夕刻の備忘録 様のブログより。
消費税の増税で「景気は必ずさらに落ち込む」。
これは絶対に間違いがない!
「世に絶対の無い」中で、これだけは間違いがない。
何故なら、「私」がさらに落ち込むからだ。
「私」が日本の景気、そのものであるからだ。
「経済学の理論では……」と宣うバカ学者が多い。
学者でもないのに、学者を僭称する者までいる。
経済学を知っているか、知らないかを問題視して大騒ぎである。
そんなものを知る必要が何処にある!
そもそも経済学など、アイドルのファンクラブのようなものではないか。適当な仮定を置き、適当な状況設定の下に、適当な結論を得る。それが現実を表していれば大威張りになり、外れれば「現実が間違っている」と言わんばかりに弁解をする。理論の数だけグループが出来て、それらが勝手に自説を主張する。折り合うことも、協調することもない。ファンクラブ同士の啀み合いと何処が違うというのか。
確かに利用出来る部分もあるだろう。利用出来るところだけ取り出して、ダメなところは切り捨てる。しかし彼等は、その両者をしばしば取り違えるのである。大甘に見て、半ば腐った果物みたいなものが、経済学の実態であろう。
そんな程度の学問を、知っているか知らないかと騒ぎ立てて、立論の基礎にしている辺りで、如何にその人物が低次元かが分かる。しかも、「本当は知らない癖に知っている側」に回り、「知っているが故にその無力さをも知り、絶望していることから敢えて論拠としない側」の人達を罵っている。まさにマンガである。
★ ★ ★ ★ ★
景気を論ずるに経済学は無用である。
景気動向を決めるのは「私」だからだ。
現状にウンザリしている「私」が、次の瞬間の消費を決める。
気分が悪いから物は買わない。
現政権が居座る限り、決して高い買物はしない。
そう決意した「私」が、これからの景気を決める。
そう決意した「何千万人もの私」が景気を決める。
理論ではない、決意した「私の全体」が経済なのである。
経済学者や自称学者が、「この理論ではこうなる」と幾ら予言したところで、「私の決意」は揺るがない。そんな安物教授の安物理論で、この冷え切った心は温まらない。むしろ、より頑なになって、さらに景気は落ち込むだろう。
「増税で財政再建をすれば好景気になる」などと寝言を言って、金儲けに興じている連中がいる限り、「私の心」は一段と冷えていくのである。その無知無能の断言が、こんなバカでも識者を名乗れるという社会構造が、「私の心」を荒ませる。国籍不明の「消費マインド」なる言葉まで作った連中が、自らそのマインドをズタズタに傷付けているのである。
さらに閉じ籠もって、消費を極限まで抑え、嵐が過ぎ去るのを待つ。それしか「私」に出来ることはない。誰が、先陣を切って身銭を国内に流そうとするものか。泡のように消えていき、しかも国外にまで流れていくことが必定の状況で、誰が自分の貯金を叩いて物を買うものか。
あんな鬱陶しい総理が、あんなチンケな財務相が、あんな無責任な政党が、今さら何を言ったところで、「私」の気持ちは萎えるばかりなのである。理論上の整合性があろうがなかろうが、こんな連中の言いなりになって堪るか、という「私」が過半を占めている限り、国の景気が上向くはずがない。国民から信頼されていない政府が、何を主張しても、何を実行しても、それが具体的な成果となって現れることはないのだ。
藤井&中野を叩くことに必死の連中がいる。この連中は、何故多くの国民がこの二人を中心にした「デフレ脱却戦略」に魅力を感じているのか、全く理解していない。いや永遠に理解出来ないだろう。「馬鹿な国民が、馬鹿な煽りに乗っている」と断定している「本物のバカ」もいるようであるが、藤井&中野にあって、こうした連中に無いものに全く気が付いていないのである。
それはこの二人が共に「私」だからだ。我々と同じ立場、同じ視線で経済活動に参加している「私」として、何千万分の一の「私の立場」を崩さずに議論をしているからだ。彼等は、これ以上増税すれば「私だって籠もりますよ、金なんて恐くて使えませんよ」と公言している。共に生き、共に暮らしてきた地域の経済が、これ以上疲弊すると「私が困る」と断じている。
一方、増税派は如何に主張しているか。「消費税を上げてくれたら、喜んで自分の全財産をなげうって大きな買物をしますよ」と言った人間が一人でもいるか。「ツケを子孫に回さない枠組が出来たら、ガンガン金を使うぞ」と宣言した人間が一人でもいるか。彼等には「私」が無いのである。自分だけは外に置き、安物の理論の実験場としてしか、日本を、我々国民を考えていない。国家国民を理論検証の道具にしか見ていない。一個の人間としての尊厳も決意も無く、ひたすら財務省に寄り添った議論をしているだけである。
これを人は「財務省のポチ」と呼ぶ。
やはり犬のしつけには「藤井さん」が必要か?
