魂のことを心がけよ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






西村眞悟の時事通信 より。







五月十一日に開催していただいた「西村真悟君の出版を祝う会」に際しまして、多くの皆様のご参加とご支援を頂きましたこと、心より、お礼申し上げます。
 この度出版させていただいた「国家の再興」は、
目に見えるもの・・・制度論、法律論ではなく、
目に見えないもの・・・日本人の情、血、魂、本能、
に国家再興の原始的力を見いだす思いで書かせていただいた。
 つまり、情の国家論とでもいうべき内容となった。
 従って、私が書いたのではなく、書かせて頂いたのだ。

 そして、この出版祝賀会から今日まで、期せずしてあまり家に戻らず、もっぱら自然の中で精神的な世界を経巡って来たように思う。
 まず十七日から、「われ、国の柱とならん」と言われた日蓮聖人の臨まれた山である山梨県の七面山(一九八二メートル)に登り、午前三時半より一七〇〇メートル地点に立ち、真東に徐々に姿を顕す富士山に合掌した。
 すばらしい、三日間の体験をさせて頂いた。

 七面山下山後、一旦堺に戻ったが、すぐ、信州の諏訪を経由して東京に向かった。諏訪大社に参拝して東京にでる為だ。

 諏訪大社に参ることになる切っ掛けは、北海道比布町にある比布神社宮司鎌田告人氏からもたらされた。
 二年前、鎌田さんが出雲大社に参拝後ホテルにいると、諏訪から来た人に、「貴男は西村真悟さんではありませんか」と声をかけられた。
 鎌田さんは、「自分は西村真悟ではないが、同人をよく知っているので、貴男の思いを西村に伝えましょう」と返答した。
 そして、鎌田さんはふと思う。
 出雲大社の神である大国主神の子が諏訪大社の祭神である建御名方命だ。
 出雲にいる私に、諏訪の人が西村真悟かと声をかけてきたのは、諏訪の建御名方命が西村真悟を諏訪に連れてくるように自分に告げているのだろう。
 それでさっそく鎌田さんは、私に手紙で、このいきさつを告げて、諏訪大社参拝を促してきた。

 それから一年以上過ぎた本年三月中旬、書き上げた「国家の再興」の表紙の図柄をどれにするか、出版社の展転社から二通りの見本が送られてきた。一つは、海に太陽があたっている写真、そして、もう一つが諏訪湖の「御神渡り(おみわたり)」の写真だった。
 諏訪湖が全面氷結したとき、氷が音を立てて湖を横断するように迫り上がる。この迫り上がったところを神が通ったところとして「御神渡り」と言っている。
 この「御神渡り」の写真が、私の「国家の再興」の表紙候補として送られてきたのだった。
 私は、鎌田さんが告げてきたことを思い起こして、「御神渡り」の写真を新著の表紙に選んだ。

 そして、無事、出版記念会を終え、七面山に登り、二十二日に北海道から出雲経由で信州に入った鎌田さんと塩尻で待ち合わせ、諏訪大社に正式参拝させていただいた。
 参拝後、諏訪大社の平林成元宮司から、大人数の男達が巨木に群がり巨木を運び転がす「おんばしら祭」や鹿の首を供える祭事などの説明を受けた。
 これは、まさに、縄文の祭りだった。
 国ゆずりの大國主神の子である建御名方命が、この縄文の祭りの祭神だ。
 日本の国の肇(はじまり)の深遠なとてつもない重厚さをしみじみと感じた。

 出雲大社にて皇后陛下の詠まれた御歌
   國ゆずり 祀られましし 大神の
         奇しき御業を 偲びて やまず 

 諏訪大社参拝を終え、松本で鎌田宮司と一杯やりながら夕食。
 そして、翌二十三日、東京。
 石原慎太郎氏の話を聞く。
 明治維新に次ぐ、真の維新、つまり、国家の再興、
 まさに間近なり。





草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。大日本帝国憲法復活! 










ここが変!外国人が見たとても奇妙な日本の文化トップ9【2/3】
日本を旅する外国人向けのサイト『Tokyo Top Guide』から、外国人の目から見た日本文化の“..........≪続きを読む≫