言うべきことをはっきり言っていた。
外相になる前の椎名悦三郎は次のように堂々と語っている。
「西欧の帝国主義がアジアに牙をむいているとき、アジア・アフリカを通じて、西欧帝国主義を阻止する勢力は日本以外になかった。日清戦争は決して帝国主義戦争ではなく、日露戦争はロシア帝国主義に対する痛快な反撃であった」(『親日派のための弁明』から抜粋、以下同)
「(中略)日本が明治以来、強大な西欧帝国主義の牙からアジアを守り、日本の独立を維持するため、台湾を経営し、朝鮮を合邦し、満州に五族協和の夢を託したことが、日本帝国主義というのなら、それは栄光の帝国主義であり・・・」
日韓国交正常化を控えた日韓会談の高杉晋一首席代表は以下のように遠慮なく語る。
「日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとした。山には木が一本もないということだが、これは朝鮮が日本から離れてしまったからだ。もう20年日本と付き合っていたらこんなことにはならなかっただろう」
「(中略)日本は朝鮮に工場や家屋、山林などをみなおいてきた。創氏改名もよかった。朝鮮人を同化し、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫とかいうものではない。過去をいえば向こうにも言い分はあるだろうが、わが方にはもっと言い分がある」
日本が過度に韓国に配慮するようになったのは、教科書の書き換え問題が誤報と判明したにもかかわらず、宮沢喜一官房長官が「近隣諸国に配慮する」談話(昭和57年8月)を発表して以降である。
配慮外交が虚弱な日本にした
藤尾正行文部大臣は次のように述べている。
「仮に侵略があったとして、侵略を受けた側にもいろいろと考えるべき問題があると私は思うんですよ。例えば日清戦争というものを考えてみると、当時の朝鮮半島は一体どんな情勢にあったのか。これは清国の属領ですよ」
「その清国の朝鮮に対するインフルエンスというものは、なぜか言われませんな。で、清国が日本に負け、替って日本が進出しようとしたところへ三国干渉でしょう。日本は屈従を強いられ、その後にノコノコと出てきたのがロシアですね」
「これを放っておいたら、朝鮮半島はロシアの属国になっていたかもしれない。その根を絶とうというんで、日露戦争が起こるわけですよ。いま韓国に対する侵略だと盛んに言われておる日韓の合邦にも、少なくともそれだけの歴史的背景があったわけでしょう」
この発言に韓国が抗議すると日本の新聞も批判しはじめ、与党からも辞任すべしとの声が聞こえてきた。文相は辞任を拒否するが、中曽根康弘首相が罷免した。
藤尾は翌月号で次のように書いている。
「当時の日本政府の取った行動が、世界列強と同じように功利的なものだったことは否定すべくもありません。しかし、だからといって日本のみが非難されるのは、これまた公正を欠くのではないだろうか」
「(中略)“日韓の不幸なる歴史”を生んだ責任の一半は、やはりアナクロニズムで無気力な李朝・大韓帝国の側にもあったのではないか」
「(中略)一番許せないのは、今日の日本の基礎を作った明治の大勲たちがやったことを、すべては血塗られた侵略であり、悪逆非道な帝国主義だったとして、中曽根はじめ、昭和の政治家が口をぬぐって涼しい顔をしている。そんなことが許されるのか、ということですよ」
江藤隆美総務庁長官の「日本はいいこともした」も問題になった。
「高等農林学校を作りました。ソウルには帝国大学も作りました。(中略)道路、鉄道、港湾設備、山に木を植えた」
「(中略)日本から見ればあそこは決して植民地という意識はなかった。内地の水準に高めようとしたんです。李王朝の金銀財宝を日本に持ってきて飾っとく気はない。ルーブル美術館や大英博物館は世界中からかっぱらって、日本は中国からも韓国からもそういうことをしとらん」
