憲法9条に縛られた独自の行動基準。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






今なお「駆けつけ警護」が認められない自衛隊PKO


草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。大日本帝国憲法復活! 


2012.08.23(木桜林 美佐:プロフィール


草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。大日本帝国憲法復活! 




















 2012年は自衛隊がPKOで初めてカンボジアに派遣されてから20年という節目の年にあたるため、本連載においても国際平和協力活動のこれまでを振り返る機会を作りたいと思っていた。

 そしてそれは、PKO協力法改正案が国会で審議されるタイミングで・・・と考えていたが、結局、同法案の今国会での提出は消費税増税法案の国会審議の障害となりかねないということで見送られてしまった。

他国の部隊を助けることができない自衛隊PKO

 今回の改正案のポイントはいわゆる「駆けつけ警護」を認めるかどうかであった。私は常々、不思議に思うのだが、この「駆けつけ警護」なる言葉の意味するところは、国民に正確に理解されているのだろうか。

 テレビディレクターをしている私の友人は、取材でハイチに行った際、「危なくなったら自衛隊が助けに来てくれるんだよね?」と気にしていたので、それはできないと教えてあげたら「自衛隊はひどい!」と怒っていた。

 「駆けつけ警護」とは、国連平和維持活動(PKO)活動中に国連職員やNGOなど非政府組織の民間人が宿営地外で襲われた場合も、自衛官が助けに行くことができるというものだ。

 もし、日本人の全てがこの中身を分かっていれば、到底、反対はできないのではないだろうか。自衛隊派遣は国連の定める枠組みとかけ離れているのだ。

 国連は、「要員を防護するための武器使用」(Aタイプ)や、「国連PKOの任務遂行に対する妨害を排除するための武器使用」(Bタイプ)を認めているものの、日本の「国際平和協力法」では、Aタイプの武器使用、しかも「自己や現場に所在する他の自衛隊員等」と、「自己の管理下にある者の防護のため」にしか武器の使用を認めていない。

 同じ国連PKOに参加している他国の部隊や隊員が攻撃された場合でも、駆けつけて必要に応じ武器を使用することは許されていないのだ。Bタイプに至っては、全く認められていない。

つまり、派遣された隊員は、共に行動する他国の部隊とは別の基準で行動することになる。他国の部隊や要員が危険にさらされ、自衛隊に救援を求めたとしても助けることはできない。

 「最近は、他国軍も日本の特殊な事情を理解してくれるようになってきています」とは、PKOを経験した隊員から聞いた話であるが、これをありがたいと受け止めるのか、残念だと感じるべきなのか、もはや感覚が麻痺してきているような気がする。

 しかし、もし「その時」がきて、自衛隊がそのような非常識的行動を取ったなら他部隊との信頼は崩れ、国際社会の非難を浴びることは必至であろう。何より、そんな行動を取らねばならない現場自衛官の心中は察するに余りある。

自衛隊PKOの手足を縛る憲法9条

 対象が民間人の場合も同様に制約がある。現行法では自己の管理下にある者に限定されているため、少しでも離れた場所にいる人はその範疇ではない。

 東ティモールPKO(2001~2004年)において起きた事案は象徴的である。首都ディリでデモが発生し、600~800人に及ぶデモ隊が政府庁舎前に集結。さらに、この騒ぎに乗じた別の群集が各地で放火や略奪を始めるなど、急激に事態が悪化した、その時のことだった。邦人レストラン経営者から「車が焼かれて店が襲撃されている。助けてくれ」という電話が入ったのだ。

 時の指揮官は直ちに6名の隊員に緊急出動を命じたという。たまたま、休暇中の隊員3名が市内に滞在していることが判明したため、その隊員の安全を確保の目的で現場に入り、助けを求めていた邦人とスリランカ人店員の計5人を救出することができたが、こうしたケースでは現場指揮官の肩に多大な責任を背負わせることになる。

 その現場に赴くことが法的に可能なのかどうか、武器を使わざるを得なかったら? と苦悩しなければならなかった。

もし自分がその場にいる日本人だったら、どう思うだろうか? 「法的根拠がないから仕方ないですね」などと言う日本人はいるだろうか。大半が「自衛隊は同胞を見捨てるのか!」と感じることだろう。

 なぜ、自己や自己の管理下にある者には武器の使用が認められているのに、「駆けつけ警護」や妨害排除のための武器の使用はできないのか、その理由は憲法9条に行き着く。

 現憲法下では、個別的自衛権は行使できるが、それ以外は「武力の行使」にあたるとして認められていないのだ。

 ちなみに、世界を見渡しても、国連PKOの国際基準で認められた武器使用が、国連憲章で禁止された「武力の行使」に当たると解釈している国はどこにもないという。

「困っている国を助けに行く」次元のものではない

 こうした国際的活動においてわが国だけが自国の独自基準で行動することは、紛争が複雑化している昨今、かなり無理が出てきている。

 日本はPKO派遣要員数が主要国の中でも少ないということで、もっと出すべきだという声もあるが、このような実情からすれば、そう簡単には決められないのは当然だろう。

 そもそもPKOは何のため出るのか。これは「困っている国のために行く」などという次元のものではない。どの国でも、国益の観点から派遣を決めているはずだ。

 今のところわが国のPKOは主に後方支援分野での参加で、メインプレーヤーになることが多い施設部隊はハイチと南スーダンの2正面で活動し、災害派遣でも所要が大きい。

 しかし、この施設部隊も人員の削減により縮小されていることは見過ごせない。PKOはニーズがあるからといって簡単に行くものではない。まずは、こうした国内事情と照らし合わせて、いかにして国益に資する結果に繋げるのか国のビジョンが不可欠だろう。