「孫子」と「闘戦経」と「覆面パトカー」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






西村眞悟の時事通信 より。





本日は、主に日本の文化と伝統の観点から、車のスピード違反などを取り締まる為の警察の「覆面パトカー」は断じて不可である、許せん、ということを述べておく。

 昨年の六月、特定失踪者調査会のメンバーと富山県の日本人が北朝鮮工作員に拉致された現場海岸を検分する為に、新しくできた第二京阪を走行中、四十年ぶりに速度違反で大阪府警の覆面パトカー(白いクラウン)につかまった。
これで免許証のゴールドはなくなった。
違反内容は、制限速度80キロのところを100数キロで走行していたこと。広い新しい道を快適に走行していると、突然、後ろの車が天井に灯りを付けて止まれ止まれと言ってきた。
 
 そして今月一日、大阪府河南町の「かなん道の駅」から国道309号線を西に向かって走行中、またもや速度違反で覆面パトカー(黒いクラウン)につかまった。反則金18000円。
 この時の状況は次の通り。
「かなん道の駅」からあじさいを積み込んで国道309号線を西に向かって暫く走行していると、左手に黒いクラウンが併走してきてスピードを上げたので、先に行くのかと思うとまた速度をゆるめて斜め左後方で併走しだした。何かつきまとわれているような、煽られているような感じがする併走の仕方だった。
 この黒いクラウンの後ろにも車が走っており、二台が併走しておれば後ろの車の進路をふさぐ格好になっている、とふと気になり、また高級車である黒のクラウンでこういう走り方をする運転手はろくな者ではないと思い、こういうのと併走することはないとスピードを上げた。
 すると、この黒のクラウンの屋根から赤い燈火がでてサイレンを鳴らし、兄ちゃんが運転席から手を出して左に止まれと合図している。
 前方の信号を超えて止まると黒のクラウンの助手席から兄ちゃんが出てきて、丁寧に、「この道は制限速度五十キロなんですよ。ちょっとこちらにきてください」といって高級車の後部座席に導かれた。そして、70数キロ出てたという速度計測器の記録を示し、速度違反で反則金を支払うことと相成った。
 この黒クラウンの運転席と助手席の二人は、私の息子くらいの歳の若者だ。こういう礼儀正しい若者が、こともあろうに雲助かピンハネ家業のような覆面パトカーに乗って青春を過ごしているのかと思うと、気の毒になってきて尋ねた。
「君らは一日に何時間、これをしてるの」
二人言う。
「ずーっと、一日中なんですわ」
 手続きが終わるまでのかなりの時間、黒のクラウンの外を、明らかに時速百キロを超えると思われる車が何台も走り抜けていった。二人の警官はそれには無関心で私に対する手続きだけをこなしている。
 思うに、横を猛スピードで走り抜ける者達は、獲物をえた覆面パトカーは、安全だと知っていて、「アホがつかまりよった」と笑いながらその横を走り抜けるのだろう。
 長い糞丁寧な手続きが終わったので、運転席と助手席の若者に、「ご苦労様でした」と労をねぎらって別れた。
 以上が、これから述べること、つまり「覆面パトカー不可」の理由の前提の事実である。

 まず不可の理由の第一、(感情論から)
 覆面パトカーにつかまれば、全く納得できない、おもしろくない、何故、こんな騙し討ちのようなことをするのかと怨嗟の感情を抑えることができない。
 併走して煽れば、併走された運転手は、併走を嫌がってスピードを落とすか速めるかどちらかをする。そのスピードを上げた奴をつかまえるのなら、ほぼ全ての運転手をつかまえることができるではないか。
 これは、違反を摘発するのではなく、警察自身が覆面パトカーによって違反を生産しているのだ。
 この場合、騙されるのは違反者の方で、覆面パトカーで騙すのは警察の方だ。警察が人を騙して反則金と称する金を取って社会秩序が保てると思うべきではない。
 パトカーであるのにパトカーではないと偽装したパトカー、つまり覆面パトカーとは、人を騙す為にある。
 警察が人を騙す道具をもっていてどうする。それも騙す相手は、犯罪者ではなく一般の普通の運転手だ。
 麻薬捜査やスパイ捜査などでは「おとり捜査」の手法は許容される。しかし、警察が、日常的に覆面パトカーをうろうろさせて一般人を騙し続けることは、対象が一般国民であるが故に、国民道徳を変質させる恐れがある。

 次に、(目的論と抑止論から)
 警察は違反者を生産する為に存在しているのか。
 そうではない。警察は違反を抑制する為に存在している。
 そうであるならば、覆面パトカーをもとに戻して、正々堂々と子どもでもパトカーと分かる正規のパトカーにして道に走らせる方が速度違反を初めとする道路交通法違反事例を抑止し減少させることができるではないか。
 パトカーの横を猛スピードで走る者は覚醒剤を飲んでいるか一部の特殊な暴走族に限定される。
 正規のパトカーには、違反の抑止力だけがあり、現在の覆面パトカーが演じているような警察が違反者を生産しているというような余地は全くない。
 また警察は反則金をたんまり儲けるために存在しているのか。
 そうでないならば、違反者を作り出すような覆面パトカーを即時正規のパトカーに戻すべきだ。

 そして、(文化と伝統の観点から)
 我が国は、人を騙すことは悪いことだとする文化と伝統をもつ。だから人を騙して反則金を取る覆面パトカーは不可なのだ。
 つまり、冒頭に述べた感情論は、この文化と伝統から生まれてくる根強いものであり軽視してはならない。
 これに対して、支那は、人を騙すよりも騙される方が悪いとする伝統をもつ。
 つまり、日本は信頼を社会の原則としており、支那は猜疑を原則とせざるを得ない。
 ここで、支那と日本に顕れた二つの兵法書を対比して、彼我のこの文化伝統の相違を明らかにしておきたい。
 兵法書として支那には「孫子」があり日本には「闘戦経」がある。
「孫子」は、支那において易姓革命を成就させるために敵を殺戮する為の兵法で、「兵は詭道(きどう)」と説く。つまり、兵は敵を騙し意表を突き攻撃し絶滅させることだと説く。
 これに対して「闘戦経」は、日本においては、兵は詭道ではなく無秩序から秩序と和をもたらす天地自然と共にある誠心誠意の力であると説く。
 この違いは、日本の万世一系と支那の易姓革命によってもたらされる。
 日本は万世一系の天皇のもとに全ての国民が家族のような国であるから、兵法においても敵を騙さず和を目的とする「闘戦経」を生み出し、支那は反対に異民族が異民族を殺戮して皇帝を変える革命を正統とする国であるから敵を騙し殺戮する詭道の「孫子」を生み出した。

 覆面パトカーは、人の意表を突き人を騙す詭道である。
 従って、このような覆面パトカーを蔓延させることは、騙すより騙されるほうが悪いという、我が国の文化と伝統と正反対の退廃した嫌な疑心暗鬼の国に我が国をしてしまう可能性がある。

 以上のとおり、感情論そして警察の目的と違反抑止の観点から、さらに、文化と伝統の観点から、覆面パトカーは、有害であるから廃棄すべきである。
 また、このような人の揚げ足をとるような覆面パトカーに終日乗務しなければならない若い警官を、他の有用な生き生きとした警察本来の業務に振り向ける為にも、覆面パトカーの廃止が必要である。






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