夕刻の備忘録 様のブログより。
政権交代を煽りに煽った主体が二つ。
先ずは当然、民主党である。
そして、それを支えたマスコミである。
マスコミがスクラム状態で民主党を支持し、今もなお、その亡骸に縋るかのように、支持をし続けていること、その偏向ぶりはもはや「隠しようもない事実」となって、多くの国民の知るところとなった。
このマスコミの偏向、捏造、非道、不潔を真面目な顔で擁護した人達は、その主張の根拠を「判官贔屓」によるものとした。即ち、弱い民主党が強い自民党に挑んでいる、「一度ぐらいは勝たせてやれ」、そんな軽薄な理由からであった。ところが、その主役が交代し、強弱関係が逆転しても、未だ民主党を同じ理由で支持している人達がいる。曰く「経験不足は致し方無い」「慣れればもっと出来るはずだ」である。「付ける薬が無い」とはよく言ったものである。
★ ★ ★ ★ ★
さて、ところでその民主党であるが、先の総選挙で「国民との約束」とまで豪語したマニフェストを何一つ達成することが出来ずに、今日の今日まで「恐怖の素人政治」を続けてきた。一人前なのは負け惜しみと空威張りだけだった。
そして、考えようによっては、「マニフェスト違反」よりさらに重要な約束違反がある。それは総選挙で主張した政党の枠組が、全く変わってしまったことである。選挙では、民主党・社民党・国民新党の三党が共闘した。その結果、三党による連立政権が誕生した。この段階では、鳩山政権の組閣陣容は、一般国民にも何とか予想出来るものであった。
しかし、逸早く社民党が離脱し、二党連立へと移行した。
民主党から、離脱する議員が出始めた。
集団離党から「新党きづな」が誕生した。
そして、国民新党が分裂した。
それは「創業者」を追い出すクーデターであった。「公印の無断利用」も噂された、極めて陰湿なものであった。これも残党組が「あくまで与党であり続けたい」という我欲だけが目立った、汚らわしさだけが際立つ三文芝居であった。従って、この段階で既に国民新党は解党され、「残党組が民主党に繰り込まれた」わけである。名称が残っているのは、「連立の枠組は守った」と主張したい連中の得手勝手に過ぎない。
自民党政治を「選挙も経ない政権たらい回し」と徹底的に批判してきた連中が、三年弱の間に三人の総理を生み出し、加えてこの三人は、それぞれ異なる政党の枠組で運営しながら、なお平然と与党を名乗っている。自民党がたらい回しなら、民主党は猿回しの政治である。
そして、昨日の五十名の集団離党である。
この離党者数を少ないと見るか、多いと見るかで、政局への見通しは全く異なってくる。単独で「内閣不信任案」を出せる数か否か、はそれほど問題ではない。これは「僅かに五十名が巨大与党から抜けた」という問題ではない。「五十名を超える大型野党」が新規誕生したことが問題なのである。
政局のバランスが、僅か数名で崩れる状況が出来上がったことで、次に何が起こるか。まさにブタコウモリの出番なのである。どっちにでも引っ付く、節操なき卑劣漢がキャスティングボートを握る。残留した者にも「トロイの木馬」の嫌疑は残る。自分一人の移動が、内閣を倒す引き金になる。これはコウモリには堪らない快感であろう。
もはや、民主党内で造反者を諫める手立ては存在しない。「俺を無視するなら、小沢に合流するぞ」と脅せば何でも通るからである。この種のコウモリ野郎は、佐賀県選出だけではない、民主党内にゴロゴロ居るのである。よって、民主党にまともな党内手続きは存在し得ない。公党の資格すらもはや無いのである。
加えて、小沢新党に合流する者は、「民主党所属議員だけではない」ことに留意すべきである。党内の立場を失った者。次の選挙が不安視される者は、「一か八かの賭けに出る可能性」は幾らでもある。
小沢新党は「選挙管理新党」のようなものである。選挙に勝ち残りさえすれば、誰にも意味の無い、霞のような政党である。よって、誰でもこれに乗る可能性はある。全く無価値な存在であるが故に、選挙のためだけにこれを利用しようとする輩が出る。
一度裏切った者は、二度裏切る。離党・復党を繰り返した者は、今もまた次の機会を狙っている。ここでは「鳩山兄弟」を例に挙げておこう。兄弟が再びその資金力によって、小沢に取り入り、小沢もまたこれを宜しく利用することによって、政局を動かそうとする可能性は充分にある。「お互い、それぞれを利用している」と思い込みやすい連中である。「自称・政界再編」の前哨戦として、その可能性だけを指摘しておく。
何れにしても「民主党」は完全に壊滅した。あともう少しの頑張りで、政権奪還が果たせる。それが「日本奪還」への最初の一歩であることを肝に銘じながら、「豪腕さん」の貧相な力こぶに期待するとしよう。
