古事記編纂1300年 第1部(7)稲作伝来と文化の波及。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【日本人の源流 神話を訪ねて】






ニニギノミコトは天皇家の系譜につながる「日向三代」の最初の神。高天原(たかまがはら)の神々を引き連れて降臨した「高千穂峰」の伝承地は、南北100キロ隔てて2カ所ある。

 北は宮崎県高千穂町。天岩屋戸(あまのいわやと)伝説が残る神話の里だ。南は宮崎県と鹿児島県にまたがる霧島連山の高千穂峰。峰の頂上には今、大きな剣のモニュメント「天(あま)の逆鉾(さかほこ)」が立っている。

 天孫降臨の聖地はどちらか。この高千穂論争は江戸時代にはあり、神武天皇即位2600年にあたる昭和15年ごろには過熱した。

 「霧島の麓の宮崎県都城市では、憲兵の間で論争になり、殺傷事件にまでなったそうです」

 当時の熱気を、日向神話に詳しい鹿児島民俗学会の鶴ケ野勉氏(72)はそう話す。しかし、現代は論争はほとんどないという。

 「南北の高千穂は観光向けの『神話街道』で結ばれ、それぞれにストーリー性に富んだロマンを楽しめるようになった。特定の場所を求めるべきではなく、どちらも正しいのです」


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 鶴ケ野氏の指摘は、稲作先進地の日向が降臨地とされていることが重要、というものだ。

 「南九州の弥生人は、海にも山にも、そして川にも神がいるという信仰とともに、農耕生活をしていた」

 宮崎県埋蔵文化財センターの北郷泰道(ほんごう・ひろみち)所長はそう話す。天孫降臨を描く古事記には、そんな農耕生活を連想させる記述が多い。

〈天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと)〉

 古事記が記すニニギの正式名称もそうで、天地がにぎわい、稲穂が豊かに実る様子を写実的に表現したものだ。「高千穂」は、収穫祭の祭場に高々と積み上げた稲穂を意味する地名である。

 北部九州が最初の伝来地とされる稲だが、南九州にも初期稲作の遺構が集中することが、近年の発掘調査の蓄積で浮かび上がってきた。

 「初期稲作の遺構は内陸部で顕著。水田跡はほとんどなく、宮崎県えびの市の遺跡で見つかった稲の分析から、畑作系の陸稲が主だったと考えられます」

 荒神谷(こうじんだに)遺跡(島根県出雲市)など出雲では、多数の銅鐸(どうたく)や銅剣が出土したことはヤマタノオロチ神話の回で紹介したが、日向では、九州北部や近畿でも豊富な弥生時代の青銅器の出土例が皆無に近い。この事実から推論できるのは、高天原勢力が出雲のオオクニヌシノミコトに迫った国譲りが、生産効率が悪い陸稲への不満から行われたのではないかということだ。


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 古事記で描かれるニニギは相当に人間くさい。イワナガヒメを容姿で選ばず、子孫の天皇に寿命を生じさせたり、コノハナノサクヤヒメの胎児を自分の子ではないと疑って、妻を困らせたりもする。

 実は、そんなストーリーの中に神話のルーツが隠されている、と北郷氏は指摘する。インドネシアなど東南アジアには、不変の象徴の石でなくバナナを選んだことで短命になる説話がある。バナナ型神話と呼ばれるものである。

コノハナノサクヤヒメが炎の中で出産する「火中出産」は、奄美大島などの習俗に由来するという。出産に際して、火をたいて部屋を熱くするもので、神聖な火の力によって穢(けが)れを浄化する習慣から誕生したといわれる習俗だ。

 「南西諸島が、中国南部や東南アジアからの文化を南九州に伝える重要な懸け橋であったことを記憶しておきたい」と北郷氏。

 天孫降臨神話は、もう一つの稲作の伝来ルートと文化の波及を示唆しているようだ。





 ≪天孫降臨≫

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)らに地上界の葦原中国(あしはらのなかつくに)の統治を命じられたアマテラスの孫、ニニギノミコトは、天岩屋戸で活躍した神々を連れ、三種の神器とともに天上の高天原から地上へ向かう。天空にたなびく雲を押し分け、天の浮橋から浮島に立ち、「筑紫の日向の高千穂峰」に降り立った。

 ニニギは山の神であるオオヤマツミノカミの娘の美女、コノハナノサクヤヒメと結婚。しかし、同時に勧められた姉のイワナガヒメは送り返した。その容貌を恐れたためだが、イワナガヒメは石のような永遠の象徴だったため、ニニギとその子孫には寿命ができた。

 寿命ある花の象徴であるコノハナノサクヤヒメは、ニニギとの一夜の契りで身ごもったが、ニニギに自分の子かと疑われたため、疑念を晴らそうとして産屋に火を放った。そして、炎の中でウミサチヒコとヤマサチヒコらを出産する。






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