国を富ますために。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 











【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室






長期のデフレがなかなか収まらないのは、世界不況の影響もある。デフレから脱却して円高を是正していくために、「日銀が金融政策を転換してインフレ率を2%くらいに達するまで円の通貨供給を増やすべきだ」と前杉並区長の山田宏氏は述べられている。大体この国では長期展望により財政政策をいろいろな角度から検討し打ち建ててゆく力が不足しているように思われる。人材養成の不足も指摘される。グローバルな面から、世界に将来役立つような人材養成に遅まきながら力をそそがねばなるまい。

 また、国債を日銀が多く買い得る力を持たし、その金を一般諸々の経済活力になるように用いられるようにと思う。多くの経済通の学者が今まで政策に介入された。しかし、一向にその実績が上がっていないのはいかがなものだったのだろうか。何とか現実の厳しい経済状態から脱出できる方向を政府がしっかり示してもらいたいと念じている。

 奈良の明日香村の万葉文化館を造るとき、遺跡から発見された日本で一番古い貨幣が出てきたので、そこが今でいう造幣局であったようだ。貨幣は銅でできていた。708年に銅が日本で発見され、それから銅の貨幣が作られたと考えられている。表には「富本」の字があった。

 中西進先生によると、「富本」とは紀元一世紀の漢の時代の馬援(ばえん)という人が政府に意見した文章に由来する。「人民を豊かにする根本は食物とお金で、そのために銅の貨幣を復活させなさい」とのことで、原文は「富民之本、在於食貨」(タミヲトマスノモトハ ショクカニアリ)とあり、そこから富本を用いたといわれる。

経済は「経世済民(けいせいさいみん)」を省略して生まれたもので「世を経(おさ)め民を済(すく)う」ことである。世を救うためには民をふとらせねばならない。そのためには流通機構を確立させ、売る方も買う方も手を取り合ってこそ国も成り立っていくという思想である。中国の古代からのこうした経済に対する思想は、現代の中国でも日本でも本当に用いられているのかと疑問に思う。

 かつて武家政権となった時代のことをかえりみると、士がトップで次に農工商、すなわち三民の上に立つのが武士であった。戦いで民を守るのが武士の本懐、それこそノブレスオブリージュ(崇高な義務)であった。フェアプレーの精神が武とともにあり、文を修め武を鍛えることでの一体化が必要とされた。

 戦国時代が終わり江戸時代になると、安寧の中にどっぷりつかってしまった武士は、やがて武を忘れて華美に走り、商の人たちから借金までする。武士道の仁義礼智信はどこへやら、また商で成り立つ人も武士を抑える拝金主義に陥る。

 王陽明の陽明学が江戸時代に台頭し、「知行合一(ちこうごういつ)」の思想が盛んになった。そして陽明学者の中江藤樹(1608~48年)の「知行合一」の教えに、多くの武士商人が学んだ。中江は国を富ますため、己の利益ばかりを考えずに、少しでも他の人が平和であり豊かになれるようにしようと考えた。このことにより武家政治の崩壊とともに、商人の経済機構が日本に発展したことを考え思わなければならないのである。

                                (せん げんしつ)