日本滅ぼす「101本目の法律」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【野口裕之の安全保障読本】





 中国漁船領海侵犯事件では、近海に自衛隊護衛艦が遊弋(ゆうよく)していたが、海上警備行動が下令されず、領海外への退去命令さえ適(かな)わなかった。そこで、平時でも主権=領土・領空・領海を守護できる領域警備法を超党派で成立させる動きがある。しかし、小欄は「あえて」法制化に反対する。同法が「101本目の法律」であるからだ。

 わが国は、安全保障上の100個の事態に100本の法で対処する。これでは101個目の事態が起これば、101本目の法律が必要となる。斯(か)くして法律は増殖し続け、既存法との整合性を図ることもあり肥大・複雑化する一途(いっと)。北朝鮮からの弾道ミサイルが約10分で飛来する現代戦にあって、その愚鈍な法体系は一線の指揮官の判断に重くのしかかっている。

 そもそも、国家は独立時に主権を守る権利・義務が生ずる。国際法上の「自然権」である。人が生まれた瞬間に、息を吸ってよい権利と同じだ。

 従って、政府が「主権侵犯した組織・個人に、国際法の範疇(はんちゅう)で必要な措置と行動を採れ」と命じるだけで、本来はよい。後はROE=交戦規定に則(のっと)り例えば、退去命令→威嚇射撃→船体射撃→撃沈などの段階を踏むだけだ。

4月の北の弾道ミサイル発射時に、自衛隊法に基づき事前に下された「破壊措置命令」も、漁船事件対処と同根の病巣を抱える。確かに、飛翔(ひしょう)物体が日本領域に落下し、国民の生命・財産への被害防止が求められる際、防衛大臣は破壊命令を発令できる。

 だが、まともな国にこの種の法は存在しない。軍の任務は国家・国民守護に尽きるからだ。これまた自然権の発露。逆に問いたい。「創隊以来、自衛隊の根源的任務は何だったのか」と。

 軍の権限は「原則無制限」で、予(あらかじ)め禁止した行為・行動以外は実施できる「ネガティブ・リスト」に基づく。軍は外敵への備えで、国民の自由・権利侵害を前提としないためだ。一方、警察活動は逮捕など国民の自由・権利を制限する局面があり「原則制限=ポジティブ・リスト」となっている。

 自衛隊は警察同様、実施できる行為・行動を一つ一つ法律で明示し縛るポジ・リストを前提にする。これでは、奇襲や政府の判断ミス、伝達手段の不具合で、破壊が命令されない場合、ミサイルは迎撃できない事態に陥る。

 歪(いびつ)な法体系の源流には、自衛隊の前身=警察予備隊・保安隊の生い立ちがある。両隊は、警察の対処が不可能、又は著しく困難な場合の補完組織として法制上位置付けられた。ところが、自衛隊になってもその位置付けが法制上引き継がれた。軍事組織なのにポジ・リストが適用され、自衛隊の行動や自衛隊への命令は、全(すべ)て法律の担保が必要となってしまったのだ。

ネガ・リストへの大転換には「大手術」が必要だ。即(すなわ)ち(1)海上警備行動など、自衛隊の行動に必要な法条文を防衛出動以外全て削除(2)その上で国家主権と国民の生命・財産を守るべく、国際法の範囲内で武器使用を含むあらゆる手段を尽くす-と明記すればよい。これで、国内の秩序維持以外、奇襲といった外国組織による第一撃へは、指揮官の判断で応戦が可能になる。

 しかし、国家としての戦争容認命令=防衛出動は残す。仮に太平洋で中国海軍艦の攻撃を受けたら当然、応戦・撃沈できる。が、同時期に大西洋で中国海軍艦を撃沈するには、防衛出動下令が前提になるためだ。

 ところで、日本の安全保障環境は全て平時/有事に峻別(しゅんべつ)される。だが、列車事故やダム決壊は当初、テロか事故かは判然としない。朝鮮半島・台湾危機では、日本も「無傷」ではいられない。こうした想定外やグレーゾーン事態にポジ・リストで対処すれば、必ず「101個目の事態」で足踏みする。

 わが国を滅ぼすのに、害意ある外国は、防衛出動下令が明白な戦争を仕掛ける必要はない。一歩手前のグレーゾーンを飛び出さない「101個目の事態」を起こせば、法律で担保されておらず、手も足も出ないだろう。