既得権益を「薄利多売」するハシゲ商店。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。





またまた魔法の言葉である。
魔法の四文字「既得権益」。

「既得権益を許さない」「既得権益と戦う」と拳を突き上げるだけで、誰でも正義のヒーローになれる。広島をヒロシマと書き、長崎をナガサキと書く。福島をフクシマと書く汚らしい手付きで、村をムラと書いて、集団名の後ろに加える。「原子力ムラ」と書けば、それは誠におどろおどろしい既得権益の巣窟であり、唯それだけで、滅ぼすべき巨大な敵として「自動的に」認識される。嗚呼、便利だな、便利だな!

それでは既得権益とは何か。この言葉が「定義不能の煽り文句」に過ぎないことに気付いている人は、一体どれほど居るだろうか。原子力開発に関わった人間が、全て「原子力ムラ」の人間であり、既得権益に溺れた「罪人の集団」であるというのなら、彼等に納品する全ての中小企業も同様であり、そのまた中小企業を支えるパートも、そのパートの胃袋を満たす米屋も魚屋も全て、「ムラ社会を支える村民」ということになってしまう。

社会人には社会人としての義務と権利があり、学生には学生の義務と権利がある。成人のみに許される喫煙・飲酒が既得権益なら、学割もまた既得権益である。幾ら旨そうに見えても、大人は「お子様ランチ」をオーダー出来ない。これは幼稚園児の既得権ではないのか。そもそも日本人であることが、他国から見れば強大な既得権益なのである。それが故に「外国人参政権」などというものを唱えて、「既得権益と戦う」人達が登場してくるのである。要するに、「体制破壊は全て既得権益との戦い」と美化し得るわけである。

既得権益と「戦うフリ」さえ見せれば、誰でもヒーローになれる。楽々と選挙に勝てる。まさに詐欺・ペテンのレベルである。政治家であれ、評論家であれ、隣の爺さんであれ婆さんであれ、この四文字を得意気に使い、自らを「あらゆる既得権の外側に居る」ような嘘八百を言う人間を信じない、話をする気にもなれない。

しかし、流石にこの種の幼稚な手法では、長く権力者の地位に留まることは出来ない。「原子力ムラ」と戦う人間は、「原子力ムラ」が衰微してしまってはメシの食い上げになる。新たなムラを探し、旅に出なければならなくなる。斯くして、体制の破壊者は体制の庇護者にも変ずるのである。

              ★ ★ ★ ★ ★

そこで、「既得権益の薄利多売」を思い付いた人間がいる。「ハシゲ商店」である。「市職員が入墨をしているのは許せない」と憤激した人達は、彼等と戦う市長を賛美する。闇に一太刀を入れたと讃える。「そんな不埒な職員を成敗してくれるなら、少々市民税が上がってもよい」と訴える。

その一方で、増税などトンデモナイ。「増税するくらいなら文化財でも何でも売ってしまえ」と吠え立てる人も居る。そんな人達は図書館売却を絶賛する。「聖域なき財政再建」とやらに取り組む市長を正義のヒーローとして敬う。

また別の人は、「図書館を売るなんて文化破壊ではないか。そんな事をやっている暇に、日教組問題を何とかしろ」と声を荒げる。そして、日教組を敵視する発言を引き出しては、流石にこの市長は本気だと褒め称えるのである。

こうして、多くの有権者は「自分達が許せないものを口々に訴え」、それと戦う姿勢を見せる政治家を絶賛する。民主主義国家の政治家など、本来は大声で評価されるものではない。特に在職中はそうである。支持者の僅かな励ましによって、ようやく成立しているのが普通の政治家の生業である。

それが、有権者のそれぞれの「既得権益」を守ろうとする心、自分の理想の社会を待ち望む心、保守的な心に取り入って、強烈な支持を取り付けるのである。多くの人達は、それが自分の既得権だとは思っていない。しかし、冒頭で書いたように、静かに暮らしていた人が、それが続くことを望むのも既得権なら、正社員であることも、年金生活者であることも既得権なのである。

こうした多くの人の「心の弱い部分」、変化を嫌い、これまでの暮しを守ろうとする心に、それを守るフリをして接近する。そして、「保守的な人を守ろうというのだから、保守政治家だろう」と勘違いする人が出て来るのである。

多くの人が持つ「既得権」に対する微妙な感情を束ねて、薄利で多売する。これがハシゲ商店の商法である。敵が居なければ成り立たない。既得権が無ければ成り立たない商法である。ハシゲ商店は既得権を売買する「既得権益の総合商社」である。

小さな幸福、小さな満足感を与えておいて、大きな不幸、大きな不便を強要する。人々は自らの望みが、たとえ一部でも叶ったと錯覚し、これを歓喜の中に受け入れる。「幸福の射幸心」を煽るこの手法は、パチンコなどのギャンブルと全く同じ構造を持っている。よって、「幸と不幸の損得勘定」が出来る人は絶対に騙されない。「ギャンブルに勝利するのは胴元だけである」のと全く同じことだ。人々がこの商法に対して薄々感じている「ヤクザな臭い」、その原因はここにある。

そして、その配下達は既に充分大きな既得権益に包まれている。この商法の下で、小綺麗な台詞を並べておけば、次の選挙は楽に勝てる、という既得権である。それが証拠に多くの「新人」とやらが、「俺達もそのムラに加えろ」と参集しているではないか。何故、世の中はこれを称して「ハシゲムラ」と呼ばないのか。

さてさて、この記事の結論は何か。

もうそろそろ魔法の言葉に酔うのは止めよう。相手が誰であれ、何者であれ、「既得権益」なる言葉を恥ずかしげもなく使う人間とは距離をおこう、ということである。誰が何と言っても、我々は日本人であるという「既得権益」だけは絶対に手放せないのである。これを犯す者は許さないのである。「最も広い意味での既得権」を持たない人間など、この世に一人として居ないことを考えれば、この種の雑な言葉遣いに違和感を感じるのは当然のことではないか。もし、何の違和感も感じないのなら、その人は「既得権益を守れと叫び続けるという既得権」を決して手放さそうとしない「既得権ムラの住人」なのであろう。