6日に66歳で逝去された寛(とも)仁(ひと)親王殿下の本葬に当たる「斂(れん)葬(そう)の儀」が14日、東京都文京区大塚にある豊島岡(としまがおか)墓地でしめやかに営まれた。喪主を務める寛仁さまの長女の彬子さま、皇太子ご夫妻をはじめとする皇族方が参列されたほか、親族、野田佳彦首相ら政財界の関係者、各国駐日大使など計約650人が参列した。
寛仁さまのご遺体は午後に東京都新宿区の落合火葬場でだびに付された後、再び同墓地に戻り、夕方に墓所に埋葬され、永遠の眠りにつかれる。
斂葬の儀の「葬場の儀」は、寛仁さまのひつぎを乗せた車の到着を待ち、午前10時に始まった。
寛仁親王妃信子さまの義兄で、旧陸奥中村藩主の相馬家33代当主・相馬和胤氏が司祭長として儀式の進行を担い、寛仁さまの生前のご活動や、お人柄をしのぶ祭詞を伝統の大和(やまと)言葉で読み上げた。
天皇、皇后両陛下はしきたりに従って参列されず、勅使を務める宮内庁の川島裕侍従長と皇后宮使の高橋美佐男侍従次長が玉ぐしをささげた。続いて皇族方が拝礼され、親族や各界関係者らも続いた。寛仁さまの両親の三笠宮ご夫妻も、ともに車いすで拝礼された。
ストレス性ぜんそくなどのため療養を続けている信子さまは参列されなかった。親族総代は信子さまの兄、麻生太郎元首相夫妻が務めた。
皇族の葬儀は平成16年12月の故高松宮妃の斂葬の儀以来。このときには寛仁さまが喪主を務められていた。
寛仁さまの「斂葬の儀」に参列される喪主の彬子さま、瑶子さま、皇太子さま、雅子さま、眞子さま(前列右から)
=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)
多くの皇族方や麻生太郎元首相らに見守られ豊島岡墓地の斎場に到着した霊車
=14日午前、東京都文京区(鈴木健児撮影)


