夕刻の備忘録 様のブログより。
何も附け加えることは無い。主旨は表題の通りである。
私鉄、JRを問わず、駅の構内に氾濫する「特亜文字」。
一体、どれだけの人間が「あの表記」により益を得ているのか。所謂「誰得」である。日本語とローマ字表記以上のものに、どれほどの意味があるのか。どうして、これらの二言語が選ばれたのか。ポルトガル語は、アラビア語はどうするのか。これは、マスコミが大好きな「差別」ではないのか。
世界には数百にも及ぶ言語があるとも言われている。
その中でこれらが選ばれた理由は何か。隣国だから?
何度も書いてきたように、ならばアメリカも「隣」である。
ロシアも「隣」である。
★ ★ ★ ★ ★
鉄道関係者は、かの国の「国防動員法」を知らないのか。
簡単に言えば、留学生であろうとビジネスマンであろうと、一旦「有事である」と本国政府が認定すれば、軍の指揮監督下に入り、国防の義務を負うという法律である。潜入スパイとして、事実上のテロリストとして、敵国攪乱の任務を負った兵士に変貌するというわけである。
この法律は既に二年前から施行されている。即ち、我々は大学キャンパスで大声で騒いでいる留学生も、牛丼屋でアルバイトをしている連中も、勿論、企業の奥深くまで侵入しているビジネスマンも、観光客も、「瞬時にして兵士に変わる」と、意識して見る必要があるということである。
それがあちらの法律であり、それに違反すれば処罰される以上、個々人の性格や質など何の関係もない。どんなに地域に溶け込んでいようと、個人的な関係で信頼されていようと、そんなこととは無関係に、彼等は自らが生き延びるためには、「どんなことでもする」だろう。元々「どんなことでもする」のが、彼等の民族性なのであるから。
有事の際、相手国の交通網を把握していること、そして時々刻々の天気の変化を予測すること、予測出来るだけの情報機関、報道機関を支配することが、投入された部隊の第一の目的となる。それを後方支援するのは、かつての留学生であり、ビジネスマンである。
難しい誘導は要らない。駅に行けば、その国の言葉で行き先が明記されている。街の様々なところに、「親切な看板」が立てられている。彼等そのものが「活躍」するには及ばない。訓練された兵士が、彼等の衣服と着替えて、駅名表記を頼りに、極めて効率的な破壊工作活動を行う。発見されれば留学生を気取る、ビジネスマンを装うのである。
これほど占領しやすい国が他にあるだろうか。
逆を考えてみれば直ちに分かることではないか。
★ ★ ★ ★ ★
旅行者など来そうもない「田舎の駅」にまで、こうした表記は徹底されている。一体、何のためにこうした危険極まりない表記をして遊んでいるのか。自らの麗しい理想に酔うのは、夢の中だけにして頂きたい。
首脳自ら「核心的利益」などと嘯き、我が国の領海を侵犯して、これを奪いに来ている国家は、明白に「敵国」である。そして遂に、「戦争」という言葉まで使って、さらなる恫喝に出て来ているのである。この状況下で、親善だ友好だ、観光客の誘致だなどと自らの金儲けのみに興じている企業は、もはや「テロ支援企業」と罵られても弁解は出来まい。
即時、無意味かつ不潔な多言語表記を止め、日本語とローマ字併用の旧来のものに戻すべし。これは有事云々の問題だけではない。全くの平時においても、まさに百害あって一利なしの無用の長物である。
誰でも人間は歳を取れば、瞬間的な情報処理の量が減るのである。最も重要な日本語による駅名表記が年々小さくなり、その上下左右に無意味な他国の表記を混在させることは、老人にさらなる負担を強いている現実を、もっと深刻に考えるべきである。来もしない観光客に媚びを売り、日々の暮らしに必要な日本の老人達を蔑ろにしている。
もし、どうしても相手国の言葉で旅行者をもてなしたい、「熱烈歓迎」の気持ちを伝えたい、というのであれば
尖閣の国・日本にようこそ!
竹島の国・日本にようこそ!
と書けばいい。出入国の際には、その横断幕の下を潜らせればよい。それを拒む者に、観光の意図はない。それは「視察」であり、「情報収集活動」である。踏絵も踏めない「素人スパイ軍団」は、先ず水際で排除すべきである。
相手は既に「有事」を充分意識している。
我々も備えなければならない。
これは絵空事でもなければ、大袈裟な話でもない。
マスコミはこうした事実を絶対に伝えない。
事が起こるまでは、沈黙に徹するだろう。
そして、いきなり「予期しない事態になりました」と叫ぶのである。
津波被害や原発事故に際して、「想定外を想定しろ」と叫んだのはマスコミであった。さて、我々のこの「想定」をマスコミはどう評価するか。勿論、彼等が「既に敵の手に落ちていること」を承知の上での話である。最期の言い訳ぐらいは、ゆっくり聞いてやろうということである。答えろ、マスコミ!