先ずは当然、民主党である。
そして、それを支えたマスコミである。
マスコミがスクラム状態で民主党を支持し、今もなお、その亡骸に縋るかのように、支持をし続けていること、その偏向ぶりはもはや「隠しようもない事実」となって、多くの国民の知るところとなった。
このマスコミの偏向、捏造、非道、不潔を真面目な顔で擁護した人達は、その主張の根拠を「判官贔屓」によるものとした。即ち、弱い民主党が強い自民党に挑んでいる、「一度ぐらいは勝たせてやれ」、そんな軽薄な理由からであった。ところが、その主役が交代し、強弱関係が逆転しても、未だ民主党を同じ理由で支持している人達がいる。曰く「経験不足は致し方無い」「慣れればもっと出来るはずだ」である。「付ける薬が無い」とはよく言ったものである。
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さて、ところでその民主党であるが、先の総選挙で「国民との約束」とまで豪語したマニフェストを何一つ達成することが出来ずに、今日の今日まで「恐怖の素人政治」を続けてきた。一人前なのは負け惜しみと空威張りだけだった。
そして、考えようによっては、「マニフェスト違反」よりさらに重要な約束違反がある。それは総選挙で主張した政党の枠組が、全く変わってしまったことである。選挙では、民主党・社民党・国民新党の三党が共闘した。その結果、三党による連立政権が誕生した。この段階では、鳩山政権の組閣陣容は、一般国民にも何とか予想出来るものであった。
しかし、逸早く社民党が離脱し、二党連立へと移行した。
民主党から、離脱する議員が出始めた。
集団離党から「新党きづな」が誕生した。
そして、国民新党が分裂した。
それは「創業者」を追い出すクーデターであった。「公印の無断利用」も噂された、極めて陰湿なものであった。これも残党組が「あくまで与党であり続けたい」という我欲だけが目立った、汚らわしさだけが際立つ三文芝居であった。従って、この段階で既に国民新党は解党され、「残党組が民主党に繰り込まれた」わけである。名称が残っているのは、「連立の枠組は守った」と主張したい連中の得手勝手に過ぎない。
自民党政治を「選挙も経ない政権たらい回し」と徹底的に批判してきた連中が、三年弱の間に三人の総理を生み出し、加えてこの三人は、それぞれ異なる政党の枠組で運営しながら、なお平然と与党を名乗っている。自民党がたらい回しなら、民主党は猿回しの政治である。
そして、昨日の五十名の集団離党である。
この離党者数を少ないと見るか、多いと見るかで、政局への見通しは全く異なってくる。単独で「内閣不信任案」を出せる数か否か、はそれほど問題ではない。これは「僅かに五十名が巨大与党から抜けた」という問題ではない。「五十名を超える大型野党」が新規誕生したことが問題なのである。
政局のバランスが、僅か数名で崩れる状況が出来上がったことで、次に何が起こるか。まさにブタコウモリの出番なのである。どっちにでも引っ付く、節操なき卑劣漢がキャスティングボートを握る。残留した者にも「トロイの木馬」の嫌疑は残る。自分一人の移動が、内閣を倒す引き金になる。これはコウモリには堪らない快感であろう。
もはや、民主党内で造反者を諫める手立ては存在しない。「俺を無視するなら、小沢に合流するぞ」と脅せば何でも通るからである。この種のコウモリ野郎は、佐賀県選出だけではない、民主党内にゴロゴロ居るのである。よって、民主党にまともな党内手続きは存在し得ない。公党の資格すらもはや無いのである。
加えて、小沢新党に合流する者は、「民主党所属議員だけではない」ことに留意すべきである。党内の立場を失った者。次の選挙が不安視される者は、「一か八かの賭けに出る可能性」は幾らでもある。
小沢新党は「選挙管理新党」のようなものである。選挙に勝ち残りさえすれば、誰にも意味の無い、霞のような政党である。よって、誰でもこれに乗る可能性はある。全く無価値な存在であるが故に、選挙のためだけにこれを利用しようとする輩が出る。
一度裏切った者は、二度裏切る。離党・復党を繰り返した者は、今もまた次の機会を狙っている。ここでは「鳩山兄弟」を例に挙げておこう。兄弟が再びその資金力によって、小沢に取り入り、小沢もまたこれを宜しく利用することによって、政局を動かそうとする可能性は充分にある。「お互い、それぞれを利用している」と思い込みやすい連中である。「自称・政界再編」の前哨戦として、その可能性だけを指摘しておく。
何れにしても「民主党」は完全に壊滅した。あともう少しの頑張りで、政権奪還が果たせる。それが「日本奪還」への最初の一歩であることを肝に銘じながら、「豪腕さん」の貧相な力こぶに期待するとしよう。