ゴラン高原派遣部隊にとって欠かせない存在に。
2012.08.28(火)森 清勇:プロフィール
ゴラン高原派遣自衛隊は、イスラエルとシリアの停戦状況および兵力引き離しに関する合意の履行を監視するUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の輸送業務を中心とする後方支援を担当している。
その隊員たちにイスラエルを案内して和みと英気を与え、また同国を訪れる日本人ツアー客にゴランで大任を果たす自衛隊について語り、自衛隊の重要性・必要性を説いている日本人ガイドがいる。
イスラエルという国
旧約、新約聖書にまつわる4000年の歴史を有し、ユダヤ教、キリスト教およびイスラム教の聖地が共存する国である。紀元70年にユダヤ民族国家がローマ帝国によって滅ぼされると、ユダヤ人は世界中に離散していった。
1947年11月、国連がパレスチナ分割案を認め、翌48年5月14日英国軍がパレスチナを撤退すると、ユダヤ国民評議会がテルアビブで独立を宣言する。エルサレム神殿があったパレスチナの地に、約2000年ぶりに悲願の建国をしたのである。
しかし、ユダヤ人が60万人であったのに対し、建国を認めない周辺のアラブ人は4000万人で、その日にアラブ連盟5カ国(レバノン、シリア、ヨルダン、イラクおよびエジプト)が宣戦を布告、翌15日に侵攻して第1次中東戦争が勃発する (後にサウジアラビア、イエメン、モロッコも部隊を派遣)。
1年2カ月にわたる戦争に勝利して、イスラエルは何とか独立を維持することができた。
以後も第2次(1956年)、第3次(1967年)、第4次(1973年)と戦争を繰り返す。秋田・山形2県の大きさで、現在800万人の人口を擁するイスラエルは、技術力と先制攻撃も厭わない戦略で国家の安全を保持している。
「嘆きの壁」や「岩のドーム」と称される聖所がある東エルサレムはユダヤ教徒地区、イスラム教徒地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区に分割されており、PLO(パレスチナ解放機構)はここを首都に定めている。
この東エルサレムを含むエルサレムは言うまでもなくイスラエルの首都でもある。
イスラエル国内には虫食いのように、軍および警察権、並びに民政を含む行政権すべてをPLOが管轄する地域(A地域)や、軍と警察権はイスラエルが保有するが、民政を含む行政権はPLOが保有する共同管轄地域(B地域)が散在する。
イスラエル人が全くフリーで行き来できるのは残余の地域(C地域)だけである。PLOが国家として承認された場合、2国家共存をどのように保障するか問題になろう。
例えばエルサレムの東北25キロに位置するエリコはA地域である。イエスが悪魔と対峙し「人はパンのみで生きるに非ず、神の言葉で生きる」と答えた「誘惑の山」に行くには、ユダヤ人運転の車はエリコ市内を通れず、外周を迂回する形で行くよりほかない。

同様に、エルサレムの南10キロにあるイエスの生誕地ベツレヘムもA地区で、ベルリンの壁よりもはるかに高く厚い壁(右の写真:ほぼ高さ5メートル、厚さ50センチ、ベルリンの壁は高さ2メートル、厚さ30センチ)で仕切られている。
ユダヤ人運転のツアー客は、入域検査を受けてパレスチナ人運転のバスに乗り換えなければならない。
ガザ地区やヨルダン川西岸も同様にA地区である。ヨルダン川西岸では鉄条網のイスラエル管轄側に未舗装の道路があり、侵入の足跡などを監視するジープがパトロールしている。
不安定な中東情勢
第4次戦争以後、戦争こそ発生していないが、緊張状態と小さな紛争は幾度となく繰り返されてきた。2008年にはイスラエルが17万6000余の兵力を動員して過激派ハマスが管轄するガザ地区を攻撃(ガザ紛争)、紛争は3週間継続してパレスチナ側に1300人超(イスラエル側13人)の死者を出している。
シリアのアサド政権の断末魔的蛮行やイランの核問題は中東の安定を脅かそうとしている。イスラエルは、特に周辺国の核開発に強い危機感を持っている。
イラクが核開発の兆候を見せた1981年6月には、空軍機による先制攻撃でオシラク原子炉を破壊した。イランの核問題に対しても、米国が外交を通じた解決を求めているのに対し、イスラエルは「安全保障面で独自の決定を下す主権がある」と主張して、最大の支援国である米国にさえ縛られないとしている。