私鉄、JRを問わず、駅の構内に氾濫する「特亜文字」。
一体、どれだけの人間が「あの表記」により益を得ているのか。所謂「誰得」である。日本語とローマ字表記以上のものに、どれほどの意味があるのか。どうして、これらの二言語が選ばれたのか。ポルトガル語は、アラビア語はどうするのか。これは、マスコミが大好きな「差別」ではないのか。
世界には数百にも及ぶ言語があるとも言われている。
その中でこれらが選ばれた理由は何か。隣国だから?
何度も書いてきたように、ならばアメリカも「隣」である。
ロシアも「隣」である。
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鉄道関係者は、かの国の「国防動員法」を知らないのか。
簡単に言えば、留学生であろうとビジネスマンであろうと、一旦「有事である」と本国政府が認定すれば、軍の指揮監督下に入り、国防の義務を負うという法律である。潜入スパイとして、事実上のテロリストとして、敵国攪乱の任務を負った兵士に変貌するというわけである。
この法律は既に二年前から施行されている。即ち、我々は大学キャンパスで大声で騒いでいる留学生も、牛丼屋でアルバイトをしている連中も、勿論、企業の奥深くまで侵入しているビジネスマンも、観光客も、「瞬時にして兵士に変わる」と、意識して見る必要があるということである。
それがあちらの法律であり、それに違反すれば処罰される以上、個々人の性格や質など何の関係もない。どんなに地域に溶け込んでいようと、個人的な関係で信頼されていようと、そんなこととは無関係に、彼等は自らが生き延びるためには、「どんなことでもする」だろう。元々「どんなことでもする」のが、彼等の民族性なのであるから。
有事の際、相手国の交通網を把握していること、そして時々刻々の天気の変化を予測すること、予測出来るだけの情報機関、報道機関を支配することが、投入された部隊の第一の目的となる。それを後方支援するのは、かつての留学生であり、ビジネスマンである。
難しい誘導は要らない。駅に行けば、その国の言葉で行き先が明記されている。街の様々なところに、「親切な看板」が立てられている。彼等そのものが「活躍」するには及ばない。訓練された兵士が、彼等の衣服と着替えて、駅名表記を頼りに、極めて効率的な破壊工作活動を行う。発見されれば留学生を気取る、ビジネスマンを装うのである。
これほど占領しやすい国が他にあるだろうか。
逆を考えてみれば直ちに分かることではないか。
★ ★ ★ ★ ★
旅行者など来そうもない「田舎の駅」にまで、こうした表記は徹底されている。一体、何のためにこうした危険極まりない表記をして遊んでいるのか。自らの麗しい理想に酔うのは、夢の中だけにして頂きたい。
首脳自ら「核心的利益」などと嘯き、我が国の領海を侵犯して、これを奪いに来ている国家は、明白に「敵国」である。そして遂に、「戦争」という言葉まで使って、さらなる恫喝に出て来ているのである。この状況下で、親善だ友好だ、観光客の誘致だなどと自らの金儲けのみに興じている企業は、もはや「テロ支援企業」と罵られても弁解は出来まい。
即時、無意味かつ不潔な多言語表記を止め、日本語とローマ字併用の旧来のものに戻すべし。これは有事云々の問題だけではない。全くの平時においても、まさに百害あって一利なしの無用の長物である。
誰でも人間は歳を取れば、瞬間的な情報処理の量が減るのである。最も重要な日本語による駅名表記が年々小さくなり、その上下左右に無意味な他国の表記を混在させることは、老人にさらなる負担を強いている現実を、もっと深刻に考えるべきである。来もしない観光客に媚びを売り、日々の暮らしに必要な日本の老人達を蔑ろにしている。
もし、どうしても相手国の言葉で旅行者をもてなしたい、「熱烈歓迎」の気持ちを伝えたい、というのであれば
尖閣の国・日本にようこそ!
竹島の国・日本にようこそ!
と書けばいい。出入国の際には、その横断幕の下を潜らせればよい。それを拒む者に、観光の意図はない。それは「視察」であり、「情報収集活動」である。踏絵も踏めない「素人スパイ軍団」は、先ず水際で排除すべきである。
相手は既に「有事」を充分意識している。
我々も備えなければならない。
これは絵空事でもなければ、大袈裟な話でもない。
マスコミはこうした事実を絶対に伝えない。
事が起こるまでは、沈黙に徹するだろう。
そして、いきなり「予期しない事態になりました」と叫ぶのである。
津波被害や原発事故に際して、「想定外を想定しろ」と叫んだのはマスコミであった。さて、我々のこの「想定」をマスコミはどう評価するか。勿論、彼等が「既に敵の手に落ちていること」を承知の上での話である。最期の言い訳ぐらいは、ゆっくり聞いてやろうということである。答えろ、マスコミ!