【解答乱麻】(元高校校長・一止羊大)
平成18年、東京都教育委員会が各学校に対して職員会議(全教職員が一堂に会して行う会議)で挙手や採決を行わないよう求める通知を発したところ、当時都立三鷹高校の校長であったD氏は「表現の自由を奪う」などとしてその通知の撤回を求めた。定年後に再雇用されなかったこともあってD氏は、「通知は校長の裁量権を侵害し、教育の自由を保障する憲法に違反する」などと主張して裁判に持ち込んだが、今年1月30日、東京地裁は都教委通知を適法・合憲とする判断を示した。常識的に見て極めて当然の判決だった。
学校教育法に、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」と明記されている。これは、校長のいわゆる校務掌理権(こうむしょうりけん)(学校運営における包括的な職務権限)を定め、学校における最高責任者は校長であることを明示したものだ。世間にはあまり知られていないが、学校運営に係るこの最も基本的なことが多くの学校現場では長い間ないがしろにされてきた。学校運営のあらゆる場面で職員会議の決定が校長を縛り、不正なことが当たり前顔してまかり通っていたのだ。学習指導要領(学校が守るべき国の教育課程基準)で定められている国旗・国歌の指導が拒否されてきたのも、その典型例である。
校長だった頃の私の体験を踏まえて言えば、職員会議の決定が学校運営を歪(ゆが)めた底流に、左翼教職員組合の専横があったことは否めない。校長に付与された校務掌理権の趣旨に照らせば、職員会議は校長の補助機関(校長の職務遂行を助ける役割を担うもの)であり、議決機関でないことは明白だが、彼らは最高議決機関であるかのように主張し、職員会議で決めたことを絶対的なものとして押しつけてきた。法制化されている主任制への反対決議を行うなど、職員会議を政治運動の場にすり替えるのも彼らの常套(じょうとう)手段だった。
私が彼らの主張や行動の誤りを指摘し、校長としての職務を当然に行おうとすると、彼らは「民主主義の破壊者」などと罵(ののし)って私を非難する決議を行い、人格攻撃までした。それが彼らの正義であり、世間には通用しない「学校の非常識」の実態だった。
学校のこのような不健全な状況を打開するため、文部省(現文部科学省)は平成12年、学校教育法施行規則の一部を改正して、「校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる」「職員会議は校長が主宰する」を明記した。その趣旨に沿って、地方自治体の学校管理規則も手直しされたが、少なからぬ学校現場では歯止めがかからず、相変わらず職員会議の決定によって不正がまかり通っていた。
東京都では、計画され予算化された習熟度別授業が、幾つもの学校で実施されず、非常勤講師の水増しが行われ、報告された時間割と異なる授業が行われていた。都教委通知は、このような状況の下で出されたのである。歓迎すべき立場にあったはずのD氏が通知に逆らって訴訟にまで及んだことは、学校運営に係る職員会議の問題がいかに根深く深刻なものであるかを物語っている。
この度の訴訟事案は、学校運営における宿痾(しゅくあ)とも言える部分を炙(あぶ)り出して見せた。学校運営の正常化は職員会議の健全化抜きには成り立ち難い。このことを、関係者は改めて肝に銘じてもらいたいものである。
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【プロフィル】一止羊大
いちとめ・よしひろ (ペンネーム)大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』『反日教育の正体』。