奈良・高取町 古代衣装でゆかりの地案内。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120503/wlf12050320280017-n1.htm
飛鳥時代に推古天皇(在位592~628年)が、奈良県高取町で宮廷行事として薬草を摘み取る「薬猟(くすりがり)」を行ったとされる日本書紀の記述に基づき、薬猟を地元で1400年ぶりに“再現”するイベントが5日、開催される。同町は漢方を中心とした製薬が地場産業で、イベントに協力する町薬業連合会は「『薬の町・高取』をアピールし、地域起こしに結びつけたい」と意気込んでいる。
日本書紀には、612年5月5日に「羽田」で薬猟が催されたと記されている。羽田は、当時の推古天皇の小墾田宮(おはりだのみや)同県明日香村)から南西約5キロの高取町羽内(ほうち)地区周辺とされる。
薬猟は、気温が上がり病気が流行する時期に、宮廷行事の一環として男性はシカを狩って若角を取り、女性は薬草を摘んで薬剤に用いたとみられる。
町観光ボランティアガイドの会の野村幸治・事務局長が「町の新たな観光資源に活用できれば」と、同町在住で京都教育大の和田萃(あつむ)名誉教授(古代史)と、町薬業連合会の中村善之会長に相談。和田名誉教授らのアイデアで、日本書紀の記述にあわせた5日に、町内の薬猟ゆかりの地をめぐるウオーキングイベントなどを開催する。
薬猟の舞台とされる羽内地区にある波多甕井(はたみかい)神社や、推古天皇が薬猟で用いた「仮の宮」との説もある大型建物跡が出土した羽内遺跡などを、ボランティアガイドが案内。
同地区周辺では、地元製薬会社の関係者らが古代衣装に身を包み、町内で取れる薬草やその効用を説明するという。
中村会長によると、周辺の地形は高低差があり、豊富な薬草の自生に適している。江戸時代以降は配置薬の販売業や製薬が町の産業の中心になったという。
和田名誉教授は「薬猟は、古代の高句麗王室や中国の江南地域が発祥で伝わったのだろう。推古天皇に聖徳太子も同行して、高取の薬猟が行われた可能性もある。イベントは、古代の優雅で華やかな宮廷行事の雰囲気を伝える試みで意義深い」と話している。
問い合わせは町観光案内所((電)0744・52・1150)。