「(中略)日本のあらゆる階層で韓国が活躍できるようになったのは、日韓併合の効果といえるかもしれん」
韓国からの辞任要求は拒否したが、日本の野党が辞任決議案を提出するに至り、国会の混乱を避けるために辞任する。しかし、翌年の記者団との新年懇談会でも「なんで反省しないといけないのか。日本はそんなに恥ずかしい国ではない」と語っている。
国益毀損の談話を廃止せよ
8月15日をはさんだ数日間の韓国大統領の行動は、今後の日本に大きな影響を与えるであろう。また、大統領の甘言に日本が騙されてはならないことを李明博自身が見事に示してくれた。
韓国人の精神の根底には反日教育の成果が満ち満ちているが、日本はついつい見落としがちである。
「他策なかりしを信ぜんと欲す」は、なぜ日本は日清戦争をすることになったかを陸奥宗光外相が書きつづった『蹇蹇録』の最後に出てくる言葉である。李氏朝鮮という国家、朝鮮人の在り様を凝視した結果、朝鮮の独立以外に日本の安全確保策はないというものである。
今日の日韓関係を論ずるには、大東亜戦争やその結節としての8月15日だけに目をやっていては何ら解決しないことも示している。
日本がやるべきことは、長期的な国益を熟考したものでなければならない。反日の材料になっているものは従軍慰安婦問題であり、竹島問題であり、歴史問題である。
河野談話(平成5年8月)は、軍が強制的に民間女性を募集して慰安婦にした、いわゆる「従軍慰安婦」なるものの明確な証拠は見つからなかったが、「在ったかのように」匂わせる文書にすることで大統領の窮地を救うという行為から出したものであることを、作成に関わった石原信雄官房副長官が語っている。
日本の温情に応えるどころか、日本糾弾の道具として韓国は利用し、世界中に広めようとしている。
竹島問題、歴史問題に関しても、日本には多くの言い分がある。しかし、平穏理に外交で解決しようと罵詈雑言にも耐えながら、控えてきた。
村山首相に始まる歴代首相の談話も、法的には決着しているが、そのような国際ルールを無視して騒ぎ立てる韓国人の心をいくらかでも鎮めることができるならばという配慮から、屋上屋を重ねるように発表してきた。
しかし、韓国は見境もなく、謝罪要求の根拠と錯覚している。日本人の馬鹿正直も国際社会に持ち出されると、ブーメランのように日本指弾の凶器となって返ってくる。
『坂の上の雲』が余りにもベストセラーになった関係か、日露戦争が表に出過ぎて、日清戦争は陰に埋没してしまった感さえある。
しかし、外務省の敷地内には陸奥宗光の銅像しかないところを見ても、日清戦争に勝たなければ日本の近代化も日露戦争の勝利による有色人種への勇気づけも、さらには大東亜戦争後のアジア・アフリカの開放もなかったに違いない。
宮沢談話も河野談話も、そして村山談話も日本の配慮と善意に基づくものであるが、悪くどく利用して世界に「日本=悪者」の構図を広める方便に利用されるからには敢然と廃止するほかはない。
おわりに
「広島に原爆が落ちて、アジア人と日本人の命は救われた。それなのに、残酷極まりない戦犯、加害者の日本がいつのまにか場所を替え、徹底した『被害者』の悲しげな顔をしている」(田麗玉『悲しい日本人』、以下同)
「靴を脱いでから体の向きを変え、履き易いように靴の先を外にして揃えておいて中に入る。なぜこんなムダなことをするんだろう」
KBSニュースキャスターが2年半日本にいて、一個人として感じたままを書いた上記著書が300万部のベストセラーとなり、当人はその後国会議員となる。韓国人が、揚げ足取りで、いかに皮相な日本観しか持ち得ないかが伺える。
韓国にはいまだに言論の自由がない、疑似民主主義でしかない。以心伝心は日本人同士でしか通用しない。日本は遠慮することなく、日本の安全保障の必要からではあったが李氏朝鮮に2度も「独立を与えた」ということを教えてやるべきであろう。