加古川にも「特攻の母」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





兵庫・旧陸軍飛行場近くの旅館女将。


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 大東亜戦争末期、特攻隊の隊員が出撃前に残していった写真や色紙などの遺品約80点が、兵庫県加古川市の鶴林寺(かくりんじ)で大切に保管されている。各地の特攻隊員は、機体の整備や訓練のため旧陸軍加古川飛行場に立ち寄り、そして九州へ飛び立っていった。遺品は、飛行場の近くにあった軍指定の「中村家旅館」の女将(おかみ)、宮田たまさん(1903~86年)に託されたものだ。年若い隊員を、わが子のように慈しんだという宮田さん。「加古川の特攻の母」が守り伝えた遺品の数々は、隊員らの決意と愛惜の思いを今も物語っている。

 

 遺族らによると、宮田さんは夫婦で旅館を経営。実子がなく、世話好きな宮田さんは、親子ほど年の離れた隊員たちに、わが子のように接した。食糧不足の中を精いっぱいの料理と酒でもてなし、ときには、ひそかに面会に訪れた家族と、旅館の中で引き合わせたりもした。出撃の日には、日の丸の小旗を振って見送っていたという。


 こうした宮田さんを隊員たちも慕い、出撃を前に、思いを込めた品々を預けていった。宮田さんは戦後もこうした遺品を大切に保管し、昭和34年には旅館の前に慰霊碑「特攻隊之碑」も建立。しかし、死後の平成10年に旅館は廃業することになり、遺品は鶴林寺に寄進されるとともに、慰霊碑も境内へ移された。

 

 保管されている遺品は約30人分。「必死轟沈」や「不惜身命」などと決意が記された色紙もあれば、精悍(せいかん)な表情で愛機の前に立つ写真もある。また、「終生忘れ難し女将魂」と、宮田さんへの謝意を記した短冊も残されている。

 

 軍事史研究家の辻田文雄氏は「特攻に関する資料が加古川でこれほど残されているのは貴重だ」と評価する。知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)の八巻聡専門員は「宮田さんが母親代わりになって、熱心に世話をしたため、多くの遺品が託されたのではないか」と話している。




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宮田たまさんに託された特攻隊員らの遺品の数々=兵庫県加古川市の鶴林寺(出雲一郎撮影)













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