「復帰プーチン」に惑わされるな。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【正論】新潟県立大学教授・袴田茂樹





ロシア大統領に復帰したプーチン氏は就任演説で、経済発展の前にまず領土保全を挙げた。この3月には、北方領土問題で発言し、歯舞、色丹の2島返還の拒否をも示唆した。大統領府高官も最近、匿名のインタビューで、北方領土問題解決の可能性を全面否定している(5月4日付産経新聞)。筆者が4月に訪露して新政権の対日政策を議論した、大統領政策顧問ら政府、議会、シンクタンクの要人たちの見解も厳しかった。

 ≪主権紛争は戦争と同次元だ≫

 本稿では、主権に関わる領土交渉について、単なる外交技術の次元では対応できないこと、ロシア首脳の考え方、そして日本が何を理解していないかを論じたい。

 グローバル化の今日、国民国家とか主権、国境などは意味を失いつつあるという一時、流行(はや)った政治学のポストモダニズム(脱近代主義)やコンストラクティビズム(構成主義)は、現実によって否定された。東アジア地域でも、欧州連合(EU)域内でさえも、領土や国境問題、国益の対立は、冷戦時代以上に深刻化している。

 世界は大きく変貌したものの、残念ながら、国際関係の本質は20世紀前半とさして変わらない。すなわち、今日でも主権紛争は戦争と同次元の問題である。一昨年9月の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、中国が経済その他の手段を総動員して対応し、それに日本は驚き動転して屈した。中国が「主権問題」としている以上、その強硬姿勢は当然予想すべきだった。

ロシアや関係国は主権問題にどう対応しているか。旧ソ連から独立したモルドバは、ロシアと沿ドニエストルの領土紛争を抱える。ガス輸入や主要産業のワイン輸出はほぼ全面的にロシアに頼る小国だ。紛争でロシアから禁輸措置を受けていた2005年、ヴォロニン大統領は次のように述べた。

 ≪小国モルドバの領土での覚悟≫

 「モルドバは、たとえワイン市場やガスを失っても、譲歩はしない。われわれは、ガスなしで震えながら冬を過ごす覚悟ができている。モルドバは、その代価がいかに高くつこうとも、自らの領土保全、主権を犠牲にはしない」(05年10月12日付露紙、独立新聞)

 先のインタビューで露高官は、欧米が、支持するグルジアとロシアが主権問題で戦った後、結局、ロシアと妥協したのは、経済的、政治的影響力が強大になったロシアに西欧が依存するようになったからだと話した。ロシアに楯突いてきたベラルーシのルカシェンコ大統領が今、ロシアにすり寄る発言をしているのも、「金銭」問題ゆえだと言う。ベラルーシ経済が最近ひどく悪化し、政権維持のためロシアからのガス支援が不可欠になった、という意味である。

 対日政策ではこう語る。「メドベージェフ前大統領のクリール諸島(「北方領土」の意味で使用)訪問は日本側の病的反応(菅直人前首相の『許し難い暴挙』発言を指す)を生んだが、彼らは今や、ルカシェンコ同志の道を歩み、自らのレトリックを大きく変えている。だが、いかなる大統領も決してその方向(領土問題の解決)に向かわないし、解決のための歴史的機会はもはやあり得ない」(5月3日付の露通信ノーボスチ)

この高官は、3代の大統領府で外交ドクトリン作成などに携わっていて、ロシアは1990年代のエリツィン政権の後は北方領土問題での立場を一切、変えていないと断言している。インタビュー内容を綿密に分析すると、この冷笑的リアリストの発言は、対日政策に向けた情報操作ではなく、ロシア指導部のメンタリティーを正確に反映したものとみるべきだ。

 ≪北方領土で問われる本気度≫

 露下院のプシコフ国際問題委員長は、北方領土問題の解決は、永久に不可能とは言わないまでも、中国的時間、つまり数百年~千年単位の問題だと嘯(うそぶ)いた。著名国際政治学者トレーニン氏は、ロシアは「中国の脅威」ゆえに急いで中露国境問題を解決したが、日本は今も将来も脅威ではない、としている。ユルゲンス現代発展研究所所長は、中露が戦争状態にならない限り、ロシアには北方領土問題解決への動機がないと言った。

 前述のモルドバは、ロシアとの間で領土問題はなお未解決でありながら、禁輸措置は撤回させ、沿ドニエストルの独立やロシアへの併合は阻止した。ロシアも、その真剣な態度に気圧されたのだ。

 2009年に、プーチン氏が首相として訪日し、原子力協定など盛り沢山の経済協定が結ばれたとき、ロシアのマスコミは、「日本の関心は経済のみで、一見、強硬な領土要求は国内向けのタテマエにすぎない」と報じたものだ。

 日本がこうもナメられているのは、モルドバやグルジアを相手にしてきたロシアからみれば、日本の真剣味など感じられないからでもある。無統一の弱体政府が外交技術や人脈だけの小手先で、しかも、どこにも痛みが出ない形で、戦争と同次元の主権問題に対応できるはずがない。今の日本人はこの政治のリアリズムが分かっていない。北方領土問題は、日本の本気度にかかっているのである。


(はかまだ しげき)