これは絶対に間違いがない!
「世に絶対の無い」中で、これだけは間違いがない。
何故なら、「私」がさらに落ち込むからだ。
「私」が日本の景気、そのものであるからだ。
「経済学の理論では……」と宣うバカ学者が多い。
学者でもないのに、学者を僭称する者までいる。
経済学を知っているか、知らないかを問題視して大騒ぎである。
そんなものを知る必要が何処にある!
そもそも経済学など、アイドルのファンクラブのようなものではないか。適当な仮定を置き、適当な状況設定の下に、適当な結論を得る。それが現実を表していれば大威張りになり、外れれば「現実が間違っている」と言わんばかりに弁解をする。理論の数だけグループが出来て、それらが勝手に自説を主張する。折り合うことも、協調することもない。ファンクラブ同士の啀み合いと何処が違うというのか。
確かに利用出来る部分もあるだろう。利用出来るところだけ取り出して、ダメなところは切り捨てる。しかし彼等は、その両者をしばしば取り違えるのである。大甘に見て、半ば腐った果物みたいなものが、経済学の実態であろう。
そんな程度の学問を、知っているか知らないかと騒ぎ立てて、立論の基礎にしている辺りで、如何にその人物が低次元かが分かる。しかも、「本当は知らない癖に知っている側」に回り、「知っているが故にその無力さをも知り、絶望していることから敢えて論拠としない側」の人達を罵っている。まさにマンガである。
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景気を論ずるに経済学は無用である。
景気動向を決めるのは「私」だからだ。
現状にウンザリしている「私」が、次の瞬間の消費を決める。
気分が悪いから物は買わない。
現政権が居座る限り、決して高い買物はしない。
そう決意した「私」が、これからの景気を決める。
そう決意した「何千万人もの私」が景気を決める。
理論ではない、決意した「私の全体」が経済なのである。
経済学者や自称学者が、「この理論ではこうなる」と幾ら予言したところで、「私の決意」は揺るがない。そんな安物教授の安物理論で、この冷え切った心は温まらない。むしろ、より頑なになって、さらに景気は落ち込むだろう。
「増税で財政再建をすれば好景気になる」などと寝言を言って、金儲けに興じている連中がいる限り、「私の心」は一段と冷えていくのである。その無知無能の断言が、こんなバカでも識者を名乗れるという社会構造が、「私の心」を荒ませる。国籍不明の「消費マインド」なる言葉まで作った連中が、自らそのマインドをズタズタに傷付けているのである。
さらに閉じ籠もって、消費を極限まで抑え、嵐が過ぎ去るのを待つ。それしか「私」に出来ることはない。誰が、先陣を切って身銭を国内に流そうとするものか。泡のように消えていき、しかも国外にまで流れていくことが必定の状況で、誰が自分の貯金を叩いて物を買うものか。
あんな鬱陶しい総理が、あんなチンケな財務相が、あんな無責任な政党が、今さら何を言ったところで、「私」の気持ちは萎えるばかりなのである。理論上の整合性があろうがなかろうが、こんな連中の言いなりになって堪るか、という「私」が過半を占めている限り、国の景気が上向くはずがない。国民から信頼されていない政府が、何を主張しても、何を実行しても、それが具体的な成果となって現れることはないのだ。
藤井&中野を叩くことに必死の連中がいる。この連中は、何故多くの国民がこの二人を中心にした「デフレ脱却戦略」に魅力を感じているのか、全く理解していない。いや永遠に理解出来ないだろう。「馬鹿な国民が、馬鹿な煽りに乗っている」と断定している「本物のバカ」もいるようであるが、藤井&中野にあって、こうした連中に無いものに全く気が付いていないのである。
それはこの二人が共に「私」だからだ。我々と同じ立場、同じ視線で経済活動に参加している「私」として、何千万分の一の「私の立場」を崩さずに議論をしているからだ。彼等は、これ以上増税すれば「私だって籠もりますよ、金なんて恐くて使えませんよ」と公言している。共に生き、共に暮らしてきた地域の経済が、これ以上疲弊すると「私が困る」と断じている。
一方、増税派は如何に主張しているか。「消費税を上げてくれたら、喜んで自分の全財産をなげうって大きな買物をしますよ」と言った人間が一人でもいるか。「ツケを子孫に回さない枠組が出来たら、ガンガン金を使うぞ」と宣言した人間が一人でもいるか。彼等には「私」が無いのである。自分だけは外に置き、安物の理論の実験場としてしか、日本を、我々国民を考えていない。国家国民を理論検証の道具にしか見ていない。一個の人間としての尊厳も決意も無く、ひたすら財務省に寄り添った議論をしているだけである。
これを人は「財務省のポチ」と呼ぶ。
やはり犬のしつけには「藤井さん」が必要か?
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