臺灣に御加護を! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。




かなり前からネットの中では知られていた話であり、今さらの感、なきにしもあらずであるが、それでも新聞に採り上げられたことは大いに評価すべきであろう。

台湾製パソコン基板、小さな字で「日本に神のご加護を」
 私たちの知らないところで、私たちの知らない人が、私たちが遭遇した困難のために祈ってくれている。東日本大震災に際して、世界中の人々から多くの救いの手が差し伸べられたことは記憶に新しい。が、私たちが知らないこんな話もあった。
 先日、フェイスブックの会員の間で反響を呼んだ1枚の写真があった。写真は何の変哲もないただのパソコン基板。だがよく見ると小さな字で「God Bless Japan(日本に神のご加護を)」と祈りの言葉が印刷してあったのだ。
 基板とはパソコン内部に装填されている主要部品で、普段はまったくユーザーの目に触れることはない。そこに日本への思いやりのメッセージがあった。 会員からは次々と「ありがとう。感激です」「感動した」など感謝のコメントが書き込まれた。同時に、いったい誰が、何のために、パソコンの内部基板にこのようなメッセージを印字したのだろうかと、大きな話題となった。
 「日本に神のご加護を」と印字された基板を搭載したパソコンを製造したのは台湾のASUSで、同社も日本から問い合わせがあるまではこの事実を認知していなかったようだ。ASUSによれば、印字は同社の技術者が独断で行ったことで、誰かは特定できていないがたぶん日本の一日も早い復興を祈ってやったのだろうとのことで、本件は黙認しているそうだ。
 一人の台湾人技術者が独断で思いつき、会社の許可も得ずに印字した日本の復興を祈るメッセージが、マスコミではなくソーシャルメディアを通して日本人の心を揺さぶった。「神のご加護を」は日本では一般的な言葉ではないが、英語圏では最もなじみの深いフレーズの一つで、God Bless JapanのスローガンはTシャツやポスターのデザインとなり、Pray For Japan(日本のために祈ろう)とともに世界中で東日本大震災の義援金集めの標語となった。
 ASUSは台湾の大手パソコンメーカーの一つで、同社には技術革新やイノベーションの創出と並び謙虚、誠実、勤勉を訴える社是がある。デジタル新時代のリーディングカンパニーを目指すと標榜する一方で、企業人として誠実さと勤勉さを忘れまい、と明確に会社の哲学を従業員に訴えている。
 台湾の技術者は何を思って「日本に神のご加護を」という文字を印字してくれたのだろうか? 大災害への同情心からか、日本に多くの友人がいたからか、それとも単に日本が好きだからなのか? そして、考えてみた。もし台湾に大災害が起こり、日本の技術者が誰の目にも留まらないだろうからと、会社の許可も得ず、「ガンバレ台湾」と台湾向け製品の基板にメッセージを印刷したら、会社は黙認するだろうか?
 ASUSの社是「Integrity(誠実)」が重く、価値あるものに感じられた。(実業家 平松庚三)

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120627/chn12062709570001-n1.htm

しかし、折角の心温まる話も、これでは台無しである。何故、臺灣からの熱いメッセージを語るに際して、「日本ではどうか?」というオチになるのか。日本を下げなければ、相手の善行を語れないのか。

筆者は渦中のライブドアの社長を引き受けたことから、一躍世に知られるようになった人である。臺灣を讃える文の中に、「日本を疑う」文言を入れ、結果的に自分を日本の上に置いている。何故、こうまでして、自分の立ち位置を操作したいのか。何故、素直に「臺灣に御加護を」でしめられないのか、全く理解不能である。

とりわけ二箇所に登場する「黙認」に引っ掛かりを感じる。

内部基盤に書かれたメッセージは、技術者の手書き文字ではない。きちんとプリントされたものである。従ってそれは、製造過程から梱包に至るまで、ほとんどの現場スタッフが承知の上で作り、送り出したものである。一人や二人の技術者が独断で出来るものではない筈である。よって、これは「ASUS現場スタッフの総意によるものである」と見るのが妥当ではないのか。

また「社として問い合わせがあるまで知らなかった」というのも、大騒ぎになることを好まない人達が、謙虚に語っただけのことではないか。「美徳の何たるか」を心得た人達が、阿吽の呼吸で示した更なる厚情ではないか。それは「黙認」などという無粋なものではない筈だ。

今、個人は言うに及ばず企業の機材担当者の中にも、「次はASUSにしようか」との声がある。それは「日本の会社なら黙認するか?」といった下品な問いから出て来るものではない。高い技術力を誇る製品に対する尊敬が先ず基礎にある。その上で、かつての日本が示した「誠実」に対して、今の臺灣の人達が「誠実」を返してくれた。再び、我々はこれに応じて「誠実」に、その友情に背かぬ道を選ぼうということである。それは「黙認」などという無理筋の話ではないのだ。

そうだ、次はASUSにしよう!