夕刻の備忘録
様のブログより。
前回は彼等の「手口」について紹介した。その「基本形」は極めて単純であった。しかし、それには様々な「応用編」が附随し、これら全体に正確に対処出来る人は、まだまだ少ないだろう。
例えば、「マスコミも大統領の発言に当惑している」「余りに突出した発言なので、火消しに躍起になっている」「国内からも過激な発言に対して批判の声が出ている」等々である。これは前回紹介したように、恫喝役と宥め役を複数の人、組織で分担するパターンであり、「賢明なマスコミ」、あるいは「冷静な国民」をでっち上げて、宥め役を演じさせようという魂胆である。ネットの中にも、既にコロリとやられている人を多数見掛ける。もういい加減、目覚めて欲しい。
「日本の常識が通じない」ということは、その「常識」を適用すれば、間違うということである。例えば、「善い人も悪い人も居る」「全ての人がオカシイわけではない」というのは、我が国の常識、極端を廃する考え方である。しかし今、日本人のほとんどが感じているように、「常識が通用しない民族」である以上、「極端は廃せない」のである。
即ち、「善い人は居ない」「全てがオカシイ」として処理しなければ理解出来ない、判断を狂わされるということである。これも繰り返し書いてきたことであるが、自浄能力の無い組織は、その構成員が全てダメだと言われても仕方ないであろう。「大きな声では言えませんが、私を含めて反日ではない人間も多数居ますよ」などと、苦も無く言ってのける輩こそ、最も警戒すべき人物である。何しろ、それは正にお家芸である「口だけ」なのであるから。しかも柄にもなく、「小声」なのであるから。
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何故、彼等は「反日」を国是としているのか。
何故、彼等は日本を憎悪の対象としているのか。
その理由は簡単である。
彼等には「自分しかない」からである。彼等の人生には、他人は存在せず、全宇宙を包み込むほどに肥大化した自己愛だけで生きているからである。即ち、自分と他人との相互関係が無く、全ては自分の脳内の幻想としてのみ存在する。こうした他者を含まない、世界の半分しか考えられない連中を「半頭人」と呼ぶことにしよう。
半頭人の最大の不幸は、「二千年を超える歴史を誇る日本」という国が隣にあったことである。そして、「元々の素質」と共に、国家を挙げての「洗脳教育の結果」、それは極めて歪んだ気質を生んだ。即ち、彼等は自分達を「日本人だと思うようになった」のである。
我々日本人から見れば、実に噴飯物の主張が何度も何度も繰り返されて、もはや怒りを通り越して呆れてしまうレベルにある。例えば、「日本人は正直になれ」「日本人は歴史を捏造せず事実を学べ」「我々は歴史を学ぶが、日本人は歴史を偽り、嘘を吐き続ける」等々、コチラから見れば「オマエが言うな」「そっくりそのままお返しします」としか言えない、言葉を失うほどの倒錯現象を毎度毎度見せ付けられる。
彼等は日本が、日本人が居なければ、自己の存在理由を失う。その証拠に、彼等にはオリジナルな思想が唯の一つも無い。日本が「長い歴史を誇る国家だ」と言えば、それよりも大きい数字を言う。先端技術で世界を席巻すれば、それをパクって市場に進出する。アニメが注目されれば、その下請け作業を引き受けて、実はそれは自分達が最初に考えたものだと言い張る。
全ては先に日本がある。自分達が先んじたものは何も無い。自ら「世界最高の民族」と称する彼等の「長所」は、全て「日本人の長所」をそのまま口写しに主張しているものである。そもそも日本列島が存在するからこそ日本海なのであって、もし日本列島が無ければ「そこは太平洋」なのである。彼等が独自名称を主張する根拠など何処にも無いのである。
独自性の根本的な欠如は、倒錯を生み、精神を崩壊させる。そして遂には、長い歴史を誇り、世界に様々な文化的影響を与えてきた存在、それが自分達だと思い込む。こうして彼等は「自分達こそが日本人だ」と考えるようになる。どうしても日本の地位が欲しい、何がなんでも日本の立場にすり替わりたい。ちょうど自分は人間だと信じているアンドロイドのように、自分がジョンレノンであり、目の前にいる男は自分の偽物だと信じて本物を射殺した犯人のように、彼等は自分達を栄光に包まれた存在だと「頭の半分」で考えているからである。
その結果、本物の我々日本人は何に見えるか。
歴史を捏造し、他国の領土を奪い、人を差別し、金儲けのみに狂奔する世界最悪の劣等民族に見えるのである。しかし、最初に断ったように彼等「半頭人」には自分しか存在しない。即ち、見ているのは自分の姿である。彼等は自分自身を見て、それを憎み、それを嫌悪し、憎悪の炎を燃やして、居ても立ってもいられない狂乱状態になるのである。
これが「反日」の理由である。
彼等は己の醜い姿を見てタラリタラリと汗をかくガマガエルのように、精神が崩壊して、あらゆる論理を無視した幻想世界へと逃げ込む。彼等が目の前で見ているのは自分自身である。自分が日本人だと信じている半頭人は、現実の日本人が半頭人に見える。彼等が憎んでいるのは、「本当の自分達の姿」なのである。哀れな民族である。
従って、「反日」は絶対に終わることがない。
絶対に正気に戻ることはない。
自己完結した憎悪は、命ある限り続く。
永遠に続く悪夢である。
日本国民はその「病理」を知るべし。
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福沢諭吉が「脱亜論」を書いた時から、状況は何も変わっていない。情報の流れも密度も劇的に早く、濃密になった現代においても、彼等は自らその悪夢を絶つことが出来なかった。もはや永遠に無理であろう。その機会は少なからずあったにも関わらず、自ら努力することを拒み、他国を誹謗中傷し、その実績を剽窃することでのみ、自らの立ち位置を得る、という極めて安直なことしか出来なかったのである。
今ここに我々は、国民を挙げて「脱亜論・平成版」をまとめ、これにより理論武装し、一切の「希望的観測」を排除して、冷静に冷酷に関係を絶つべき時に来ている。何時までも自作自演の狂人国家と交わっていては、こちらまでオカシクなる。
以上述べたことに、同意出来ない方は、既に相当の部分で引き摺りこまれている。そうした「善意の人」を、これ以上説得しようとも、出来るとも思わないが、一つだけ考えて頂きたいことは、「日本さえ関わらなければ、彼等の発作も軽くなるかもしれない」という可能性である。「どうかお幸せに……」と言って静かに去って行くのが、我々日本人に出来る最後の「友好」である、と考えて頂けないだろうか。関われば関わるほど、悪化する病人も居るということである。国交断絶、それこそが「真の善意」ではないだろうか。