こうした中東の不安定な情勢が発火しないようにUNDOFは機能している。同PKO(平和維持活動)は第4次中東戦争翌年の1974年に設立され、現在活動中の国連PKOでは最古となる。自衛隊は1996年に参加し既に16年が経過、現在は第33次要員が任務に就いている。自衛隊にとっても最長のPKOである。
「嘆きの壁」などの聖所に行くには携帯品の検査を受けることになる。特に「岩のドーム」はイスラム教徒地区にあり、警戒が厳重である。警官はピストルに弾を込め、軍隊はライフル銃に装弾し、共に腰ベルトに予備弾薬を携行し警戒している。
厚生省や通産省でさえ、車は厳重な入門チェックを受けている。

外務省は建物も一段と頑丈に見えたし、外観写真を撮っている時、バイクで入門する青年(右の写真)がこちらをちらりと見たかと思うと、素早く警備員らしきものが出てきて「何を撮ったか」と聞いてきた。
反応の速さと日本の官庁ではほとんどあり得ない警備の状況に圧倒される。
18歳以上のユダヤ人男性は3年、女性は2年の兵役義務がある。
聖墳墓教会などイスラエルの歴史に関わる場所であどけなくふざけ合う軍学校の生徒をたくさん見かけたが、安全と歴史を一体的に教えようとしている努力の一環のように思えた。
隊員を勇気づける日本人ガイド
イスラエルに在って、ゴラン高原で活躍する隊員に便宜を図り、ツアー客に自衛隊応援を訴えている日本人がいる。日本の大学を卒業後ヘブライ大学に学び、イスラエル政府公認ガイドのライセンスを持つ信夫兆平(しのぶ・ちょうへい)氏である。
「なぜ卒業後も残留されたのですか」という問いに、「イスラエルにいると世界が見えるから」という返事であった。
エルサレム神殿やマサダの要塞に代表されるようにイスラエル自体の歴史も凄まじいが、現在進行形で進む世界の動きも中東がらみが多く、世界が見えるというのは過言ではない。
イスラエル在住33年の信夫氏は、最初のゴラン派遣隊員から、国連休暇の1~2日間、エルサレムを案内しているそうである。イスラエルの歴史やイエスにまつわる話などに興味を持った隊員は、その後自分で「山上の垂訓教会」周辺やローマ軍に立ち向かい自決して果てたマサダ要塞などを訪ねたりするという。
マサダ要塞で説明を受けている時、第33次要員から電話がかってきた。休暇でドバイに行くためベングリオン空港に来たが足止めされている、どうしたらいいかという相談である。
氏は空港の責任者に代わってほしいと要求、責任者とヘブライ語で話した後、いま責任者に事情を話したので再度コンタクトしてみなさいとアドバイスされていた。このように、隊員からの問い合わせがかなり来るという話であった。
我々のツアー一行に対して、イスラエルの歴史はもちろん、イスラエルの精神構造から見る国際情勢などの話の後、ゴラン高原で勤務する自衛隊のことに触れられた。
趣旨は、家族を日本に残して、このように(連日40度前後の天気が続く)厳しい環境の中で、国際社会の平和のためとはいえ半年間も勤務する辛さは大変なものと思う。
1人でも多くの人が、自衛隊を理解し、応援することが彼らの心の支えにもなり大切なことである、というものであった。
ゴラン高原を眼前にするガリラヤ湖畔遊覧のときも、あのゴラン高原では自衛隊がイスラエルとシリアが停戦協定を守っているかどうかを監視するUNDOFの一員として四十数人が活動している。
自衛隊は国内の防衛だけでなく、国際社会の平和と安定に大変な寄与をしている。素晴らしいですね、と説明された。
「私が自衛隊OBということをご存じで自衛隊のことをプレイアップして話されたのですか」と聞いてみた。大変重要な国際貢献だからどのツアー客にも同様に話しているということであった。
おわりに
イスラエル行の目的に、ゴラン高原の自衛隊激励という願望があったが、一民間人では叶わないことは自明である。しかし、夏季(雨季もある)の気候風土を実感できたし、ガリラヤ湖畔から隊員が国際平和のために奮闘するゴラン高原を眼前に眺めることができた。
また、ゴランで勤務する隊員にエルサレムを案内しながら勇気づけ、日本人ツアー客に自衛隊がゴラン高原の慣れない環境で頑張っていることや、イスラエルの歴史に関連させながら自衛隊(軍隊)の重要性などについて説明しているガイドに会えたことは、望外の喜びであった。